34.神父と牧師
文字数 1,180文字
神父と牧師の違い?
うーん、正直よう分からんわ。
聖書にはどっちも出てこんし。
簡単に言えば神父とはカトリック、牧師はプロテスタントの役職ですわね。
お姉さまが頭を悩ませるようなことではございません。
僕ら悪魔にとってはどうでもいいことだけれどね。
当人たちにとっては重大な問題なのさ。
特に「神父」と言う表現は少し問題ありな気がするね。
『マタイによる福音書』の続きを見てみよう。
あなた方は『先生』と呼ばれてはならない。
あなた方の先生はただひとりで、あなた方はみな兄弟だからである。
誰であれ、地上の者を『父』と呼んではならない。
あなた方の父はただひとり、天におられる方だけである。
また、あなた方は『教師』と呼ばれてもならない。
あなた方の教師はただひとり、メシアだけである。
父は神のみだから、誰かを「父」と呼んではいけないらしい。
なら神「父」はどうだって話だ。
日本語の神父は英語でFather、フランス語でPereとなる。
ゴッド・ファーザー……。
せやけど、そんなん誰が言い始めたんやろ。
「父」という言葉を使い始めたのはおそらく聖ベネディクト。
6世紀に西方教会における修道制度を創設した人物だ。
彼が修道院のリーダーとして「abbot」「abbess」というものを作り出した。
それぞれ「大修道院長」「女子修道院長」を意味する。
実はこの言葉はアラム語の「abba」が由来で、その意味は「父」なのさ。
初期キリスト教の教会では、互いに兄弟とか姉妹と呼び合っていた。
イエスの「父と呼んではならない」という教えを厳格に守っていたんだね。
だけどそれも数百年経って、緩やかに受け止められてくる。
わたくしにはどうでも良いことですが……。
いったいどのような理屈でそれを良しとするのかしら。
聖書に書いてあることをがちがちに守らんでもええんちゃうか?
それこそイエス様が嫌った律法主義になりそうやん。
そんなところかな、と思うよ。
イエスは律法学者やファリサイ派の偽善を強く批判した。
その文脈における「父と呼んではならない」という言葉だ。
杓子定規に守るべきでないという考えもあるだろう。
まったくの詭弁、とでも思ったのかしら。
それ故、プロテスタントは神父ではなく牧師と名乗り始めたのでは?
牧師はラテン語でpastorと言う。
その意味は「羊飼い」だ。
迷える羊さんたちを導く人ってことやな。
父でも教師でもない、ちょっと教会慣れしとるけど、対等な関係やで。
プロテスタントは教派がとてつもなく多い。
日本だけでも200以上、世界に20万はあると言われている。
全ての教派を把握するのはもう不可能だね。
唯一の神にしては、バリエーション豊かで楽しいこと。
まあ、日本には800万の神様がおるみたいやし、少ない方やろ。
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