5月はアンラッキー続きの酷い月だった

文字数 912文字

  とはいえ、アンラッキーとラッキーがセットで来るという不思議な月でもあった。
  不幸中の幸い? って感じなのかな。

  例えば、慌てていてテープカッターの刃先が指に刺さったんだ。
  血が止まらなくて慌てたよね。
  絆創膏がすぐに血だらけになり、大きめの絆創膏を貰いに行って数枚重ねて貼って止血したんだけれど。別に痛くはなかった。
  結局ね、患部が空気に触れるから痛いわけよ。血が患部をコーティングしてそこに何かが当たらないようにたくさんクッションを作って置けば痛くはない。
 俺は血は洗い流さないし、場合によっては消毒をせずに治すけれど。
 それは他人にはお奨めはしない。俺は単に直るのが異常に速いからいけるけれど、治りづらい人なんかは化膿するかもしれないしね。
 そんなわけで、かなり深く切った割には二日でくっついて見た目的には何ともなかったという状況。
 
 切ったけれどすぐ治ったということはある意味ラッキーでもあるんだろう。
 そんなわけでアンラッキーなことはしょっちゅう起きるが、同時にラッキーなことも起きるといういやーな月でした。
 そういやPCにお茶ぶっかけたけど、中までかかってはなくて拭いて一日放置したらなんともなかったしね。

 名前はトチ狂ったラッキーセブンが由来なので、それくらいラッキーなことに見舞われる人生ではあるんだけれど。先に一見アンラッキーかな? ということがやってきて、その後結果的にラッキーだったという感じで終わるんだよね。
 
 人生の中で良いことと悪いことは同じくらい起きるという人がいる。
 でも、それは『対比』としてしか感じることが出来ないからじゃないかなと思うのね。
 もし、いいことばかり起きたとする。それがラッキーだと気づくのは『アンラッキー』が存在すると感じた時だと思う。その人にとってラッキーであることが日常化してしまったら、それがラッキーであるとはわからない。

 よく人は自分が幸せであることに気づかないとも聞く。
 自分にとって当たり前の日々が幸か不幸か気づくのは比べる何かがあるから。
 なので小さな幸せに日々感謝して生きることのできる人は、気づかない人よりも幸せを感じることが出来るのだろう。
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