3.系図(ダビデ~バビロン捕囚)
文字数 1,491文字
ウリヤの妻はバト・シェバのことやったな。
ダビデは自分の部下ウリヤの嫁さん奪って、激戦地に送って死なせたんや。
綺麗な顔してとんでもないやっちゃ。
『サムエル記下』第11章15節
ダビデは手紙にこう書いた。
「ウリヤを激戦の行われている最前線に出し、お前たちは彼の後方に退け。
彼は討たれて戦死するだろう」。
このような行いは罪深く、神の御心にかなわなかった。
イエス・キリストの系図において「ウリヤの妻」と書く理由さ。
ここではダビデの罪深さを強調しているんだ。
そしてその罪深き関係より生まれしはソロモン。
彼の知恵はイスラエルを大いに繁栄させたとか。
もっとも、彼は大勢の外国人妻を娶り、偶像崇拝まで行いました。
この罪ゆえに彼の死後、イスラエルは南北に分裂したと申します。
レハブアムはユダ王国初代国王。
要するに彼の時代にイスラエルは南北に分裂してしまったというわけだ。
重税と賦役により民心が離れ、ヤロブアム1世率いる北イスラエル王国が離反した。
アビヤは『列王記』と『歴代誌』で評価が真逆になっとる。
『列王記』やと神様に従わへん。
やのに『歴代誌』やったらなんでか神様に忠実な人物として描かれとる。
ヤロブアムとの戦いで前後挟み撃ちになっても返り討ちや。
アサの場合は状況が逆ですわね。
『列王記』でも『歴代誌』でも基本的には神に忠実。
けれど『歴代誌』でアサは後半神に頼らず、不忠実であったと記されています。
ヨシャファトは北イスラエル王国との融和を図る。
そこでイラスエル王アハブの娘アタルヤを、自分の息子ヨラムの妻とした。
しかしアタルヤは後に悲劇的な最期を迎える。
アタルヤはイスラエル王アハブとイゼベルの娘。
彼ら親子はウガリトの神バアルを崇拝する偶像崇拝者だった。
預言者エリヤとイゼベルに従うバアルの預言者たちの対決は見所の一つ。
そのような妻を娶ったヨラムもまた偶像崇拝に傾倒いたしましたわ。
まこと、己の妻はよくよく考えて選ばねばなりませんわね。
ん?
ヨラムの子はウジヤやのうてアハズヤやろ。
アハズヤ、ヨアシュ、アマツヤ、そんでようやくウジヤや。
三人も飛ばされとるやん。
「子」と言った場合、それは「子孫」という意味も含むのさ。
これは系図を14代、14代、14代と繋げるための技巧だと言う。
アブラハムからダビデで14代。
ダビデからバビロン捕囚当時までで14代。
バビロン捕囚後からイエスで14代。
ウジヤの子はヨタム、
ヨタムの子はアハズ、
アハズの子はヒゼキヤ
ヨタムもアハズも偶像崇拝を行った。
それに対してヒゼキヤは改革者だ。
アッシリア王センナケリブの侵攻を防ぎ切った実績まである。
お姉さまの力があれば、イスカンダルとて相手にならぬでしょう。
アモンもマナセと同様の政治を行った。
対して、ヨシヤは宗教改革を行い、神に戻ろうとした。
ヨシヤの子はバビロン捕囚当時の、エコンヤとその兄弟たちである
エコンヤは「エホヤキン」とか「ヨヤキム」とも書かれる。
『エレミヤ書』でエレミヤの巻物を役人のユディに焼かせた人物だ。
彼は捕囚後、生活費を支給され、バビロニアの王の側で食事をしたと言う。
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