21.デメトリオス2世ニカトルとの対立
文字数 1,401文字
ヨナタン・アフスはユダヤの人々を集め、エルサレム攻撃の準備を進めた。
しかし自分の民族を憎む一部の無法の者どもがシリア王に訴えた。
王は怒ってプトレマイスに出陣し、ヨナタンに包囲を解くよう手紙を出した。
なんや?
ヨナタンはエルサレムを追い出されでもしたんか?
相変わらずユダヤ人同士で争っている、ということかな。
ヨナタンはエルサレムは包囲させたまま、ニカトルの元に行った。
そして金銀財宝を渡してニカトルの好意を得た。
ニカトルはユダヤ人に領土の承認と免税特権を与えた。
しかし、その王の地位を揺るがす者が現れた。
ディオドトス・トリュフォンだ。
ニカトルは世の中が平穏になったのを見て、傭兵部隊以外の部隊を解散させた。
それゆえに兵士たちの恨みを買い、トリュフォンはそれに乗じた。
先王の息子アンティオコス6世ディオニュソスを擁立し、ニカトルに反旗を翻した。
部隊を解散って……。
またアホなことしよってからに。
そうとも言い切れない。
平時において軍備を縮小するのは世の常だ。
例えば平安時代、桓武天皇は軍団を廃止したことで知られている。
要するに大幅な兵士のリストラさ。
軍団は白村江(はくすきのえ)で大敗した相手、唐と新羅を警戒した軍事力だった。
しかしその脅威も弱まってきたということで、軍事力を大幅に縮小した。
兵士として雇うからには、それを養わなければならない。
それよりは農民にでも戻って税を納める側に行ってもらいたい。
まあ、分からなくもありませんわね。
しかし、そのせいかは分からないけどね。
9世紀初め頃から新羅の海賊がちょくちょく九州を襲うようになったらしい。
これを「新羅の入寇」「新羅寇」と言う。
アンティオキアでニカトルは民心を失いつつあった。
12万もの人々が集まり、ニカトルを殺そうとしたと言う。
しかしニカトルにはこれを鎮圧するだけの武力が無かった。
そういうわけでニカトルはヨナタンに救援を請うた。
相変わらず内輪揉めをしているヨナタンを、後々助けると言ってね。
王はユダヤ人に助けを求めた。
彼らは10万人を殺し、町に火を放ち、多くの分捕り品を奪い、王を救い出した。
しかし、そのおかげでニカトルは王座に戻れましてよ。
その後、トリュフォンは少年アンティオコスを伴って戻ってきた。
ニカトルが見捨てた軍全体がアンティオコスのもとに結集し、ニカトルと戦った。
そしてニカトルは敗走した。
西部地方はトリュフォン擁するアンティオコスを王として認めた。
しかし東北地方はニカトルを王としていた。
つまり、シリアには二人の王が同時並行に存在していたことになる。
そのアンティオコスからヨナタンに手紙が送られた。
ヨナタンを大祭司として認め、兄シモンを広い地域の総督に任じるというものだ。
せやけどヨナタンはニカトルと仲良うしとったやないか。
そんなあっさり見捨てられへんのとちゃうか?
ヨナタンは川向こうの地方と町々を巡回するために出発した。
シリアの軍全体は彼のもとに集まり、同盟軍となった。
弱肉強食の世界だ。
仕方ないさ。
ニカトルだって王位の簒奪者ではあるしね。
そしてヨナタンはニカトルと対立した。
デメトリオス配下の将軍と戦い、これを打ち破りもしたんだ。
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