最近気づいたことから、この説について考えてみる

文字数 998文字

 例えば、どんなに作品に読者がつこうがPVがつこうが満たされない人っているよね。
 賞や書籍化を目指していて、どうのという話ではなく承認欲求の話なんだけれど。
 
 その場合って恐らく、いくら増えようとも満たされないんじゃないかなと思うのよ。
 何故なら数でしか見てないから。
 例えば、読んでくれる相手がたった一人でも満たされる人はいる。
 それはきっと、明確なターゲットがいてその人に見てもらえる=承認されたということだからだと思う。

 自分が誰でもいい誰かを求めている限り、相手にとっても誰でもいい誰かだと思うのね。

 なぜこんな話をしたかというと、最近気づいたことがあるから。
 今、凄く好きな人がいるんだけれど。

 自分は集合体に対しての好きというのはよくあるけれど、個人に対して『好きで関心を持つ』ということがほとんどないんだよね。まあ、いつまでも過去好きだった人に囚われてしまうのは『好きな人が出来ない』ということとHSPの特徴の一つでもある『一つのことについてずっと考えてしまう』というのが主な要因だと思っている。
 もちろん好きな人が出来たらその人の事ばかり考えてしまうけれど、ちょっと好きくらいで相手のことを考えることは皆無。推しの事すら考えない人なのでね。

 閑話休題

 推しでもいいんだけれど、好きな人と話すことはとても満たされることだと思うのよ。
 仮に片思いだとして、相手に認識されたら嬉しいよね?
 それがまあ、クラスメイトだったとして。名前覚えてくれていたら凄く嬉しくない?

 つまりね、この人に見て欲しい。この人に認められたいという目標やターゲットがいた場合は仮に対象が一人であっても満たされるということだと思うの。

 何に関しても数字て見ているうちは満たされたりはしない。数字はあくまでも数字であって、いくらでも上があるから。上限がある時、初めて達成感を味わえるものだと思うしね。
 そんなことを考えたのでした。

 そう言えば、フリーレン。
 二回までは見たんだけど、視るのやめちゃったんだよね。話は面白いと思うのだけれど、どうしても嫌な部分が一か所あって。かなり口が悪いというか。始終、生臭坊主、生臭坊主言っていたのが正直しつこいなーと思っていた。
 あとから余韻が来るので、やっぱりこれは自分には向かないなと思った。
 名前で呼ぼうよ。
 人への敬意って名前で呼ぶことだと思うし。
 まあ、物語だけどね。
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