22.ヨナタン・アフス謀殺
文字数 1,749文字
デメトリオス2世ニカトルとの対立をヨナタンは好機と見た。
ローマやスパルタに親書を送り、同盟関係を強化した。
ニカトル配下の将軍たちと対峙しつつ、エルサレムの防御力を強化した。
なかなか順調な政治を行っているように思えるね。
トリュフォンはアジアの王となり、アンティオコス王に手を下そうと企てた。
しかしヨナタンがこれを見逃さずに戦いを挑んでくることを恐れた。
それゆえにまずヨナタンを捕らえて殺そうと謀った。
アンティオコス6世ディオニュソス。
彼を殺そうとするからと言って、ヨナタンが戦いを仕掛けるというのも不思議だね。
いったいどういう理屈でヨナタンがそんな危険を冒すと考えるのか。
トリュフォンは進軍してベトシャンにやって来た。
ヨナタンもまた4万の兵を率いて来た。
トリュフォンはヨナタンと戦うことを恐れた。
シリアの権力者を恐れさせるほどに強うなったんか?
偉いもんやなあ。
トリュフォンは正攻法で戦うことをやめ、謀略によって殺すことにした。
ヨナタンに贈り物を与えて友好関係を示し、一緒にプトレマイスに行こうと言った。
そんなデートに誘うみたいなノリでヨナタンに大軍を帰させたんだ。
ヨナタンはあっさり信じた。
それで軍隊を帰らせてしまった。
ヨナタンがプトレマイスに入ると、人々は門を閉ざした。
そしてヨナタンを捕らえ、彼が伴ってきた手勢を皆殺しにした。
ヨナタンの手勢は謀略により殺されて、彼自身は捕虜の身となった。
「謀略」と呼ぶには、いささかシンプルな方法ではあるけどね。
トリュフォンは出陣し、ヨナタンが帰した兵たちを追撃した。
幸いにもこの兵たちはヨナタンの状況を知り、密集隊形でうまく退却したという。
大勢の兵が生き延びてくれたんは助かったな。
せやけどヨナタンがおらんくなって、指導者はどないするんやろ。
ちょくちょく登場していた人物が上に立つことになった。
彼の名はシモン・タシ。
ユダ・マカバイとヨナタン・アフスの兄であり、後のハスモン朝最初の統治者だ。
マタティアの子供やな。
『マカバイ記』言うけれど、実際は『マカバイ・アフス・タシ記』ってとこか。
トリュフォンはシモンにヨナタンと引き換えの人質と身代金を要求した。
シモンはこれを飲んだけれどトリュフォンは約束を違えてヨナタンを殺した。
シモンは人を遣わしてヨナタンの遺骨を取り戻した。
そして先祖の町モデインに葬った。
また、父母と自身を含む兄弟のため7つのピラミッドを築いた。
画像は以下、2015年の記事からだよ。
「Long-Lost Tomb of Jewish 'Maccabee' Rebels Possibly Found」
Archaeologists among the stones at Horbat Ha-Gardi,
which may hold the ruins of the Tomb of the Maccabees.
Credit: Israel Antiquities Authority
記事ではピラミッド状の形で、歴史的な記述の通りだと言っているね。
(以下、参照)
The discoverers declared that the ruins matched the historical descriptions of the tomb of the Maccabee rulers, according to the Israel Antiquities Authority. That tomb was said to overlook the sea and to bear pyramid-shaped roofs.
よくもまあ、あんなものから、そんなことが分かりますこと。
ともあれ、エルサレムは正念場ですわね。
ユダ・マカバイ、ヨナタン・アフス。
優秀な兄弟を失い、シモン・タシはどこまで戦えるのか。
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