7.腐ったミカンと禁酒法

文字数 1,350文字

死んだ蠅は、調合された香油を臭くし、腐らせる。

僅かな愚かさは、知恵や名誉よりも影響力を持つ。

この言葉から、「the fly in the ointment」という慣用句が生まれた。

直訳すると「軟膏の中の蠅」だけど、日本語では「玉にきず」と言うね。

西洋のっちゅうか、キリスト教圏の慣用句は聖書由来なんが色々あるな。

誰かを打ち負かすんを「have (one's) foot on (someone's) neck」とか。

確かに、せっかくの香油に蠅が沈んで腐らせてしまっては台無しですわね。

ほんのちょっとの異物が紛れ込むだけで全体をダメにしてしまう。

「one bad apple spoils the (whole) barrel」

ひとつの腐ったリンゴが樽全体を台無しにしてしまう。

日本では「腐ったミカン」とよく表現されましてよ。

愚かな者は道を行く時も、思慮に欠け、

すべての人を愚か者と言う。

アホ言う奴がアホやって言うしな。

アホはアホやから自分がアホやて分からんのや。

アホアホ言うとったらなんか楽しゅうなってきよった。
関西人にとって「アホ」はさしてきつい言葉ではないからね。
お姉さま……。

関西人でしたの。

『箴言』では、自分を賢いと思うものよりも愚か者の方がマシだと言った。

『コヘレト』ではどちらも似たようなものということかもしれないね。

自分を賢いと思うからこそ、他人を平気で「愚か」だと罵るのさ。

先ほどの蠅の話と繋げると面白いですわね。

その愚か者は腐った蠅のように強い影響力を持つのでしょう。

大きな声で他者を「愚か」と罵り同調者を募る……。

これ、すなわちアジテーター(扇動者)と申します。
特に正義を語る言葉には注意したいところだ。

アメリカ合衆国における禁酒法なんかが分かりやすいね。

禁酒法?

酒飲んだらあかん、みたいな法律なんか?

アルコールすなわち悪という価値観によって制定された法律さ。

主に敬虔なキリスト教団体がそれを後押しした。

彼らはまさしく自分たちを賢いと信じたろうね。

日本語では「禁酒運動」と訳されるけれど、英語だと「temperance movement」

つまり「節制運動」とでも呼ぶべきものだ。

そして「節制」はキリスト教における7つの美徳に含まれる。

その節制を脅かす酒を禁じることで、貧困、犯罪、暴力や病を解消できると信じた。

なんとまあ……。

そのような単純思考でよくも何かを主張できますこと。

もちろん全てのキリスト教会が禁酒法に賛同したわけでもない。

しかし結果として禁酒法は施行され、実際に「効果」は出た。

飲酒運転、密輸、ギャングの資金源増加という「効果」がね。

禁止された言うても抜け道は色々あるやろな。

むしろこっそりやられるんが増えて実態も把握でけへん。

草どもの持つ悪性を外部要因に帰するとそうもなりましょう。

善でもあり悪でもあると聖書に書いてありましてよ。

連中、聖書の読み込みが足りないのではなくって?

結局、禁酒法は1920年から1933年まで続いた。

さすがに現在において禁酒法をもう一度という声は聞かないね。

あってもごく少数だろうさ。

しかし、似たような話は姿を変え、形を変えて現れる。

そしてそれは毎度、正義の衣を着てくるわけだ。

どこに腐った蠅がおるか分からん。

よう気を付けて、見定めるんや。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

【ミカ】(性別:無性 時々 男性)

神様の命令で人々を見守ることになった大天使ミカエル。サタニャエルくんに色々教えてもらう生徒役。ただ何も知らないお馬鹿ではなく、それなりに常識人。特に戦争に関することはなかなか詳しい。無意味な殺戮は嫌うが、戦争そのものは悪と見做さない。ビヨンデッタの作った「ケーキ」にトラウマがある。


(うんちく)

その名は「神に似たるものは誰か」という意味を持つ。ミカエルはMa-Ha-Elと分解され、「偉大なる神」の意味ともされる。天軍の総帥であり、右手に剣を持った姿で描かれる。


聖書において天使の翼に関する記述は無い。その造形はギリシア神話における勝利の女神ニケ(Nike)が由来であると考えられている。


ミカエル、最大の見せ場は新約聖書『ヨハネの黙示録』12である。そこには以下のような記載がある。

「かくて天に戰爭おこれり、ミカエル及びその使たち龍とたたかふ。龍もその使たちも之と戰ひしが、勝つこと能はず、天には、はや其の居る所なかりき。かの大なる龍、すなわち惡魔と呼ばれ、サタンと呼ばれたる全世界をまどはす古き蛇は落され、地に落され、その使たちも共に落されたり。」

おそらくは翼の生えた勝利の女神と、戦争における戦士の姿とが融合され、現代におけるミカエルのイメージを形作ったのであろう。

【サタニャエル】(性別:???)

ミカちゃん一人だと心配なので付いて来た。色んなことに詳しい黒猫。「サタニャエル」を名乗っているが、悪魔サタナエルと同一視されるかは謎。ビヨンデッタから「サマエル」と呼ばれてもおり、そうであれば楽園でイヴを誘惑した蛇であるとも言える。非常に好奇心旺盛で勉強熱心。たまに悪魔っぽいが、基本的には常識的。


(うんちく)

「猫に九生有り」のことわざは、高いところから落ちてもうまく着地してしぶとく生き残る、タフさから来ていると考えられる。何故「九生」なのかは定説は無いが、エジプト神話の猫頭の女神バステトが九つの魂を持っていたことに由来するのではないか、と言われる。そのようにしぶとい猫を殺すには「好奇心」が効果的であるとことわざは言う(「好奇心は猫を殺す」)。つまり人に知恵を与えたサマエルが、その罪によって神の罰を受けることの暗示として、サタニャエルというキャラクタは造られている。


サマエルは「神の悪意」という意味を持つ。12枚の翼を持つことから、堕天使ルシファーとも同一視される。

【ビヨンデッタ】(性別:男性 or 女性)

ミカを「お姉さま」と慕う悪魔の少女。その正体はソロモン72柱序列第1位ともされる魔王ベルゼブブ。ニーチェを好み、強き者が強くある世界こそが最も美しいと考えている。人間を「草」と呼び、その愚鈍さを嘲笑する。


(うんちく)

作中にあるように、ベルゼブブの由来はウガリット神話における豊穣の神バアル・ゼブル。バアルの信仰は旧約聖書において偶像崇拝として忌み嫌われ、度々敵対した。バアル・ゼブルをバアル・ゼブブと読み替えることで、その意味を「気高き主」から「蠅の王」へと貶めた。


「ビヨンデッタ」の名前は幻想小説の父J・カゾットの『悪魔の恋』に由来する。主人公のアルヴァーレは知的好奇心により悪魔ベルゼブブを呼び寄せ、そのベルゼブブは「ビヨンデット」という名の少年として彼に仕えた。やがて「ビヨンデット」は「ビヨンデッタ」という少女となり、アルヴァーレに強く愛を語る。そしてアルヴァーレは苦悩の末にビヨンデッタを愛してしまう。あまりにあっけない結末についてはここで語らない。


ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』は死の象徴として蠅が描かれる。また、理性を凌駕する闘争心は豚の首として表れた。作中でビヨンデッタが豚肉を好んでいるのも、そうした背景による。

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色