天使と悪魔の聖書漫談

4.何故、油を注ぐのか

エピソードの総文字数=1,366文字

イスラエルの民は自分たちを導く王を求めた。

けれどサムエルはそれに良い顔をしなかったんだ。

『士師記』でギデオンが言うとったもんな。

神様が王様なんやから、自分は王にはならへんって。

そんでそれを無視したアビメレクがあの様や。

王制に難色示すんも分かるわ。

サムエルは王制にしたら、こんなことになるぞと脅しをかける。
王を立てれば徴兵、徴用、納税といった苦役が課される。

王の奴隷となるのだ。

その時に主を呼び泣こうとも、主は答えてくださらない。

王に民が仕えるのは当然のこと。

なぜなら民は弱いのですから。

語弊はあるけど、そんなとこだね。

税を納めてでも王制を求めるのは、皆が弱いから。

つまり、安全保障を求めるからなのさ。

何でも話し合いで解決できるような、生ぬるい世界に僕らは生きていない。
需要については理解できるけど、それは神様的にどうなんやろ。

許されへんのとちゃうか?

神も「彼らはわたしを捨てた」と言って、不満を示しているね。

それでも民の意思を尊重してサムエルに王を立てるよう告げる。

ところ変わって、とある青年の話を見てみよう。
ベニヤミン族のキシュにはサウルという名の息子がいた。

彼は凛々しく、イスラエルにおいて最も優れた若者であった。

ある日キシュのロバ数頭が行方知れずとなったので、キシュはサウルに探すよう言った。

サウルか。

わざわざ「凛々しい」とか「優れた」とか、最初から持ち上げられとるやん。

これは期待できるかもしれへんな。
サウルはロバを探して、サムエルを尋ねる。

実はそれこそ神の計らいでもあった。

つまり、神がロバを盗んで隠したということ?

なんだか、やることが小さいですわね。

王を呼ぶのでしたら、もっと盛大に、それこそ海でも山でも割って見せなさいな。
ロバのことは心配しなくても良い、とサムエルがサウルに伝えるんだ。
ロバを探しに来たサウルにサムエルが出会う。

そしてサムエルは“油の器を取って”サウルに油を注いだ。

油を注ぐ?

なんやそれ。

油を注ぐのは二つの理由からなる。

一つは美容と健康のため。

これは現代でも行われていることだよね。

男どもはさほど関心が無いようですけれど。

オリーブや椿油(つばきあぶら)なんかが有名ですわね。

(何も分からんし、黙っとこ)
そしていつしか、油を注ぐ行為は象徴的なものになっていく。

神が特別の目的のためにその人を選んだことを示すのさ。

フランス人画家、ヴィクトール・ビエンナーレ(Victor Biennoury)の手による。

サムエルに油を注がれるダビデの絵だよ。

ダビデ?

サウルやなしに?

ダビデに油を注ぐのはまだ先だけどね。

実はここに重要なポイントがある。

絵の中のダビデは、何で油を注がれていると思う?

牛の角……、なのかしら。

その中に油が入っているようですわ。

サウルは普通の器から、ダビデには牛の角から油を注いだ。

この違いにより、サウルの王国は長続きしなかった……。

ユダヤ教の聖典タルムードではそのように書かれている。

そうか。

サウルはあかんのか。

せやけど、牛の角って何やろな。

そっちの方が霊的な力を持ってるっちゅうことなんやろか。

牛の角と言えば、バアルとアシュトレトの象徴でもありましてよ。

信仰せずとも、力あるものとして認めていたのかしら。

思想が違っても、僕らが見ているものは大抵同じもの。

同じものを恐れ、同じものを敬うものさ。

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