8.支配者への服従

文字数 1,884文字

人はみな、上に立つ権威に従うべきです。

神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものなのです。

したがって、権威に逆らう者は、神の定めに背くのであり、

背く者は自分の身に罰の宣告を招きます。

随分と、為政者にとって都合の良い話ではございませんこと?

市民は国に対しては絶対服従だと言うようなものではありませんか。

言うて権威が絶対なわけでもないやろ。

今までかて、散々やらかしとったやん。

そのせいで国が滅んだりもしたんやし。

想像つくと思うけれど、この箇所は多くの議論を巻き起こした。

「パウロ書簡でこの節(1-7)ほど乱用された箇所も少ない」

英国の神学者ジョン・バートンと司祭ジョン・マディマンによるコメントだ。

(Barton, John, and John Muddiman, eds. 

The Oxford Bible Commentary. Oxford University Press, 2007, 1104.)

容易に思い描けましてよ。

圧制者が聖書によって自己を肯定する様が。

なんとも愉快な光景ですこと。

分かりやすいところで言えば、アメリカ独立革命がある。

かつてアメリカはイギリス帝国の植民地だった。

そこからの独立を果たすための戦争及び共和制国家の樹立を指す言葉だ。

言葉だけ聞くとアメリカ対イギリスという感じがするね。

しかし実際のところ、アメリカも一枚岩ではなかった。

イギリスを支持した人たちもいて、彼らはロイヤリスト、英国王党派と呼ばれた。

対する勢力がパトリオット、革命派さ。

ロイヤリストはloyalistで、忠誠主義者という意味ですわね。
そしてロイヤリストたちが引用したのがこのパウロ書簡。

ローマの人々への手紙(ロマ書)第13章なのさ。

もちろんパトリオットたちも反論する。

王は権威に相応しくないと言ってね。

権威が神様から与えられたもんやとしても、その権威の正当性は揺らぐわけやな。

まあ、ヨーロッパなんか、あっちこっちで支配者が代わっとる。

何を今さら言うとんねんって感じするわ。

ロマ書第13章。

実はつい最近、またもアメリカで引用されて話題になった。

2018年のトランプ政権で、不法移民が取り沙汰されている時期のこと。

「子供を家族から引き離すのか」という批判に対する反論で使われたんだ。

不法移民の家族を引き離す?

どこかで聞いたような話ですわね。
どこにでもある話さ。

批判に応じたのは当時の司法長官ジェフ・セッションズ。

アメリカ合衆国の政治家であり法律家でもある。

彼は法を権威とし、それに従うことが秩序のためであるとしたのさ。

“I would cite you to the Apostle Paul and his clear and wise command in Romans 13 to obey the laws of the government because God has ordained them for the purpose of order,” said Sessions.


(意訳)

使徒パウロによるロマ書第13章の明瞭かつ賢明な展望を引き合いに出そうと思う。

統治における法に従うべしとは、神が秩序を保つために定めたものなのだ。


(The Gurdian "Sanders uses Bible to defend Trump's separation of children from families at border" 参照)

法律には従わなあかんやろけど。

それで引き裂かれる家族がおるのはやっぱ悲しいで。

仕方ないことなんかなあ……。

しかし、よろしいのかしら。

体制側の人間が、ロマ書第13章の引用などして。

そこがどういった成り立ちの国かお忘れでして?

まさしく。

ジョージ・メイソン大学助教授のリンカーン・ミューレンは「諸刃の剣」だと批判した。

立場を変えて見れば法が相応しくないということに過ぎない。

結局のところロマ書第13章は、為政者の立場で都合よく引用されているのさ。

せやけど、パウロはなんでこないなこと書いたんやろ。

話ややこしくなっとるやんか。

時代背景を見た方が良いだろうね。

当時はローマ帝国支配下にあって、まだキリスト教の迫害は盛んではなかった。

ローマ帝国との関係を良くしたいという思惑があったのかもしれない。

それにこれはあくまでキリスト教徒側から見ての話だ。

決して、為政者側の教義ではない。

後世では支配者側の引用が多くとも、本来は被支配者側がどう振る舞うかの主体になる。

そこをはき違えてはいけない、という指摘もあるね。

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登場人物紹介

【ミカ】(性別:無性 時々 男性)

神様の命令で人々を見守ることになった大天使ミカエル。サタニャエルくんに色々教えてもらう生徒役。ただ何も知らないお馬鹿ではなく、それなりに常識人。特に戦争に関することはなかなか詳しい。無意味な殺戮は嫌うが、戦争そのものは悪と見做さない。ビヨンデッタの作った「ケーキ」にトラウマがある。


(うんちく)

その名は「神に似たるものは誰か」という意味を持つ。ミカエルはMa-Ha-Elと分解され、「偉大なる神」の意味ともされる。天軍の総帥であり、右手に剣を持った姿で描かれる。


聖書において天使の翼に関する記述は無い。その造形はギリシア神話における勝利の女神ニケ(Nike)が由来であると考えられている。


ミカエル、最大の見せ場は新約聖書『ヨハネの黙示録』12である。そこには以下のような記載がある。

「かくて天に戰爭おこれり、ミカエル及びその使たち龍とたたかふ。龍もその使たちも之と戰ひしが、勝つこと能はず、天には、はや其の居る所なかりき。かの大なる龍、すなわち惡魔と呼ばれ、サタンと呼ばれたる全世界をまどはす古き蛇は落され、地に落され、その使たちも共に落されたり。」

おそらくは翼の生えた勝利の女神と、戦争における戦士の姿とが融合され、現代におけるミカエルのイメージを形作ったのであろう。

【サタニャエル】(性別:???)

ミカちゃん一人だと心配なので付いて来た。色んなことに詳しい黒猫。「サタニャエル」を名乗っているが、悪魔サタナエルと同一視されるかは謎。ビヨンデッタから「サマエル」と呼ばれてもおり、そうであれば楽園でイヴを誘惑した蛇であるとも言える。非常に好奇心旺盛で勉強熱心。たまに悪魔っぽいが、基本的には常識的。


(うんちく)

「猫に九生有り」のことわざは、高いところから落ちてもうまく着地してしぶとく生き残る、タフさから来ていると考えられる。何故「九生」なのかは定説は無いが、エジプト神話の猫頭の女神バステトが九つの魂を持っていたことに由来するのではないか、と言われる。そのようにしぶとい猫を殺すには「好奇心」が効果的であるとことわざは言う(「好奇心は猫を殺す」)。つまり人に知恵を与えたサマエルが、その罪によって神の罰を受けることの暗示として、サタニャエルというキャラクタは造られている。


サマエルは「神の悪意」という意味を持つ。12枚の翼を持つことから、堕天使ルシファーとも同一視される。

【ビヨンデッタ】(性別:男性 or 女性)

ミカを「お姉さま」と慕う悪魔の少女。その正体はソロモン72柱序列第1位ともされる魔王ベルゼブブ。ニーチェを好み、強き者が強くある世界こそが最も美しいと考えている。人間を「草」と呼び、その愚鈍さを嘲笑する。


(うんちく)

作中にあるように、ベルゼブブの由来はウガリット神話における豊穣の神バアル・ゼブル。バアルの信仰は旧約聖書において偶像崇拝として忌み嫌われ、度々敵対した。バアル・ゼブルをバアル・ゼブブと読み替えることで、その意味を「気高き主」から「蠅の王」へと貶めた。


「ビヨンデッタ」の名前は幻想小説の父J・カゾットの『悪魔の恋』に由来する。主人公のアルヴァーレは知的好奇心により悪魔ベルゼブブを呼び寄せ、そのベルゼブブは「ビヨンデット」という名の少年として彼に仕えた。やがて「ビヨンデット」は「ビヨンデッタ」という少女となり、アルヴァーレに強く愛を語る。そしてアルヴァーレは苦悩の末にビヨンデッタを愛してしまう。あまりにあっけない結末についてはここで語らない。


ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』は死の象徴として蠅が描かれる。また、理性を凌駕する闘争心は豚の首として表れた。作中でビヨンデッタが豚肉を好んでいるのも、そうした背景による。

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