他人の出す結論は知らなくても問題ないという話

文字数 1,178文字

 これは生活に密着した法律関係などを除くんだけれどね。

 俺はpixivで何作品かお気に入りをして読んでいるものがある。
 ただ、次の公開までに間が空き過ぎるともういいやってなるんだよね。

 物語には大きく分けて二つのスタイルがある。
 それは一話読み切りと、連載で明かされていくもの。
 一話のみだとそれは短編になるわけだが、一話完結で続いていくものというのは期間が空いても問題はない。興味が離れても、やっぱり面白いなと思えるのがこちらのスタイル。

 なので毎日、もしくは一週間に一回くらいの更新ができないのであれば『一ページ完結』で続いていくものの方が読者は離れ辛いと思う。
 ドラマを視ていても分かるけれど、一週間くらいならワクワクして待てる。
 それ以上空くと離れていくんだよね。
 だからこそ、数種類の作品をお気に入りして読んでいくんだろうと思うけれど。

 創作作品というのは他人の思想、もしくは作り手なら自分の思想でできている。
 離れていくということは『他人の出す結論は必要不可欠ではない』ということなんだよ。
 だから進撃の巨人なんかは凄いなと思うの。間が広く空いてもアニメファン多いよね。
 原作も読んでアニメも観て、という層が多いのだと思うが。

 ある意味、完結しているからこそファンが離れ辛いというのもあるとは思うのよ。
 進撃の巨人はかなり特殊な部類だと思う。好きな登場人物が次々屍になってしまうわけだから。原作が終わっても、アニメでもう一度会えると思えばやはり観たいと思うよね。
 ファンを離さないということは意図されるとは限らない。でもそれだけ魅力的な登場人物がいて、今もなお、愛され続けるのはとてもすごいことだと思う。

 それはそれとしてね。こういうのは特殊なケースなんだよ。
 ずっと愛され続けることはそれだけ難しいことなの。
 だからこれはレアケース。

 人の心は簡単に離れ、興味も薄れるという話。
 特に創作界の人たちは承認欲求の塊な人が多い。
 でもね、一人でも読んでくれている人がいるってことは書き続ける意義があるってことだと思うのよ。

 俺は毎週相棒のシーズン21を楽しみにしていて、観ながらいろんなことを考える。
 考えることって満たされることだと思うの。
 つまらないものというのは何ら思うことがないものだと思うんだ。刺激というのはなんらかの要素があって脳に活力を与えている。
 だから一人でも読者がいるということは『誰かの脳に刺激を与えている』ことを同等だよねって思うの。
 もし、書く手を止めてしまっているならPVなり読者数を眺めてみて。一人でもそれを見ているひとがいるなら、続きを書くべき。

 何人読んでくれているかなんてのは、ただの目安でしかない。
 それは承認欲求を満たすことはできない。
 常に心は枯渇するものである。承認欲求よりもまずは達成感を味わうべき。
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