もうすぐ今年も終わる

文字数 1,398文字

 今日は兵長の生誕祭。
 たくさんの仲間たち。彼にとっては家族同然だったはず。
 ついていこうと決めた上官にも先立たれ、信頼していた部下も失い世界が終焉に向かうその最中、彼は何を思ったのだろう。

 Twitterで兵長の誕生日を祝うツイートを見つめながら、そんなことを考えた。
 推し活文化圏、日本を実感した瞬間。

 恋愛ありきの時代は終わった。
 それは推し活を見てれば分かるように、『人間の作り出すものが人間を越えた』からである。
 人の産み出す理想形や完成形。
 人がその領域に達することは不可能ではない。しかし性欲という動物的な欲を持っている限り人は過ちを犯す。
 決められたレールを理想形のまま突き進む創作物とは違う。

 人は弱くなった。
 昭和じゃあるまいし、24時間戦えたりもしない。
 金のない若者ばかりになったせいで、合コン三昧な世の中も終わった。
 なによりも、女性は『男』に魅力を感じなくなった。
 そう、生身の男なんていなくても楽しい推し活が出来る。

 金がないからブランドものに身を包むようなナルシストも減っただろう。
 少子化一人っ子社会が産んだのは『一人が楽』な世界。

 そもそも『男脳』が時代から遅れを取り過ぎている。
 自分でなんでもできる様な優秀な人間が世界のベースとなりつつある昨今なのに、未だに女性に家事を頼るというのが間違いだ。
 家事は互いに時間を作りながらこまめに終わらせるもの。
 一方が散らかし、終わらないならそれはお荷物。要らない人間ということ。
 一人なら散らかることもないし、いつでも清潔が保てる。それは家事を大してしなくとも保たれる。一人とは家事が楽なものである。
 そうしてしまっているのが怠惰男。
 自ら動けるような男でなければ結婚も恋愛もできない世の中というのはとても良いと思う。
 ゴミは要らないから。ゴミの子孫も要らないし、ゴミに生きる価値もない。
 政治家を見ろ。ゴミだらけ。
 早くゴミを掃除しないと、日本は良くならない。

 さて、ゴミの話しは良いとして。
 散らかる部屋というのは、セッティングに問題があると思う。
 片付けるというのは何も、見た目だけを良くすればいいというものでもない。
 その部屋で使うものは、その部屋に置くというのが鉄則だ。
 つまり、トイレに包丁をしまっておくような家は散らかるということ。

 その部屋の中で出し入れができ、使う場所(身の回り)以内で片付けが出来る用にセッティングしなければならない。
 なので、鋏を各部屋で使うような家庭は使う場所全てに鋏をおいておけば散らからないのである。
 一本あれば充分と思うだろう。しかし100円程度で買えるものを、一本のみ置き使うたびにいちいち取りに行き、片付けるという時間は無駄以外の何物でもない。
 その場で使ってその場で片付ける。これが散らからない法則。
 散らかるのは、片付けるのが面倒だから。面倒にしているのは自分である。
 その面倒は無くさなければならない。
 十か所で鋏を使うなら10本買えばいいだけの話し。

 俺の家には、TV用のヘッドホンと音楽用のヘッドホンがある。
 いちいち切り替えしない。頭に付け替えればいいだけ。
 その他にも通勤用と職場用もある。
 必要なら必要なだけ買えばいいだけの話し。

 ただし、茶碗は最小限がお奨め。
 最小しかないから嫌でも洗う。
 最小しかないから片付けが楽。
 食器はこの法則を守るべし。
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