42.イエスの復活

文字数 1,276文字

さて安息日が終わり、週の第一日が明け初めるころ、

マグダラのマリアと、もう一人のマリアが墓を見に来た。

すると突然、大きな地震が起こった。

それは、主の使いが天から降って石に近づき、

石を脇へ転がして、その上に座ったからである。

一般的に「マリア」と言えば思い出すのは聖母マリア。

イエスの母親の名前としてだろう。

けれど新約聖書には何人かの「マリア」が登場する。

「もう一人のマリア」なんてぞんざいな言い方だけど。

小ヤコブとヨセフの母マリアだろうと言われている。

マグダラのマリアはよく聞く名ですわね。

元は娼婦であったとか。

確たることは分からない。

けれど、マグダラのマリアはミステリアスな物語と共に語られる。

彼女を描く絵画も、どこか怪しげな雰囲気をまとった女性が多い気がするね。

17世紀スペインの画家、エステバン・マルケス・デ・ヴェラスコ作。

「マグダラのマリアの悔悟(Magdalena penitente)」

手に持つ髑髏は別にイエスの頭ってわけじゃないよ。

これはヴァニタスと言う、寓意的な静物画のジャンルさ。

寓意的なあ……。

頭蓋骨にどんな意味があるんや?

ヴァニタスはラテン語の「空」を意味しますわ。

イエスの死を受けて、虚しさに打ちのめされる絵ということかしら。

『コヘレト』第1章2節

コヘレトは言う。空(くう)の空。

空の空。一切は空。

空の空。一切は空。

ラテン語では「ヴァニタス・ヴァニタートゥム・オムニア・ヴァニタス」と言う。

(Vanitas vanitatum omnia vanitas.)

マグダラのマリアの絵画を見ると、そのほとんどに髑髏が描かれている。

そんな打ちひしがれてるところに天使が現れたんやな。
そう。

イエスの復活を知らせるためにね。

み使いは婦人たちにイエスが復活し、すでに墓にいないことを告げた、

婦人たちは急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走っていった。

すると、イエスが彼女らの行く手に立ち、「おはよう」と声をかけられた。

イエス様、復活の第一声やで。
「おはよう」だなどと、まるで寝ていたかのようですわね。

周囲の心配もよそに暢気ですこと。

訳はフランシスコ聖書研究所のものを利用しているんだけれど。

正直、ここを「おはよう」と訳すのは微妙な気がする。

ギリシア語では「カイレテ(χαιρετε)」となっていて、代表的な挨拶言葉なんだ。

元々は「カイロー(χαίρω)」で、「喜ぶ」という意味だよ。

ワールド・イングリッシュ・バイブルだと「Rejoice(喜ぶ)」と訳されている。

「おはよう」やと、さっきまで寝てたみたいなニュアンスあるからな。

喜びのニュアンス含めるんやったら「ごきげんよう」とかの方がええかも。

うちが訳すなら「まいど、おおきに」やな。
十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスがお示しになった山に行った。

イエスは弟子たちに近づき、次のように仰せになった、

「すべての国の人々を弟子にしなさい。父と子と聖霊の名に入れる洗礼を授け、

わたしがあなた方に命じたことを、すべて守るように教えなさい。

わたしは代の終わりまで、いつもあなた方とともにいる」。

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登場人物紹介

【ミカ】(性別:無性 時々 男性)

神様の命令で人々を見守ることになった大天使ミカエル。サタニャエルくんに色々教えてもらう生徒役。ただ何も知らないお馬鹿ではなく、それなりに常識人。特に戦争に関することはなかなか詳しい。無意味な殺戮は嫌うが、戦争そのものは悪と見做さない。ビヨンデッタの作った「ケーキ」にトラウマがある。


(うんちく)

その名は「神に似たるものは誰か」という意味を持つ。ミカエルはMa-Ha-Elと分解され、「偉大なる神」の意味ともされる。天軍の総帥であり、右手に剣を持った姿で描かれる。


聖書において天使の翼に関する記述は無い。その造形はギリシア神話における勝利の女神ニケ(Nike)が由来であると考えられている。


ミカエル、最大の見せ場は新約聖書『ヨハネの黙示録』12である。そこには以下のような記載がある。

「かくて天に戰爭おこれり、ミカエル及びその使たち龍とたたかふ。龍もその使たちも之と戰ひしが、勝つこと能はず、天には、はや其の居る所なかりき。かの大なる龍、すなわち惡魔と呼ばれ、サタンと呼ばれたる全世界をまどはす古き蛇は落され、地に落され、その使たちも共に落されたり。」

おそらくは翼の生えた勝利の女神と、戦争における戦士の姿とが融合され、現代におけるミカエルのイメージを形作ったのであろう。

【サタニャエル】(性別:???)

ミカちゃん一人だと心配なので付いて来た。色んなことに詳しい黒猫。「サタニャエル」を名乗っているが、悪魔サタナエルと同一視されるかは謎。ビヨンデッタから「サマエル」と呼ばれてもおり、そうであれば楽園でイヴを誘惑した蛇であるとも言える。非常に好奇心旺盛で勉強熱心。たまに悪魔っぽいが、基本的には常識的。


(うんちく)

「猫に九生有り」のことわざは、高いところから落ちてもうまく着地してしぶとく生き残る、タフさから来ていると考えられる。何故「九生」なのかは定説は無いが、エジプト神話の猫頭の女神バステトが九つの魂を持っていたことに由来するのではないか、と言われる。そのようにしぶとい猫を殺すには「好奇心」が効果的であるとことわざは言う(「好奇心は猫を殺す」)。つまり人に知恵を与えたサマエルが、その罪によって神の罰を受けることの暗示として、サタニャエルというキャラクタは造られている。


サマエルは「神の悪意」という意味を持つ。12枚の翼を持つことから、堕天使ルシファーとも同一視される。

【ビヨンデッタ】(性別:男性 or 女性)

ミカを「お姉さま」と慕う悪魔の少女。その正体はソロモン72柱序列第1位ともされる魔王ベルゼブブ。ニーチェを好み、強き者が強くある世界こそが最も美しいと考えている。人間を「草」と呼び、その愚鈍さを嘲笑する。


(うんちく)

作中にあるように、ベルゼブブの由来はウガリット神話における豊穣の神バアル・ゼブル。バアルの信仰は旧約聖書において偶像崇拝として忌み嫌われ、度々敵対した。バアル・ゼブルをバアル・ゼブブと読み替えることで、その意味を「気高き主」から「蠅の王」へと貶めた。


「ビヨンデッタ」の名前は幻想小説の父J・カゾットの『悪魔の恋』に由来する。主人公のアルヴァーレは知的好奇心により悪魔ベルゼブブを呼び寄せ、そのベルゼブブは「ビヨンデット」という名の少年として彼に仕えた。やがて「ビヨンデット」は「ビヨンデッタ」という少女となり、アルヴァーレに強く愛を語る。そしてアルヴァーレは苦悩の末にビヨンデッタを愛してしまう。あまりにあっけない結末についてはここで語らない。


ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』は死の象徴として蠅が描かれる。また、理性を凌駕する闘争心は豚の首として表れた。作中でビヨンデッタが豚肉を好んでいるのも、そうした背景による。

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