2.同性愛の是非

文字数 1,349文字

パウロはまず「異邦人の罪」について手紙に書いている。

神を正しく信仰せず、偶像崇拝や姦淫に耽っていたことがそれだと言うわけだ。

そんな中、次の箇所は現代において非常にポピュラーな論点となっている。

『ローマの人々への手紙』第1章26-27節

こういうわけで、神は彼らを恥ずべき情欲に任せられました。

女は自然な関係を自然に悖(もと)る関係に替え、男も同じように、

女との自然な関係を捨てて互いに情欲を燃やし、男と男が恥ずべきことを行い、

無軌道な行為に対する当然の報いをわが身に受けているのです。

婉曲的な言い回しですが、要するに同性愛について語っていますのね。

女同士だとか男同士の情欲は「無軌道な行為」である、と。

せやかて、今までもなんかそれっぽいこと言うとったやん。

ダビデとヨナタンの関係とか、イエス様とヨハネの少年愛とか。

ダビデとヨナタンについては、いわゆるプラトニックラブだという解釈だね。

イエスとヨハネについては憶測の域を出ない。

また、男色については『レビ記』で禁じられてもいる。

『レビ記』第18章22節

お前は女と寝るように男と寝てはならない。それは忌むべきことである。


『レビ記』第20章13節

人が女と寝るように男と寝るなら、二人は忌まわしいことを行ったのであり、

彼らは死刑に処せられる。その血の責任は彼ら自身のうえにある。

『レビ記』かあ……。

せやけど、「寝る」としか言うてへんやん。

これやったら「性交」は含んでへんと言われへんやろか。

歴史家のジョン・ボズウェルが1981年にそういった主張をしている。

しかしデイビット・F・グリーンバーグといった学者たちに否定されてもいる。

その理由は『レビ記』のギリシア語翻訳、七十人訳聖書にある。

そこでは男をアルセン(arsen)、ベッドをコイテ(koite)としている。

この二つの言葉から造られた単語がアルセノコイティースで男色の意味を含むんだ。

つまり、『レビ記』の時代には直接的な表現が無かった。

単に婉曲的な表現を使っていたに過ぎないということ。

普通に読めば『レビ記』が男色を示さないというのも違和感がありますし。

妥当な判断ではないかしら。

ただし、アルセノコイティース(arsenokoites)は単に同性愛という意味だけじゃない。

それよりは、金銭等で少年を手に入れて、己の性的欲望を満たすような奴を指す。

うえっ……。

なんやそれ。

そう言えば近年もどこぞで児童虐待の話題が持ち上がりましたわね。

ここが重要なポイントでもある。

僕らが一般に「同性愛」と言った場合、それは対等な関係における恋愛についてだ。

しかしパウロ書簡で語られているのは、搾取的なものではないかと考えられるのさ。

つまり聖書が禁じてるのは同性愛全部やない。

大人の男が少年を無理に奪うような行為があかんちゅうことか。

今ほどに同性愛が認知されているわけでもない。

目に付くのは、そうした社会問題だったんじゃないかな。

ならば聖書は現代における同性愛を禁じていないと?

そのように判断してしまって良いのかしら?

このへんは解釈の世界だ。

悪魔の僕としては、好きなようにしてくれと思うばかりさ。

2000年の間に人の考えはころころ変わってるんや。

1000年後にはこの問題もとっくに終わってて、全然別のことで騒いでると思うわ。

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登場人物紹介

【ミカ】(性別:無性 時々 男性)

神様の命令で人々を見守ることになった大天使ミカエル。サタニャエルくんに色々教えてもらう生徒役。ただ何も知らないお馬鹿ではなく、それなりに常識人。特に戦争に関することはなかなか詳しい。無意味な殺戮は嫌うが、戦争そのものは悪と見做さない。ビヨンデッタの作った「ケーキ」にトラウマがある。


(うんちく)

その名は「神に似たるものは誰か」という意味を持つ。ミカエルはMa-Ha-Elと分解され、「偉大なる神」の意味ともされる。天軍の総帥であり、右手に剣を持った姿で描かれる。


聖書において天使の翼に関する記述は無い。その造形はギリシア神話における勝利の女神ニケ(Nike)が由来であると考えられている。


ミカエル、最大の見せ場は新約聖書『ヨハネの黙示録』12である。そこには以下のような記載がある。

「かくて天に戰爭おこれり、ミカエル及びその使たち龍とたたかふ。龍もその使たちも之と戰ひしが、勝つこと能はず、天には、はや其の居る所なかりき。かの大なる龍、すなわち惡魔と呼ばれ、サタンと呼ばれたる全世界をまどはす古き蛇は落され、地に落され、その使たちも共に落されたり。」

おそらくは翼の生えた勝利の女神と、戦争における戦士の姿とが融合され、現代におけるミカエルのイメージを形作ったのであろう。

【サタニャエル】(性別:???)

ミカちゃん一人だと心配なので付いて来た。色んなことに詳しい黒猫。「サタニャエル」を名乗っているが、悪魔サタナエルと同一視されるかは謎。ビヨンデッタから「サマエル」と呼ばれてもおり、そうであれば楽園でイヴを誘惑した蛇であるとも言える。非常に好奇心旺盛で勉強熱心。たまに悪魔っぽいが、基本的には常識的。


(うんちく)

「猫に九生有り」のことわざは、高いところから落ちてもうまく着地してしぶとく生き残る、タフさから来ていると考えられる。何故「九生」なのかは定説は無いが、エジプト神話の猫頭の女神バステトが九つの魂を持っていたことに由来するのではないか、と言われる。そのようにしぶとい猫を殺すには「好奇心」が効果的であるとことわざは言う(「好奇心は猫を殺す」)。つまり人に知恵を与えたサマエルが、その罪によって神の罰を受けることの暗示として、サタニャエルというキャラクタは造られている。


サマエルは「神の悪意」という意味を持つ。12枚の翼を持つことから、堕天使ルシファーとも同一視される。

【ビヨンデッタ】(性別:男性 or 女性)

ミカを「お姉さま」と慕う悪魔の少女。その正体はソロモン72柱序列第1位ともされる魔王ベルゼブブ。ニーチェを好み、強き者が強くある世界こそが最も美しいと考えている。人間を「草」と呼び、その愚鈍さを嘲笑する。


(うんちく)

作中にあるように、ベルゼブブの由来はウガリット神話における豊穣の神バアル・ゼブル。バアルの信仰は旧約聖書において偶像崇拝として忌み嫌われ、度々敵対した。バアル・ゼブルをバアル・ゼブブと読み替えることで、その意味を「気高き主」から「蠅の王」へと貶めた。


「ビヨンデッタ」の名前は幻想小説の父J・カゾットの『悪魔の恋』に由来する。主人公のアルヴァーレは知的好奇心により悪魔ベルゼブブを呼び寄せ、そのベルゼブブは「ビヨンデット」という名の少年として彼に仕えた。やがて「ビヨンデット」は「ビヨンデッタ」という少女となり、アルヴァーレに強く愛を語る。そしてアルヴァーレは苦悩の末にビヨンデッタを愛してしまう。あまりにあっけない結末についてはここで語らない。


ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』は死の象徴として蠅が描かれる。また、理性を凌駕する闘争心は豚の首として表れた。作中でビヨンデッタが豚肉を好んでいるのも、そうした背景による。

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