5.人身御供

エピソード文字数 1,699文字

人を神への生贄とすることを人身御供(ひとみごくう)と言う。

聖書においてはモロクという神が代表的な例だろう。

王様の子供とかを丸焼きにしてまうやつや。

許されへんことやで、ほんま。

実のところ、人を神に捧げる風習は世界中で見られる。

そしてそれは誰でもいいってわけじゃない。

重要な人物であるほど、生贄としての価値も高いんだ。

日本神話ではヤマタノオロチが代表的な例かしらね。

かの龍には、豪族の娘が生贄として捧げられていたのですもの。

幻想的な彩りに誤魔化されがちですが、大事な者を生贄とする残酷さがありましてよ。

ギリシア神話におけるイピゲネイアなんかも人身御供の一例だね。

彼女の父アガメムノンは狩の腕を誇り、アルテミス以上だと豪語した。

それがアルテミスの怒りを買い、娘のイピゲネイアを捧げるはめになった。

お父ちゃんのせいで、娘散々やないか。

アルテミスもアルテミスやで。

ちょっと偉そうにしたくらい許したりな。

最終的にはイピゲネイアの気高さに感心してアルテミスは怒りを和らげた。

そして自分の神官にすえたとされる。

突発的な怒りも、和らぎも、まさに神様って感じだね。

人身御供の規模で言えば、アステカ文明は途方もない。

太陽神ウィツィロポチトリは日々の戦いで血を失っているとされる。

その血を満たさなければ世界が終わってしまうから、延命のための生贄を捧げるんだ。

それは毎年行われ、だいたい2万人以上だと言う。

(The Enigma of Aztec Sacrifice by Michael Harner 参照)

いやいや、さすがにその数はありえへん。

国が滅びてまうわ。

生贄の調達のために戦争していたという話だよ。

太陽信仰の他にも、雨ごいのために子供たちをトラロックに捧げたりした。

この神は子供たちの涙をご所望だったらしい。

モロクやヤマタノオロチが可愛らしく思えますわね。

比較にならない過酷さですのね。

聖書においては、こうした人身御供からの脱却が読み取れる。

『創世記』におけるアブラハムとその子イサクの物語だ。

『創世記』第22章9-13節要約

アブラハムは息子イサクを縛って、祭壇の薪の上に載せた。

そして息子を刃物で屠ろうとしたところ、天使がアブラハムにやめるように伝えた。

アブラハムが息子でさえも惜しまず神に捧げるという信仰の強さが確認出来た。

ゆえに神はそれで良しとして、雄羊を息子の代わりとしてアブラハムに与えた。

アブラハムはその雄羊を焼き尽くし神に捧げたのだ。

子を捧げるほどの気持ちがあれば、子は捧げずとも良いと。

泣き喚く子供を見たいなどと言うよりはお上品ですわね。

以降、人々は繰り返し羊を生贄として神に捧げた。

しかしそんなことをしても「罪を取り除くことはできない」

『ヘブライ人への手紙』はそんな風に語る。

そしてそのような古い生贄ではなく、新しい生贄が捧げられた。

それこそがイエス・キリストなのさ。

『ヘブライ人への手紙』第10章10節

神のみ旨に従って、イエス・キリストの体が一度だけささげられることによって、

わたしたちは聖なるものとされたのです。

昔々は王様の子供を捧げるような風習があった。

それは重要な人物である方が効果が高いと思われとった。

そんで今、王様どころやない、神の子が生贄に捧げられた……。

そう考えると確かにとんでもないことやな。

ちゅうか、それ以上に価値のある捧げものなんかこの世にあらへん。

そして、これまでの生贄などは廃止してしまうというわけ。

神の子を捧げた後に、羊だのをいくら捧げたところで仕方ありませんものね。

『ヘブライ人への手紙』第10章16-18節

「それらの日の後、わたしが、彼らと結ぶ契約はこれである、と主は仰せになる。

わたしの律法を彼らの心に刻み、彼らの思いに書き記そう。

そして、わたしはもはや彼らの罪と、その不義を思い起こすことはしない」。

これらの赦しのある所には、罪を赦す献げ物は、もはや必要ではありません。

世界中にある人身御供の文化の中で、イエスこそが最大にして最後の生贄となった。

もちろんキリスト教の中だけの話ではあるけれどね。

少なくともキリスト教徒として、以降一切の生贄は不要となったのさ。

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登場人物紹介

【ミカ】(性別:無性 時々 男性)

神様の命令で人々を見守ることになった大天使ミカエル。サタニャエルくんに色々教えてもらう生徒役。ただ何も知らないお馬鹿ではなく、それなりに常識人。特に戦争に関することはなかなか詳しい。無意味な殺戮は嫌うが、戦争そのものは悪と見做さない。ビヨンデッタの作った「ケーキ」にトラウマがある。


(うんちく)

その名は「神に似たるものは誰か」という意味を持つ。ミカエルはMa-Ha-Elと分解され、「偉大なる神」の意味ともされる。天軍の総帥であり、右手に剣を持った姿で描かれる。


聖書において天使の翼に関する記述は無い。その造形はギリシア神話における勝利の女神ニケ(Nike)が由来であると考えられている。


ミカエル、最大の見せ場は新約聖書『ヨハネの黙示録』12である。そこには以下のような記載がある。

「かくて天に戰爭おこれり、ミカエル及びその使たち龍とたたかふ。龍もその使たちも之と戰ひしが、勝つこと能はず、天には、はや其の居る所なかりき。かの大なる龍、すなわち惡魔と呼ばれ、サタンと呼ばれたる全世界をまどはす古き蛇は落され、地に落され、その使たちも共に落されたり。」

おそらくは翼の生えた勝利の女神と、戦争における戦士の姿とが融合され、現代におけるミカエルのイメージを形作ったのであろう。

【サタニャエル】(性別:???)

ミカちゃん一人だと心配なので付いて来た。色んなことに詳しい黒猫。「サタニャエル」を名乗っているが、悪魔サタナエルと同一視されるかは謎。ビヨンデッタから「サマエル」と呼ばれてもおり、そうであれば楽園でイヴを誘惑した蛇であるとも言える。非常に好奇心旺盛で勉強熱心。たまに悪魔っぽいが、基本的には常識的。


(うんちく)

「猫に九生有り」のことわざは、高いところから落ちてもうまく着地してしぶとく生き残る、タフさから来ていると考えられる。何故「九生」なのかは定説は無いが、エジプト神話の猫頭の女神バステトが九つの魂を持っていたことに由来するのではないか、と言われる。そのようにしぶとい猫を殺すには「好奇心」が効果的であるとことわざは言う(「好奇心は猫を殺す」)。つまり人に知恵を与えたサマエルが、その罪によって神の罰を受けることの暗示として、サタニャエルというキャラクタは造られている。


サマエルは「神の悪意」という意味を持つ。12枚の翼を持つことから、堕天使ルシファーとも同一視される。

【ビヨンデッタ】(性別:男性 or 女性)

ミカを「お姉さま」と慕う悪魔の少女。その正体はソロモン72柱序列第1位ともされる魔王ベルゼブブ。ニーチェを好み、強き者が強くある世界こそが最も美しいと考えている。人間を「草」と呼び、その愚鈍さを嘲笑する。


(うんちく)

作中にあるように、ベルゼブブの由来はウガリット神話における豊穣の神バアル・ゼブル。バアルの信仰は旧約聖書において偶像崇拝として忌み嫌われ、度々敵対した。バアル・ゼブルをバアル・ゼブブと読み替えることで、その意味を「気高き主」から「蠅の王」へと貶めた。


「ビヨンデッタ」の名前は幻想小説の父J・カゾットの『悪魔の恋』に由来する。主人公のアルヴァーレは知的好奇心により悪魔ベルゼブブを呼び寄せ、そのベルゼブブは「ビヨンデット」という名の少年として彼に仕えた。やがて「ビヨンデット」は「ビヨンデッタ」という少女となり、アルヴァーレに強く愛を語る。そしてアルヴァーレは苦悩の末にビヨンデッタを愛してしまう。あまりにあっけない結末についてはここで語らない。


ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』は死の象徴として蠅が描かれる。また、理性を凌駕する闘争心は豚の首として表れた。作中でビヨンデッタが豚肉を好んでいるのも、そうした背景による。

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