7.愛餐(アガペー)と聖餐(エウカリスト)

文字数 1,226文字

仲間割れをしていては、「主の晩餐」を食することになりません。

先を争って持参したものを食べるので、空腹の者もいれば、酔っている者もいるのだから。

神の教会を軽んじたり、何も持たない人々に恥ずかしい思いをさせようとするのですか。

『ローマの人々への手紙』第14章17節にて、

「神の国は食べたり飲んだりすることではなく」と言っている。

けれど人々が教会に集まって飲み食いをすることは普通に行われていたんだ。

しかしその飲み食いもまるで宴会のような騒ぎだったんだろう。

好き勝手に持ち寄った食事で、酔っ払いまで出る始末だった。

そして中には貧乏な人もいて、食事を持って来ることも出来なかった。

そんな人はひもじい思いをしながら宴会を眺めていたのかもしれないね。

救いを求めて祈りに来たと言うのに、みじめな思いをさせられる。

これでは信仰どころではありませんわね。

そういうわけでパウロは手紙で「ほめるわけにはいきません」と言った。

もっと乱暴に言えば「ほめられたもんじゃない」ってとこかな。

兄弟のみなさん、食事のために集まる時は、互いに持ち合うようにしなさい。

もし、誰かが腹をすかしているなら、自分の家で食べなさい。

裁きを受けに集まることにならないようにするためです。

仲間外れなんかしとったら、神様に怒られてまうからな。

そんなことするくらいやったら家でおとなしく食っとれ言うんや。

とまれ、こんな風にキリスト教の教会では食事会を行うことがある。

これを日本では愛餐会(あいさんかい)と呼んでいる。

元の言葉はアガペーだ。

アガペー?

それは神の愛を示す言葉ではなかったかしら。

そうだね。

アガペーは神の愛、博愛を意味する言葉だ。

それがいつしか教会内の晩餐に用いられるようになったんだ。

『ユダの手紙』12節

彼らは、あなた方の愛の晩餐のしみで、

恥知らずにも会食にあずかり、自分たちだけを養っています。

いわば、風に吹き流されて、雨を降らさない雲、

実を結ばないで枯れ果て、根こそぎにされた晩秋の木、

『ユダの手紙』のユダは、イエスの兄弟ユダのことだと言われている。

そしてこの「愛の晩餐」は原文でアガペーと書かれているところなのさ。

そんで、日本語訳は「愛餐」なんやな。
「愛餐」は信徒同士の交わりに重きを置いている。

それに対して儀式としての意味が強いのが「聖餐」だ。

カトリックにおいては「聖体祭儀」と言う。

イエス・キリストの最後の晩餐に由来するとされているね。

「聖餐」は聞き覚えがございますわ。

それなりに重要な儀式ですものね。

元の言葉はマイナーな響きがするけどね。

ギリシア語で「エウカリスト」と言う。

「エウカリスティア」の変化で、「感謝」という意味を持っているよ。

愛と感謝。

どっちも大事やで。

エウカリストは元々アガペーの一部だったらしい。

それが遅くとも西暦250年くらいまでの間に、二つに分離したと考えられている。

食事は楽しいのが一番ですわね。

今度、豚肉のケーキを持って行くことにいたしましょう。

ヒエッ……。
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登場人物紹介

【ミカ】(性別:無性 時々 男性)

神様の命令で人々を見守ることになった大天使ミカエル。サタニャエルくんに色々教えてもらう生徒役。ただ何も知らないお馬鹿ではなく、それなりに常識人。特に戦争に関することはなかなか詳しい。無意味な殺戮は嫌うが、戦争そのものは悪と見做さない。ビヨンデッタの作った「ケーキ」にトラウマがある。


(うんちく)

その名は「神に似たるものは誰か」という意味を持つ。ミカエルはMa-Ha-Elと分解され、「偉大なる神」の意味ともされる。天軍の総帥であり、右手に剣を持った姿で描かれる。


聖書において天使の翼に関する記述は無い。その造形はギリシア神話における勝利の女神ニケ(Nike)が由来であると考えられている。


ミカエル、最大の見せ場は新約聖書『ヨハネの黙示録』12である。そこには以下のような記載がある。

「かくて天に戰爭おこれり、ミカエル及びその使たち龍とたたかふ。龍もその使たちも之と戰ひしが、勝つこと能はず、天には、はや其の居る所なかりき。かの大なる龍、すなわち惡魔と呼ばれ、サタンと呼ばれたる全世界をまどはす古き蛇は落され、地に落され、その使たちも共に落されたり。」

おそらくは翼の生えた勝利の女神と、戦争における戦士の姿とが融合され、現代におけるミカエルのイメージを形作ったのであろう。

【サタニャエル】(性別:???)

ミカちゃん一人だと心配なので付いて来た。色んなことに詳しい黒猫。「サタニャエル」を名乗っているが、悪魔サタナエルと同一視されるかは謎。ビヨンデッタから「サマエル」と呼ばれてもおり、そうであれば楽園でイヴを誘惑した蛇であるとも言える。非常に好奇心旺盛で勉強熱心。たまに悪魔っぽいが、基本的には常識的。


(うんちく)

「猫に九生有り」のことわざは、高いところから落ちてもうまく着地してしぶとく生き残る、タフさから来ていると考えられる。何故「九生」なのかは定説は無いが、エジプト神話の猫頭の女神バステトが九つの魂を持っていたことに由来するのではないか、と言われる。そのようにしぶとい猫を殺すには「好奇心」が効果的であるとことわざは言う(「好奇心は猫を殺す」)。つまり人に知恵を与えたサマエルが、その罪によって神の罰を受けることの暗示として、サタニャエルというキャラクタは造られている。


サマエルは「神の悪意」という意味を持つ。12枚の翼を持つことから、堕天使ルシファーとも同一視される。

【ビヨンデッタ】(性別:男性 or 女性)

ミカを「お姉さま」と慕う悪魔の少女。その正体はソロモン72柱序列第1位ともされる魔王ベルゼブブ。ニーチェを好み、強き者が強くある世界こそが最も美しいと考えている。人間を「草」と呼び、その愚鈍さを嘲笑する。


(うんちく)

作中にあるように、ベルゼブブの由来はウガリット神話における豊穣の神バアル・ゼブル。バアルの信仰は旧約聖書において偶像崇拝として忌み嫌われ、度々敵対した。バアル・ゼブルをバアル・ゼブブと読み替えることで、その意味を「気高き主」から「蠅の王」へと貶めた。


「ビヨンデッタ」の名前は幻想小説の父J・カゾットの『悪魔の恋』に由来する。主人公のアルヴァーレは知的好奇心により悪魔ベルゼブブを呼び寄せ、そのベルゼブブは「ビヨンデット」という名の少年として彼に仕えた。やがて「ビヨンデット」は「ビヨンデッタ」という少女となり、アルヴァーレに強く愛を語る。そしてアルヴァーレは苦悩の末にビヨンデッタを愛してしまう。あまりにあっけない結末についてはここで語らない。


ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』は死の象徴として蠅が描かれる。また、理性を凌駕する闘争心は豚の首として表れた。作中でビヨンデッタが豚肉を好んでいるのも、そうした背景による。

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