駆け抜ける日々の中に感謝を

文字数 898文字

 たくさんの人に読まれたいという気持ちはわからないでもない。
 でも、そこにどんな意味があるのだろうか? と考えたりする。
 たくさんのファンが欲しいというのなら分かるが。

 時間は命と同等。
 書いたから読んでくれと言うのはなんだか違う気もする。
 読むか読まないか選ぶのは読者であり、その読者が読みたくなるものを書けばいいだけの話し。

 自分はしばらく読者がたった一人しかつかなくて。
 けれども、新しく作品を書くたびにお気に入りをしてくれる人がいた。
 名前も知らない読者。
 その人が読んでいると思ったから、頑張って続きを更新していた。
 たった一人の読者のために。
 それはとても幸せな時間でもあった。

 誰だかわからない不特定多数に向けるよりも、誰だかわからないけれど一人に向ける方が焦点は合わせやすいし、ブレないで済む。
 正直、相手は分からない方がいい。その人に依存してしまうから。
 そうではなく、誰かのために頑張ることはもちろん続ける上でモチベーションが保てるし、毎日更新しているものは読み手が付きやすい。

 何故毎日エッセイを更新しようと思うのか。
 朝は記憶の整理をしやすく、アウトプットすればするほど記憶力が良くなるから。
 webと紙では学びが違うと言うが、たぶん俺はあまり変わらない。異常な人だと思う。
 それは覚えようとするのではなく、理解しようとするからだと思う。
 
 Twitterのアルゴリズムを調べていた時も同じ。
 物事には必ず法則があり、人は無意味なことはしないものである。
 その言動には必ず理由があるということだ。
 理由を知ることが理解をすることであり、理由を知れば何が起きているのか想像する(想定する)ことが可能になる。そうすると、何を調べたらいいのかもすぐにわかる。
 考える、頭を使うとはそういうことなんだと思うのね。
 
 レビューを書くときの読み方も同じ。
 その作品を読むにあたり”作者は何を考えこういう設定にしたのだろうか?”そこを考えながら読む。
 すると読んでいるだけでは見えてこないものがたくさん見えてくるものだ。
 どんなものも何故? を考えることで打開できると俺は思うのである。
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