11.アナテマ マラナ・タ
文字数 903文字
これは、わたしパウロが自分の手で書く挨拶です。
主を愛さない者がいるなら、その者に呪いあれ。
マラナ・タ[主よ、来てください。]
主イエスの恵みが、あなた方とともにありますように。
キリスト・イエスにおいて、わたしの愛があなた方一同とともにありますように。
『コリントの人々への第一の手紙』結びの最後だ。
結びではエルサレムの教会のための募金を募ったり、次の旅行計画について書いている。
そして最後の最後、終わりの挨拶がこれだ。
なんでいちいち「自分の手で書く」なんて言うたんやろ。
まるで今までのは誰かに書かせてたみたいやん。
ここまでの手紙は口述筆記だった、ということだね。
最後の締めは大事なとこだから、自分の手で書くと言っているのさ。
絵画では一人で手紙を書く姿がよく描かれていますのに。
もしくは、この最後の一文をしたためる場面だったということかしら。
せやけど、「呪いあれ」なんて物騒な物言いやな。
神様愛さへんくらいで呪うやなんて。
ここで言う「呪いあれ」は、別に呪い殺そうとかそんなんじゃないと思う。
ギリシア語で「アナテマ」と書かれているところだ。
初期キリスト教会では「破門」を意味する。
「主を愛さない」というのは、教えに従わないってことだろうね。
そもそもアナテマ(anáthema)は「捧げる」といった程度の意味でした。
しかし旧約の時代に「捧げる」と言えば敵やその財産を指すこともしばしば。
そのため、アナテマは「忌まわしき捧げもの」「呪われし捧げもの」となったとか。
それが今度は「破門」とは。
言葉は時代に応じて、使う場所によってがらりと姿を変えるのが難しいところですわね。
ほんで次は「マラナ・タ」言うとる。
これだけなんで元の単語載せてるんやろ。
「マラナ・タ」の意味は書いてある通り、「主よ、来てください」だ。
これはギリシア語ではなくアラム語で書かれているんだよ。
20世紀の司祭ジョン・メインは「理想的なキリスト教徒のマントラ」と評した。
マントラは日本では「真言」と訳されるね。
「マ・ラ・ナ・タ」と句切って内心で唱えることで、心の平穏を保つらしいよ。
「キリスト」に「マントラ」とは。
なんとも怪しげなにおいがいたしますこと。
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