1.キリスト論

文字数 1,320文字

「キリスト論」とは、イエス・キリストとはどのような人であるかを考える学問だ。

彼は神であり人であるというけれど、それはどういうものなのか。

「人の子」「神の子」「救世主」そして「主」

こうした表現について、その定義を考えるのさ。

物好きねえ……。

そうも細かに物事を定義したところで、何の意味があるのかしら。

あらゆる物事に通じるけれど、信仰の土台をしっかりしておきたかったのかもね。

仮に土台が緩ければ、その後に何を載せても簡単にひっくり返ってしまう。

逆に土台さえしっかりしておけば、少々の試練は乗り越えられるものさ。

そしてイエス・キリストが何者なのか。

『フィリピの人々への手紙』に書かれた有名な詩から読み解くことが出来る。

ついでにフィリピの場所も地図を出しておこう。

『フィリピの人々への手紙』第2章5-11節

キリスト・イエスが抱いておられたのと同じ思いを抱きなさい。

キリストは神の身でありながら、

神としてのあり方に固執しようとはせず、

かえって自分をむなしくして、

僕(しもべ)の身となり、人間と同じようになられました。

その姿はまさしく人間であり、

死に至るまで、十字架の死に至るまで、

へりくだって従う者となられました。

それ故、神はこの上なくこの方を高め、

すべての名に勝る名を惜しみなくお与えになりました。

こうして、天にあるもの、地にあるもの、

地の下にあるものはすべて、

イエスの名において膝をかがめ、

すべての舌は「イエス・キリストは主である」と表明し、

父である神の栄光を輝かせているのです。

イエス様はほんまは神様やってんな。

せやけど人間の姿をもってマリア様から生まれはったんや。

あれ?

そしたら、その後に「この方を高め」たんは誰や?

これも神様や言うたら、神様二人になってまうやん。

三位一体などと言うのですから、自分で自分を高めたのではなくて?

などと言い出せば、イエスの神に対する叫びは盛大な独り言かしら。

イエスがいつ神になったのかは重要な視点だね。

この詩の一般的な解釈は、イエスは復活の後に神と同一となったというものだ。

「十字架の死に至るまで」は人間だった。

そして「神はこの上なくこの方を高め」て、神と同一になったのさ。

「イエスの名において膝をかがめ」

「すべての舌は「イエス・キリストは主である」と表明」している。

この箇所は『イザヤ書』において神に対するのと同じ表現となっている。

『イザヤ書』第46章22-23節

地のすべての果てよ、わたしのほうに向きを変えよ。

そうすれば、救われる。まことに、わたしが神である。ほかにはいない。

わたしは、自分自身にかけて誓った。

わたしの口から出るのは正義、これは翻ることのない言葉。

まことに、わたしに向かってすべての膝はかがみ、全ての舌は誓い、

そういう解釈ですと、「キリストは神の身でありながら」はどうなさるの?

はじめに神だと言っているのに、後から神だということにはならないのでは?

ここで言う「身」はギリシア語で「モルフェ(morphe)」だ。

神そのものと言うより、神の姿かたち、その栄光と解される。

イエス様は神様の栄光を背負って生まれたけど、言うて人間やった。

それが十字架で死んで、復活することで神様そのものになったんやな。

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登場人物紹介

【ミカ】(性別:無性 時々 男性)

神様の命令で人々を見守ることになった大天使ミカエル。サタニャエルくんに色々教えてもらう生徒役。ただ何も知らないお馬鹿ではなく、それなりに常識人。特に戦争に関することはなかなか詳しい。無意味な殺戮は嫌うが、戦争そのものは悪と見做さない。ビヨンデッタの作った「ケーキ」にトラウマがある。


(うんちく)

その名は「神に似たるものは誰か」という意味を持つ。ミカエルはMa-Ha-Elと分解され、「偉大なる神」の意味ともされる。天軍の総帥であり、右手に剣を持った姿で描かれる。


聖書において天使の翼に関する記述は無い。その造形はギリシア神話における勝利の女神ニケ(Nike)が由来であると考えられている。


ミカエル、最大の見せ場は新約聖書『ヨハネの黙示録』12である。そこには以下のような記載がある。

「かくて天に戰爭おこれり、ミカエル及びその使たち龍とたたかふ。龍もその使たちも之と戰ひしが、勝つこと能はず、天には、はや其の居る所なかりき。かの大なる龍、すなわち惡魔と呼ばれ、サタンと呼ばれたる全世界をまどはす古き蛇は落され、地に落され、その使たちも共に落されたり。」

おそらくは翼の生えた勝利の女神と、戦争における戦士の姿とが融合され、現代におけるミカエルのイメージを形作ったのであろう。

【サタニャエル】(性別:???)

ミカちゃん一人だと心配なので付いて来た。色んなことに詳しい黒猫。「サタニャエル」を名乗っているが、悪魔サタナエルと同一視されるかは謎。ビヨンデッタから「サマエル」と呼ばれてもおり、そうであれば楽園でイヴを誘惑した蛇であるとも言える。非常に好奇心旺盛で勉強熱心。たまに悪魔っぽいが、基本的には常識的。


(うんちく)

「猫に九生有り」のことわざは、高いところから落ちてもうまく着地してしぶとく生き残る、タフさから来ていると考えられる。何故「九生」なのかは定説は無いが、エジプト神話の猫頭の女神バステトが九つの魂を持っていたことに由来するのではないか、と言われる。そのようにしぶとい猫を殺すには「好奇心」が効果的であるとことわざは言う(「好奇心は猫を殺す」)。つまり人に知恵を与えたサマエルが、その罪によって神の罰を受けることの暗示として、サタニャエルというキャラクタは造られている。


サマエルは「神の悪意」という意味を持つ。12枚の翼を持つことから、堕天使ルシファーとも同一視される。

【ビヨンデッタ】(性別:男性 or 女性)

ミカを「お姉さま」と慕う悪魔の少女。その正体はソロモン72柱序列第1位ともされる魔王ベルゼブブ。ニーチェを好み、強き者が強くある世界こそが最も美しいと考えている。人間を「草」と呼び、その愚鈍さを嘲笑する。


(うんちく)

作中にあるように、ベルゼブブの由来はウガリット神話における豊穣の神バアル・ゼブル。バアルの信仰は旧約聖書において偶像崇拝として忌み嫌われ、度々敵対した。バアル・ゼブルをバアル・ゼブブと読み替えることで、その意味を「気高き主」から「蠅の王」へと貶めた。


「ビヨンデッタ」の名前は幻想小説の父J・カゾットの『悪魔の恋』に由来する。主人公のアルヴァーレは知的好奇心により悪魔ベルゼブブを呼び寄せ、そのベルゼブブは「ビヨンデット」という名の少年として彼に仕えた。やがて「ビヨンデット」は「ビヨンデッタ」という少女となり、アルヴァーレに強く愛を語る。そしてアルヴァーレは苦悩の末にビヨンデッタを愛してしまう。あまりにあっけない結末についてはここで語らない。


ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』は死の象徴として蠅が描かれる。また、理性を凌駕する闘争心は豚の首として表れた。作中でビヨンデッタが豚肉を好んでいるのも、そうした背景による。

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