3.十三番目の精霊

文字数 2,012文字

一般的にイスカリオテのユダと言えば「裏切者」のイメージだ。

しかし『ユダの福音書』においてその印象は真逆となる。

ユダこそがイエスの真の理解者として描かれるんだ。

他の弟子たちはイエスを理解できないままで終わる。

しかしそのような考えもまた「異端」として退けられたのですわね。

イエスを騙りイエスに反する。

まさにアンチ・クリストスの最たるものかしら。

『ユダの福音書』中、ユダとイエスが語り合う場面がある。

前回、弟子たちは夢の中で恐ろしい場面を見た。

それとは別にユダも幻を見たのでイエスに聞いてほしいと言う。

イエスはユダを「十三番目の精霊」と呼び、「あなたの話を信じよう」と言った。

態度からして他の弟子に対するよりも温和な印象を受ける。

『ユダの福音書』第8章6-8節(カレン・L・キング訳)

ユダはイエスに言った。

「私は幻のなかであの十二人の弟子が私に石を投げつけ、

[私を激しく]虐げているのをみたのです。


(『『ユダ福音書』の謎を解く』

エレーヌ・ペイゲルス、カレン・L・キング(著) 山形孝夫・新免貢(訳) 参照)

お可哀そうに。

いじめられっ子のユダ・イスカリオテ。

いじめられっ子か……。

これから2000年以上ずっと悪人の象徴みたいに語られるんやもんな。

イエスは落ち込むユダに「十三番目」になると告げる。

そして「後の民から呪われる」とまで言った。

しかし、その上で「あなたは彼らの上に君臨するでしょう」と言うんだ。

それからイエスは神の王国についてユダに話し始める。

その中には次のような、『創世記』的なものも含まれていた。

『ユダの福音書』第13章1-2節(カレン・L・キング訳)

それから、サクラスは彼の天使たちに言いました。

『われわれの似姿[に]、われわれのイメージに従って人間を造ろう』。

そして、彼らは、アダムとその妻エヴァを造りました。


(『『ユダ福音書』の謎を解く』

エレーヌ・ペイゲルス、カレン・L・キング(著) 山形孝夫・新免貢(訳) 参照)

サクラスとは確か、「愚か者」を意味する天使の名でしたわね。

デミウルゴス、ヤルダバオトの別名であるとも。

確か、ヤルダバオト、サクラス、ほんでサマエルやったか。

色んな名前を持っとるんや。

ただ『ユダの福音書』だとそのへんが少し異なっている。

ヤルダバオトの別名としてネブロ。

そしてサクラスはそのネブロと共に世界を創造する別の天使だ。

ともあれ、ここでは創造主すなわちサクラスだということで話を進めよう。

殉教者のごとき犠牲を神が求めていると言うのは間違っている。

それは例えば、いわゆる旧約聖書の中にすら書かれていることでもあるのさ。

『ホセア書』第6章6節

わたしが望むのは犠牲ではなく、愛である。

わたしが望むのは焼き尽くす献げ物よりも、人が神を知ることである。

『アモス書』第5章21-22節

「わたしはお前たちの祭りを憎み、退ける。

お前たちの盛大な集会の香りを喜ばない。

たとえお前たちが焼き尽くす献げ物、穀物の供え物をわたしに供えてもわたしは喜ばない。

肥えた和解の献げ物にも目を留めない。

『ミカ書』第6章8節

人よ、何が善いことか、主が何を求めておられるかは、お前に告げられたはずだ。

正義を行い、慈しみを愛すること、へりくだって神とともに歩むこと、これである。

神は犠牲を求めない。

正義と慈しみによってともに歩むことを求めている。

だと言うのに、キリスト教はイエスを犠牲として捧げることで救いを得ようとする。

こんなものは人身御供と何ら変わりない。

キリスト教徒はイエスが罪をその身で贖ってくれたと言う。

神が「わたしが望むのは犠牲ではなく、愛である」と前から言っているにも関わらず。

そしてそのイエスに倣った殉教をも賛美する。

それはおかしいなどと言おうものなら異端として弾圧される。

まこと、愉快な宗教ですこと。

神が求めていないにも捧げられる犠牲。

それは真の神ではなく、偽の神、ここではサクラスに捧げられるものなのさ。

十二人の使徒たちはそれが偽の神であると知らずに拝み続けている。

せやけどユダだけはその弟子たちから離れた。

そんで「十三番目」になったんか。

そして物語は終わりに近づく。

イエスはユダを「(犠牲をサクラスに捧げる)彼ら」に勝ると称した。

それはユダが真のイエスを包んでいる人間の肉体を犠牲にするからだと言う。

『ユダの福音書』でも他の福音書同様、ユダがイエスを大祭司に引き渡す。

しかしそれはイエスの教えに従うものだったのさ。

『ユダの福音書』第16章4-10節(カレン・L・キング訳)

そして、彼らはユダに近づいた。

彼らはユダに言った。

「お前はこの場所でなにをしているのか。お前はイエスの弟子だ」。

しかし、ユダは、彼らの望むままに答えた。

そして、ユダはいくらかの銅貨を受け取り、イエスを彼らに引き渡した。


ユダの福音書


(『『ユダ福音書』の謎を解く』

エレーヌ・ペイゲルス、カレン・L・キング(著) 山形孝夫・新免貢(訳) 参照)

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登場人物紹介

【ミカ】(性別:無性 時々 男性)

神様の命令で人々を見守ることになった大天使ミカエル。サタニャエルくんに色々教えてもらう生徒役。ただ何も知らないお馬鹿ではなく、それなりに常識人。特に戦争に関することはなかなか詳しい。無意味な殺戮は嫌うが、戦争そのものは悪と見做さない。ビヨンデッタの作った「ケーキ」にトラウマがある。


(うんちく)

その名は「神に似たるものは誰か」という意味を持つ。ミカエルはMa-Ha-Elと分解され、「偉大なる神」の意味ともされる。天軍の総帥であり、右手に剣を持った姿で描かれる。


聖書において天使の翼に関する記述は無い。その造形はギリシア神話における勝利の女神ニケ(Nike)が由来であると考えられている。


ミカエル、最大の見せ場は新約聖書『ヨハネの黙示録』12である。そこには以下のような記載がある。

「かくて天に戰爭おこれり、ミカエル及びその使たち龍とたたかふ。龍もその使たちも之と戰ひしが、勝つこと能はず、天には、はや其の居る所なかりき。かの大なる龍、すなわち惡魔と呼ばれ、サタンと呼ばれたる全世界をまどはす古き蛇は落され、地に落され、その使たちも共に落されたり。」

おそらくは翼の生えた勝利の女神と、戦争における戦士の姿とが融合され、現代におけるミカエルのイメージを形作ったのであろう。

【サタニャエル】(性別:???)

ミカちゃん一人だと心配なので付いて来た。色んなことに詳しい黒猫。「サタニャエル」を名乗っているが、悪魔サタナエルと同一視されるかは謎。ビヨンデッタから「サマエル」と呼ばれてもおり、そうであれば楽園でイヴを誘惑した蛇であるとも言える。非常に好奇心旺盛で勉強熱心。たまに悪魔っぽいが、基本的には常識的。


(うんちく)

「猫に九生有り」のことわざは、高いところから落ちてもうまく着地してしぶとく生き残る、タフさから来ていると考えられる。何故「九生」なのかは定説は無いが、エジプト神話の猫頭の女神バステトが九つの魂を持っていたことに由来するのではないか、と言われる。そのようにしぶとい猫を殺すには「好奇心」が効果的であるとことわざは言う(「好奇心は猫を殺す」)。つまり人に知恵を与えたサマエルが、その罪によって神の罰を受けることの暗示として、サタニャエルというキャラクタは造られている。


サマエルは「神の悪意」という意味を持つ。12枚の翼を持つことから、堕天使ルシファーとも同一視される。

【ビヨンデッタ】(性別:男性 or 女性)

ミカを「お姉さま」と慕う悪魔の少女。その正体はソロモン72柱序列第1位ともされる魔王ベルゼブブ。ニーチェを好み、強き者が強くある世界こそが最も美しいと考えている。人間を「草」と呼び、その愚鈍さを嘲笑する。


(うんちく)

作中にあるように、ベルゼブブの由来はウガリット神話における豊穣の神バアル・ゼブル。バアルの信仰は旧約聖書において偶像崇拝として忌み嫌われ、度々敵対した。バアル・ゼブルをバアル・ゼブブと読み替えることで、その意味を「気高き主」から「蠅の王」へと貶めた。


「ビヨンデッタ」の名前は幻想小説の父J・カゾットの『悪魔の恋』に由来する。主人公のアルヴァーレは知的好奇心により悪魔ベルゼブブを呼び寄せ、そのベルゼブブは「ビヨンデット」という名の少年として彼に仕えた。やがて「ビヨンデット」は「ビヨンデッタ」という少女となり、アルヴァーレに強く愛を語る。そしてアルヴァーレは苦悩の末にビヨンデッタを愛してしまう。あまりにあっけない結末についてはここで語らない。


ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』は死の象徴として蠅が描かれる。また、理性を凌駕する闘争心は豚の首として表れた。作中でビヨンデッタが豚肉を好んでいるのも、そうした背景による。

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