1.キリスト教迫害

文字数 2,158文字

今や世界宗教となったキリスト教だけれど、最初からそうだったわけじゃない。

これまでもユダヤ教徒たちとの対立は観てきた通りだ。

そしてローマ帝国との関係も時に悪化させ、それは迫害へと繋がった。

実のところ、ローマ帝国は宗教に対して寛容な国家だ。

個々人が何を信じても自由で、他民族国家らしい在り方を示していた。

しかし、どうも一神教というのは多様性に馴染まないらしい。

国家における宗教行事への不参加は、周囲の敵意を呼び寄せることとなる。

『エステル記』のユダヤ民族と同じやな。

ユダヤ人のモルデカイがアガグ人の宰相ハマンと対立しとった。

そんでユダヤ人撲滅の勅令とか出されたり。

エステルの活躍でなんとかなったけどな。

宗教のせいで対立生んでもうたんは間違いあらへん。

『エステル記』はバビロン捕囚時のユダヤ人を表現していますわね。

内容的には創作色が強いのでしょうけれど。

それでも、何かしらの軋轢があったことは間違いないでしょう。

ローマにおけるキリスト教は、バビロニアにおけるユダヤ教みたいなもんだろう。

バビロニアもまた大帝国として、各民族の宗教に対して寛容だった。

キリスト教徒たちへの悪感情が周囲に芽生えていた。

そのことが『ペトロの第一の手紙』から読み取れるんだ。

『ペトロの第一の手紙』第2章12節

異邦人の中にあって立派な生活を送りなさい。

そうすれば、異邦人は今、あなた方を悪人呼ばわりしていても、

あなた方の善い行いを見て、訪れの日に、神に栄光を帰するでしょう。

『ペトロの第一の手紙』第3章16節

それも、優しく、慎み深く、正しい思いをもって、答えなさい。

そうすれば、キリストと一致したあなた方の正しい生活を謗った人も、

あなた方に言った悪口を恥じ入るでしょう。

他人と違うことしとったら嫌われる。

これはもう、ずっとそうなんやろな。

いずれキリスト教が異教徒を迫害するのです。

草どもの知能など、知れていますわ。

この手紙を書いている時点でローマ帝国による公式の迫害があったかは議論がある。

歴史家のジョン・H・エリオットは以下の引用で、迫害を否定している。

『ペトロの第一の手紙』第2章13-14節

主のために、あなた方は、すべて人間の立てた制度に従いなさい。

主権者としての王であろうと、悪人を罰し、善人を表彰するため、

王から遣わされた総督であろうと、彼に従いなさい。

『ペトロの第一の手紙』第2章17節

すべての人を敬い、兄弟を愛し、神を畏れ、王を尊びなさい。

制度とか王様とかに従え言うとるな。

確かに、迫害されとるとこには言われへんやろ。

しかし、大々的でなくとも、法廷の場で迫害があったという主張もある。

ガイウス・プリニウス・カエキリウス・セクンドゥスという政治家がいた。

「小プリニウス」と称される人物で、トラヤヌス帝に送った手紙を送っている。

その内容は裁判における、キリスト教徒の取り扱いについて尋ねるものだった。

小プリニウスからトラヤヌス帝への手紙 英語訳の一部抜粋

whether the name itself, even though otherwise innocent of crime, should be punished, 

たとえ無実であったとしてもその名のゆえに罰を受けるべきでしょうか

聖書学者のジョン・ノックスという人が「名」について注目したと言う。

手紙の次の箇所を見てみよう。


(ジョン・ノックスがどこの誰かが把握出来ませんでした(-_-;) 複数の引用が確認出来たので、まともな引用だと判断して、そのまま進めます。もしご存知の方がいましたら、コメントにてお知らせください。)


Knox, John. Pliny and I Peter: A Note on I Peter 4:14–16 and 3:15. Journal of Biblical Literature 72:3. 1953

『ペトロの第一の手紙』第4章14-16節

もし、あなた方が、キリストの名のためにののしられるなら、幸いです。

神の霊である栄光の霊が、あなた方の上に留まってくださるからです。

あなた方のうち、誰も、人殺し、どろぼう、あるいは、他人に害を加える者、

他人のことに干渉する者となって、苦しみを受けることのないようにしなさい。

しかし、もしキリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。

むしろ、この名の故に、神に栄光を帰しなさい。

キリストの名のために迫害を受けるとしても恥じることはない……。

といった風に読めるかな。

そして次の箇所は裁判における心の持ちようについて語っている、とも読める。

『ペトロの第一の手紙』第3章15節

ただ、心の中で主キリストを崇めなさい。

あなた方が抱いている希望について問いただす人には、

いつでも、答えられるように用意していなさい。

難しいとこやな。

当時のローマ帝国が実際にキリスト教をどう見てたかやろ。

小プリニウスの手紙も、あくまで質問やし。

いずれにせよ、そんな質問が出る時点でやっかいな連中ですわね。

国家の秩序を乱す迷惑集団でしてよ。

手紙の当時に公的な迫害があった、とは断言できない。

とは言え、キリスト教に対しての社会的な悪感情は着々と育まれた。

後に大規模な迫害が起きる、その萌芽が手紙からも見えるということかな。

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登場人物紹介

【ミカ】(性別:無性 時々 男性)

神様の命令で人々を見守ることになった大天使ミカエル。サタニャエルくんに色々教えてもらう生徒役。ただ何も知らないお馬鹿ではなく、それなりに常識人。特に戦争に関することはなかなか詳しい。無意味な殺戮は嫌うが、戦争そのものは悪と見做さない。ビヨンデッタの作った「ケーキ」にトラウマがある。


(うんちく)

その名は「神に似たるものは誰か」という意味を持つ。ミカエルはMa-Ha-Elと分解され、「偉大なる神」の意味ともされる。天軍の総帥であり、右手に剣を持った姿で描かれる。


聖書において天使の翼に関する記述は無い。その造形はギリシア神話における勝利の女神ニケ(Nike)が由来であると考えられている。


ミカエル、最大の見せ場は新約聖書『ヨハネの黙示録』12である。そこには以下のような記載がある。

「かくて天に戰爭おこれり、ミカエル及びその使たち龍とたたかふ。龍もその使たちも之と戰ひしが、勝つこと能はず、天には、はや其の居る所なかりき。かの大なる龍、すなわち惡魔と呼ばれ、サタンと呼ばれたる全世界をまどはす古き蛇は落され、地に落され、その使たちも共に落されたり。」

おそらくは翼の生えた勝利の女神と、戦争における戦士の姿とが融合され、現代におけるミカエルのイメージを形作ったのであろう。

【サタニャエル】(性別:???)

ミカちゃん一人だと心配なので付いて来た。色んなことに詳しい黒猫。「サタニャエル」を名乗っているが、悪魔サタナエルと同一視されるかは謎。ビヨンデッタから「サマエル」と呼ばれてもおり、そうであれば楽園でイヴを誘惑した蛇であるとも言える。非常に好奇心旺盛で勉強熱心。たまに悪魔っぽいが、基本的には常識的。


(うんちく)

「猫に九生有り」のことわざは、高いところから落ちてもうまく着地してしぶとく生き残る、タフさから来ていると考えられる。何故「九生」なのかは定説は無いが、エジプト神話の猫頭の女神バステトが九つの魂を持っていたことに由来するのではないか、と言われる。そのようにしぶとい猫を殺すには「好奇心」が効果的であるとことわざは言う(「好奇心は猫を殺す」)。つまり人に知恵を与えたサマエルが、その罪によって神の罰を受けることの暗示として、サタニャエルというキャラクタは造られている。


サマエルは「神の悪意」という意味を持つ。12枚の翼を持つことから、堕天使ルシファーとも同一視される。

【ビヨンデッタ】(性別:男性 or 女性)

ミカを「お姉さま」と慕う悪魔の少女。その正体はソロモン72柱序列第1位ともされる魔王ベルゼブブ。ニーチェを好み、強き者が強くある世界こそが最も美しいと考えている。人間を「草」と呼び、その愚鈍さを嘲笑する。


(うんちく)

作中にあるように、ベルゼブブの由来はウガリット神話における豊穣の神バアル・ゼブル。バアルの信仰は旧約聖書において偶像崇拝として忌み嫌われ、度々敵対した。バアル・ゼブルをバアル・ゼブブと読み替えることで、その意味を「気高き主」から「蠅の王」へと貶めた。


「ビヨンデッタ」の名前は幻想小説の父J・カゾットの『悪魔の恋』に由来する。主人公のアルヴァーレは知的好奇心により悪魔ベルゼブブを呼び寄せ、そのベルゼブブは「ビヨンデット」という名の少年として彼に仕えた。やがて「ビヨンデット」は「ビヨンデッタ」という少女となり、アルヴァーレに強く愛を語る。そしてアルヴァーレは苦悩の末にビヨンデッタを愛してしまう。あまりにあっけない結末についてはここで語らない。


ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』は死の象徴として蠅が描かれる。また、理性を凌駕する闘争心は豚の首として表れた。作中でビヨンデッタが豚肉を好んでいるのも、そうした背景による。

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