39.ポンテオ・ピラトとバラバ・イエス

文字数 1,177文字

19世紀ハンガリーの画家、ミハーイ・ムンカーチの作。

右端に座る白い服の男はローマ帝国第5代ユダヤ属州総督ポンテオ・ピラト。

ユダヤ人たちによってイエスがピラトに引き渡される場面を描いている。

総督はイエスに尋ねた、

「お前はユダヤ人の王か」。

すると、イエスは仰せになった、

「それは、あなたが言っていることである」。

面倒な言い回しをされますこと。

素直に「はい」と一言で済ませれば良いものを。

王であるか否かという問いは非常にセンシティブなんだ。

安易に王を名乗れば、それはローマへの反逆の表れと捉えられかねない。

しかしイエスは天の王であって地上の王ではない。

この問答には肯定と否定が組み込まれているんじゃないかな。

さて、祭りにあたって、総督は群衆が願う囚人を、一人釈放する習わしがあった。

その時、バラバ・イエスという、評判の囚人がいた。

ピラトは尋ねた、

「誰を釈放してもらいたいのか。

バラバ・イエスか、それとも、メシアと呼ばれるイエスか」。

バラバ・イエス?

イエス様と同じ名前て、何者なんやろ。

バラバという名前は、アラム語でバル・アッバ(Bar Abba)

Abbaは「父」を意味する。

すなわち、バラバ・イエスとは「父の子イエス」と読めるわけだ。

父の子?

それでは意味として、メシアのイエスと同じではありませんか。

バラバ・イエスはナザレのイエスに他ならない。

20世紀イギリスの学者にして劇作家、ハイアン・マッコービーらの主張だ。

すると、この場面はフィクションってことか?

なんでそないなことするんやろ。

僕の想像だけれど……。

福音書の記載でローマを敵に回したくなかったんだと思う。

ローマ帝国はイエスに好意的だったというフィクションを入れておいたんだ。

そもそも囚人を釈放する習わし自体が不自然だろう?

アメリカの歴史学者マックス・I・ディモントもそこを指摘している。

圧倒的な軍事力を持つローマ帝国が非武装の市民に囚人を解放するだろうか、とね。

その囚人はローマに反抗する危険性があるのに。

人々はみな答えた、「バラバを」。

ピラトは言った、「それでは、メシアと呼ばれるイエスはどうしたらよいのか」。

人々はみな答えた、「十字架につけろ」。

ピラトは言った、「いったい、あの男がどんな悪事を働いたというのか」。

しかし、人々はますます叫び立てた、「十字架につけろ」。

このようにして、ピラトがイエスに寄り添っているように見せている。

逆にユダヤ人たちは悪逆の徒のごとく表現されていますわね。

だからバラバ・イエスの件は反ユダヤ主義にも利用されたりする。

ユダヤ人がナザレのイエスではなく、犯罪者を救うという選択をしたと言ってね。

イエス様はみんなを救いたいんや。

民族の対立とか、そういうのを乗り越えてきたはずやのに。

悲しいなあ。

ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打たせた後、

十字架につけるために引き渡した。

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登場人物紹介

【ミカ】(性別:無性 時々 男性)

神様の命令で人々を見守ることになった大天使ミカエル。サタニャエルくんに色々教えてもらう生徒役。ただ何も知らないお馬鹿ではなく、それなりに常識人。特に戦争に関することはなかなか詳しい。無意味な殺戮は嫌うが、戦争そのものは悪と見做さない。ビヨンデッタの作った「ケーキ」にトラウマがある。


(うんちく)

その名は「神に似たるものは誰か」という意味を持つ。ミカエルはMa-Ha-Elと分解され、「偉大なる神」の意味ともされる。天軍の総帥であり、右手に剣を持った姿で描かれる。


聖書において天使の翼に関する記述は無い。その造形はギリシア神話における勝利の女神ニケ(Nike)が由来であると考えられている。


ミカエル、最大の見せ場は新約聖書『ヨハネの黙示録』12である。そこには以下のような記載がある。

「かくて天に戰爭おこれり、ミカエル及びその使たち龍とたたかふ。龍もその使たちも之と戰ひしが、勝つこと能はず、天には、はや其の居る所なかりき。かの大なる龍、すなわち惡魔と呼ばれ、サタンと呼ばれたる全世界をまどはす古き蛇は落され、地に落され、その使たちも共に落されたり。」

おそらくは翼の生えた勝利の女神と、戦争における戦士の姿とが融合され、現代におけるミカエルのイメージを形作ったのであろう。

【サタニャエル】(性別:???)

ミカちゃん一人だと心配なので付いて来た。色んなことに詳しい黒猫。「サタニャエル」を名乗っているが、悪魔サタナエルと同一視されるかは謎。ビヨンデッタから「サマエル」と呼ばれてもおり、そうであれば楽園でイヴを誘惑した蛇であるとも言える。非常に好奇心旺盛で勉強熱心。たまに悪魔っぽいが、基本的には常識的。


(うんちく)

「猫に九生有り」のことわざは、高いところから落ちてもうまく着地してしぶとく生き残る、タフさから来ていると考えられる。何故「九生」なのかは定説は無いが、エジプト神話の猫頭の女神バステトが九つの魂を持っていたことに由来するのではないか、と言われる。そのようにしぶとい猫を殺すには「好奇心」が効果的であるとことわざは言う(「好奇心は猫を殺す」)。つまり人に知恵を与えたサマエルが、その罪によって神の罰を受けることの暗示として、サタニャエルというキャラクタは造られている。


サマエルは「神の悪意」という意味を持つ。12枚の翼を持つことから、堕天使ルシファーとも同一視される。

【ビヨンデッタ】(性別:男性 or 女性)

ミカを「お姉さま」と慕う悪魔の少女。その正体はソロモン72柱序列第1位ともされる魔王ベルゼブブ。ニーチェを好み、強き者が強くある世界こそが最も美しいと考えている。人間を「草」と呼び、その愚鈍さを嘲笑する。


(うんちく)

作中にあるように、ベルゼブブの由来はウガリット神話における豊穣の神バアル・ゼブル。バアルの信仰は旧約聖書において偶像崇拝として忌み嫌われ、度々敵対した。バアル・ゼブルをバアル・ゼブブと読み替えることで、その意味を「気高き主」から「蠅の王」へと貶めた。


「ビヨンデッタ」の名前は幻想小説の父J・カゾットの『悪魔の恋』に由来する。主人公のアルヴァーレは知的好奇心により悪魔ベルゼブブを呼び寄せ、そのベルゼブブは「ビヨンデット」という名の少年として彼に仕えた。やがて「ビヨンデット」は「ビヨンデッタ」という少女となり、アルヴァーレに強く愛を語る。そしてアルヴァーレは苦悩の末にビヨンデッタを愛してしまう。あまりにあっけない結末についてはここで語らない。


ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』は死の象徴として蠅が描かれる。また、理性を凌駕する闘争心は豚の首として表れた。作中でビヨンデッタが豚肉を好んでいるのも、そうした背景による。

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