7.憐れみ深い神の知恵
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とは言え、それでユダヤ人は完全に神に見放されたというわけではない。
そもそもイエス・キリストがユダヤ人だし、パウロ自身もユダヤ人だ。
信仰に目覚めさえすれば、また神に近づけるはずなのさ。
決してそうではありません。
わたしもイスラエル人で、アブラハムの子孫の一人であり、ベニヤミン族の者です。
元の木の根から来る豊かな養分にあずかっているからといって、
元の木の枝に対して誇ってはなりません。
一言で表現すると、何かしら木の枝を別の木に繋ぎ合わせる手法だよ。
その時、枝の方を「接ぎ穂」と言い、土台となる木を「台木」と言う。
接ぎ木は近縁である方が定着しやすいけれど、そうでない組み合わせもよくある。
ユダヤ人にせよ異邦人にせよ、枝であることに変わりはない。
大事なのは根っこで、その恵みを受け取っているからといって驕ってはいけない。
そしてもしユダヤ人が回心すれば、野生の枝よりもスムーズに繋がれるとまで言う。
手を加えて栽培されているオリーブに接ぎ木されたとすれば、
まして、もともと栽培されているオリーブの枝は、
どれほどよく元の木に接ぎ木されることでしょう。
元々はユダヤ人が神の恵みを得ていたけれど、今は異邦人が憐れみを得ている。
しかし折れた枝はまた接ぎ木することが出来る。
ユダヤ人もまた同じように憐れみを得ることが出来るというのさ。
それはすべての人を憐れむためだったのです。
ああ、神の富と知識の深さよ。
神の定めは悟り難く、その道は窮め難い。
とこしえに神に栄光がありますように。アーメン。