3.マリアのエリサベト訪問
文字数 1,381文字
天使ガブリエルはザカリアに対し、妻エリサベトの妊娠を告げた。
そしてその六か月後、ヨセフの許嫁マリアの元へ赴き、処女懐胎を告げる。
自分は男を知らないのに、そんなことがあるだろうかと言う。
そんなマリアにガブリエルはエリサベトの例を出しながら、神は何でも出来ると諭した。
マリアは答えた、
「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」。
あら、マリアの場合は、それを訝ってもお咎め無しですの?
ザカリアなどは口をきけなくされてしまったと言うのに。
ほんまやな。
まだヨハネが生まれてへんのやから、今もまだ喋れんはずやで。
男ばっか厳しいんとちゃうか?
権利と責任は表裏一体だからね。
ザカリアが祭司であるのに対して、マリアはまだ少女だ。
物を知らない少女に対するのと、責任能力の高い大人とでは態度も変わるさ。
マリアは旅立って、急いでユダの山地にある町に向かった。
そしてザカリアの家に行き、エリサベトに挨拶した。
エリサベトが挨拶を聞くと、胎内の子が踊り、エリサベトは聖霊に満たされた。
よく「お腹蹴った」とかは聞くけど……。
さすがに踊るんは前代未聞やな。
エリサベト、しんどくないんやろか。
むしろ子が踊ることで祝福を感じているご様子。
幸福極まりないといったところかしら。
後々、サロメの所望により子の首が落とされようとは思いもよらぬ。
今のうちに幸せを噛みしめるがよろしくてよ。
マリアはエリサベトのもとに三か月ほど滞在した後、家に帰った。
さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。
そして八日目に、幼子に割礼を施しに来た人々は、ザカリアと名づけようとした。
『レビ記』において、男の子を産んだ母親は七日間汚れるとされた。
それゆえに、割礼を施すのは八日目と決まっている。
『レビ記』第12章1-3節
主はモーセに次のように告げられた、
「イスラエルの子らに次のように言え、
『女が身籠って、男の子を産んだ場合、七日の間汚れる。
つまり、月経による汚れの日数だけ汚れる。
八日目にはその子の包皮に割礼が施される。
汚れる云々よりも、赤ん坊と母親の体力の問題があるんやろな。
いきなり割礼とかしたら死んでまうんちゃうか?
「産後の肥立ち」すなわち、「産後に体力をつけて肥え太る」という言葉もあります。
出産は命がけですゆえ、女子供を大事にするは必定でしてよ。
せやけど、割礼を施しに来た人らはザカリアって名前にしようとしたんか?
男の子の名前はヨハネにするはずやのに。
そうでなくては預言が成就されないよね。
当然、エリサベトはヨハネでなければいけないと言った。
そしてザカリアは筆記でそれを示した。
彼は書き板を持って来させ、「その名はヨハネ」と書いた。
人々はみな不思議に思った。
すると、ザカリアの口が立ちどころに開け、舌が自由になり、神をほめたたえた。
ようやくザカリアの口がきけるようになりましたの。
周囲に流され子を「ザカリア」と名づけていればどうなっていたことか。
だいたい10か月くらいなんかな。
そんだけの間黙ってたら、あんま喋られへんのちゃうやろか。
あ……、とか、う……、みたいになりそなもんやけど。
そういうことは特になかったみたいだよ。
これも神の思し召しかな。
「ザカリアの賛歌」
幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。
主に先駆けて行き、その道を整え、
罪の赦しによる救いを、その民に知らせるからである。
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