2.寄付文化
文字数 1,455文字
パウロはコリントの人々に向けて「援助」を推奨する。
要するにエルサレムの教会に募金してほしいということだ。
現代のキリスト教からは想像しにくいけれど。
初期のキリスト教徒は多くが貧乏人で構成されていた。
それこそ、明日食べるパンに事欠くような人たちでね。
もし皆が豊かで満足していれば、キリスト教など生まれなかったかもしれませんわ。
生まれていたとしても、ごく少数のコミュニティで終わったでしょうね。
救いを求める気持ちが宗教を盛り上げるんや。
せやけど、その弱さに付け入るんも宗教や。
苦しい人がさらに苦しむ悲劇は古今東西無くならへん。
『コリントの人々への第二の手紙』第8章8-9節
わたしがこう言うのは、命令としてではありません。
ただ、ほかの人々の熱心さをものさしとして、
あなた方の愛が本物であることを確かめたいのです。
なぜなら、あなた方は、わたしたちの主イエス・キリストの慈しみを知っているからです。
主は豊かであられましたが、あなた方のために貧しくなられた、という慈しみです。
ご自分の貧しさによってあなた方を豊かにしようとされたのです。
「命令」ではない、などとおっしゃいますが。
言われた方のプレッシャーたるや、どれほどのものかしら。
せやなあ……。
社員旅行とか断りにくいとこあるしなあ。
「任意」という名の半強制はどこにでもある。
たまに日本人を「本音と建前」の国と言って腐す人もいるけどね。
大事なことはバランスを保って周囲とうまくやっていくことさ。
何でもかんでも本音だけでやりあってたら、社会は無茶苦茶になるだろう。
大事なのは弱者を慈しむその気持ちだ。
現代の教会だって、それを繰り返し説いているだろう?
説く側も、説かれた側も。
果たしてどれほど実践できているやら。
『詩編』第41章1節
幸いである、不幸な人を思いやる者。
主はその人を災いの日に救い出す。
色々と理由を語りはするけれど、貧しい者に寄付をしてくれということだね。
欧米の寄付文化を語る時は「隣人愛」云々する人が多いけどさ。
そんな遠回りせずとも、ここではストレートに寄付について書かれている。
しかも、「いやいや」ではなく「心」からそうしろという注文付きでね。
寄付文化はアメリカと比べて日本に根づいてないってよう聞くけどな。
やっぱりキリスト教の影響やろか。
僕はそこまで単純な話ではないと思っている。
対GDP比で見て、日本より寄付額が低いキリスト教国なんかいくらでもあるよ。
株式会社三菱総合研究所の資料をそのまま使わせてもらった。
タイトルは『諸外国における寄附の状況と税制の役割』となっている。
アメリカやイスラエルに比べると圧倒的に低いですわね。
しかし、ドイツやイタリアよりは寄付をしているとは意外ですわ。
2000年頃のデータやから変動はあるかもしれんけど。
日本だけが滅茶苦茶低いって感じはせえへんな。
端的に言えば、「福祉部門に係る負担を民間の寄付が担うか、政府が担うか」だ。
(Wikipedia「寄付」2019/8/18 引用)
国に対する要求が高ければ税負担を高めるしかない。
逆に国に税金を払うよりは自分たちでなんとかしたいという考えもある。
良い悪いではなく、お国柄という奴じゃないかな。
寄付が無条件に素晴らしいってわけやない。
納税も立派なことや。
富の再分配をうまいことやらな、社会が不安定になりがちやしな。
各々、いやいやながらとか、しなくてはならないからとか、
というようにではなく、心の中でこうしようと思ったとおりに与えるべきです。
快く与える人を、神は愛してくださるからです。
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