3.詩編(文語訳)

文字数 1,244文字

文語訳?

何のこっちゃ。

文語訳聖書。

文語体で書かれた聖書のことで、口語訳聖書と対をなしている。

簡単に言えば文語体は書き言葉で、口語体は話し言葉。

紙に書く文章と普段の会話が違っているということだね。

よく分かりませんわ。

どうしてその二つに違いを付ける必要がありまして?

書き言葉も話し言葉も統一すればよろしいでしょうに。

なんでかな。

変化のスピードが異なるから、というのが僕としてはしっくり来る理由だね。

話し言葉は日々変化する。

若者の言葉を老人がさっぱり理解できない、なんてよく聞く話だろう?

けれど書物はそのまま残る。

もちろん新しい書物も書かれるけれど、皆古い本を読んで勉強するのさ。

そんで書き言葉と話し言葉とにジェネレーションギャップが生まれるんやな。
書き言葉の方が古めかしいのも、そういう時間差によるものだろうね。
それで?

文語訳の詩編とやらが、どうかしまして?

今までの聖書は歴史やら律法やらが主だったけどね。

実は聖書には『詩編』『雅歌』『哀歌』と言った詩集が含まれている。

詩集の翻訳はとても難しい。

単に意味をそのまま翻訳したとして、それを美しいと思うかい?

確かに。

マイケル・ジャクソンの「Bad」の歌詞見とったんやけど。

「I'm bad」を「俺は悪(ワル)だ」に訳すんはどうか思うたわ。

かっこいいのに笑っちゃうよね。
詩集に関しては人の好みもあるだろうけれど、僕は文語訳が好きだ。

難しくて理解しづらくても、そっちの方がかっこいいからね。

『ツァラトゥストラはこう言った』よりも、

『ツァラトゥストラかく語りき』の方が素敵な響きですものね。

理解できましてよ、サタニャエル。

長い前置きになったけれど、『歴代誌』において『詩編』の一部が収録されている。

ダビデが神の櫃の奉仕者、レビ人アサフと彼の兄弟に主への感謝を歌わせる場面だ。

(文語訳)

天はよろこび地はたのしむべしもろもろの國のなかにいヘヱホバは統治たまふ

海とそのなかに盈るものとはなりどよみ田畑とその中のすべての物とはよろこぶべし

かくて林のもろもろの樹もまたヱホバの前によろこびうたはんヱホバ地をさばかんとて來りたまふ

ヱホバに感謝せよそのめぐみはふかくその憐憫はかぎりなし

(口語訳:JLB)

天は喜び、地は楽しめ。諸国の民は言え。『主が王である』と。

大海は鳴りとどろけ。野とその中にあるものは喜び躍れ。

森の木々も、主の御前で喜び歌え。主が地をさばきに来られるからだ。

主に感謝せよ。その恵みは深く、愛といつくしみは限りない。

なんとなく分かるわ。

文語訳の方が少し格調高い気ぃするな。

正直、何言うてるかよう分からんけど。
「ヱホバ」というのは神、ヤーウェのことかしら?
そうだね。

昔はそう表記したんだけれど、近代の研究によって改められたんだ。

今も好んで使う人はいるけれど、主流ではない。

ミカちゃんの言う通り、読みにくいのも確かだ。

全文をこれで読めと言われたら、倍以上の時間がかかるだろうね。

たまにかっこいいこと言いたい時は、文語訳がおすすめやな。
そういうことだね。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

【ミカ】(性別:無性 時々 男性)

神様の命令で人々を見守ることになった大天使ミカエル。サタニャエルくんに色々教えてもらう生徒役。ただ何も知らないお馬鹿ではなく、それなりに常識人。特に戦争に関することはなかなか詳しい。無意味な殺戮は嫌うが、戦争そのものは悪と見做さない。ビヨンデッタの作った「ケーキ」にトラウマがある。


(うんちく)

その名は「神に似たるものは誰か」という意味を持つ。ミカエルはMa-Ha-Elと分解され、「偉大なる神」の意味ともされる。天軍の総帥であり、右手に剣を持った姿で描かれる。


聖書において天使の翼に関する記述は無い。その造形はギリシア神話における勝利の女神ニケ(Nike)が由来であると考えられている。


ミカエル、最大の見せ場は新約聖書『ヨハネの黙示録』12である。そこには以下のような記載がある。

「かくて天に戰爭おこれり、ミカエル及びその使たち龍とたたかふ。龍もその使たちも之と戰ひしが、勝つこと能はず、天には、はや其の居る所なかりき。かの大なる龍、すなわち惡魔と呼ばれ、サタンと呼ばれたる全世界をまどはす古き蛇は落され、地に落され、その使たちも共に落されたり。」

おそらくは翼の生えた勝利の女神と、戦争における戦士の姿とが融合され、現代におけるミカエルのイメージを形作ったのであろう。

【サタニャエル】(性別:???)

ミカちゃん一人だと心配なので付いて来た。色んなことに詳しい黒猫。「サタニャエル」を名乗っているが、悪魔サタナエルと同一視されるかは謎。ビヨンデッタから「サマエル」と呼ばれてもおり、そうであれば楽園でイヴを誘惑した蛇であるとも言える。非常に好奇心旺盛で勉強熱心。たまに悪魔っぽいが、基本的には常識的。


(うんちく)

「猫に九生有り」のことわざは、高いところから落ちてもうまく着地してしぶとく生き残る、タフさから来ていると考えられる。何故「九生」なのかは定説は無いが、エジプト神話の猫頭の女神バステトが九つの魂を持っていたことに由来するのではないか、と言われる。そのようにしぶとい猫を殺すには「好奇心」が効果的であるとことわざは言う(「好奇心は猫を殺す」)。つまり人に知恵を与えたサマエルが、その罪によって神の罰を受けることの暗示として、サタニャエルというキャラクタは造られている。


サマエルは「神の悪意」という意味を持つ。12枚の翼を持つことから、堕天使ルシファーとも同一視される。

【ビヨンデッタ】(性別:男性 or 女性)

ミカを「お姉さま」と慕う悪魔の少女。その正体はソロモン72柱序列第1位ともされる魔王ベルゼブブ。ニーチェを好み、強き者が強くある世界こそが最も美しいと考えている。人間を「草」と呼び、その愚鈍さを嘲笑する。


(うんちく)

作中にあるように、ベルゼブブの由来はウガリット神話における豊穣の神バアル・ゼブル。バアルの信仰は旧約聖書において偶像崇拝として忌み嫌われ、度々敵対した。バアル・ゼブルをバアル・ゼブブと読み替えることで、その意味を「気高き主」から「蠅の王」へと貶めた。


「ビヨンデッタ」の名前は幻想小説の父J・カゾットの『悪魔の恋』に由来する。主人公のアルヴァーレは知的好奇心により悪魔ベルゼブブを呼び寄せ、そのベルゼブブは「ビヨンデット」という名の少年として彼に仕えた。やがて「ビヨンデット」は「ビヨンデッタ」という少女となり、アルヴァーレに強く愛を語る。そしてアルヴァーレは苦悩の末にビヨンデッタを愛してしまう。あまりにあっけない結末についてはここで語らない。


ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』は死の象徴として蠅が描かれる。また、理性を凌駕する闘争心は豚の首として表れた。作中でビヨンデッタが豚肉を好んでいるのも、そうした背景による。

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色