終わりは始まりなのか、それとも

文字数 1,129文字

昨日は三作拝読。
感想については、カクヨムで個別感想ノートを作っています。
3体ちびキャラ作成。
30体予定中16完成。
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 人は毎日同じことを繰り返して生きている。
 食べて、寝て、仕事にいったり学校へいったり。
 その中で、変化を望む者もいれば望まない者もいる。

 常識は変わっていく。それは正しい道に行くのか、それとも間違っているのか?

 人間は老若男女関係なく、平等であるしそうあるべき。自認性別がどうであろうと、どんな性的志向にあろうと。しかし世界は一部の男が支配しているように感じる。
 ピーが付いているだけで、何がえらいのかいまいち理解できない。
 仕事しかできないから、男は主に仕事へ行く。
 それがいつの間にか、仕事をしているから偉いと考えがちだが、会社で他の奴らを見ていても、超マルチタスクをこなせるわけでもなければ、大して仕事ができるようにも見えない。
 男というものは、女よりも他人に何かをやらせようとしがち。楽しようとする人間は、はっきりいって能力がないと思う。

 そんな底辺なのに威張っているのが理解できない。
 むしろ女性の方が優秀な人材が多いと思う。
 威張ることしか能がないのだろうか?
 どっちにしても、尊敬できない人間は眼中にはない。
 存在しない者として生きている。見ているだけで、胸糞悪いしな。
 
 俺はどうにも、一つのことしかできない人間が嫌いである。
 やってみたら同時に色んなことはできるし、自分でいろいろやった方が充実感もある。
 なにより、自然に尊敬される。

 結局、承認欲求が強い人というのは、普段から大したことが出来ないのではないだろうか? と思ってしまう。自分にはそれしかないから、それに注目されたい。しかしあれもこれもしていれば、自然に何かしらで評価を得ている。
 他に誇れること、得意なことがなければ一つのことに依存してしまうだろう。
 それでは生きにくいのではないか?
 そんなことを思うのである。

 大抵の人間が新しいことに挑戦することをせずに、自分にはこれしかないと思い込んでいる。
 それはただの思い込みだ。
 時間がないからと言い訳するのも良くない。
 日々、一分一秒の積み重ね。短い時間を有効に使おうとすれば、行動は早くなる。
 もちろんこうやって朝から文字打ちをしていれば文字を打つのだって速くなる。
 行動を早くしたかったら、意識を変えるしかない。習慣付けて時間を決めるしかない。全部自分のためにはなる。要は挑戦した者は何かを掴みとれるが、挑戦しなかった者は変わらない日常をぐるぐるしているだけなのだ。

 やれるかどうかではなく、やるのかやらないのか。
 これだけ。
 早起きだって、習慣になってしまえば辛くはなく、勝手に目が覚めるものである。
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