11.僕(しもべ)の詩(うた)

エピソード文字数 1,781文字

19世紀末から20世紀初めにかけてのドイツ人神学者ベルンハルト・ドゥーム。

イザヤ書にあるいくつかの章を彼は「僕(しもべ)の詩(うた)」と定義した。

具体的には以下の5つの章を4つの詩とする。

第1の詩は42章、第2の詩は49章、第3の詩は50章、第4の詩は52章と53章。

まずは第1の詩について見ていこう。
見よ、わたしが支えるわたしの僕を、わたしの魂が喜びとする、わたしが選んだ者を。

わたしはわたしの霊を彼の上に置く。

彼は諸国に正しい法を輝かせる。

彼は叫ばず、声をあげず、巷に自分の声を聞かせない。

折れた葦を彼は断ち切らず、くすぶる灯芯を消さず、まことに、彼は正しい法を輝かせる。

彼は衰えることなく、挫けることもなく、遂には地に正しい法を打ち立てる。

神の僕のご紹介ですか。

美辞麗句や甘言で惑わすことなく、救いの道を打ち立てる、と。

宗教家が甘言を弄さずしていかがします。

信者を集めて金も集めねば、持続可能性はありえませぬよ。

いやいや、宗教家は身を捨ててこそやで。

欲にまみれた僧侶は神の僕なんかやあらへん。

まったくだね。
さて、この第一の詩、初めの4節についてだけど。

実はこの歌は『マタイによる福音書』に引用されている。

『マタイによる福音書』第12章17節から21節

(治癒活動の際にイエスは自分のことを言いふらさないように注意した)

これは、預言者イザヤの言葉が成就されるためである。

「これこそわたしの選んだ僕、わたしの心にかなう愛する者。

わたしは、彼の上にわたしの霊を置く。

彼は異邦人に正義を告げ知らせる。

彼は争わず、叫ばず、巷で誰もその声を聞かない。

彼は折れた葦を切り離さず、くすぶっている灯芯を消さない。

正義を勝利に導くまでは。異邦人は彼の名に望みをかける」。

法を打ち立てるところが、正義を勝利に導くに置き換わっとるな。
大人の事情かな?

ともあれ、やはり後世のキリスト教徒にとって、イザヤ書の僕はイエスを指す。

主は仰せになる、

「お前がわたしの僕としてヤコブの諸部族を立ち上がらせること、

イスラエルの生き残った者を帰らせることだけでは足りない。

わたしはお前を諸国の光とし、地の果てに至るまでの、わたしの救いとする」。

これは、第2の詩かしら?
その一部だね。

この箇所も、そのままではないけれど引用されている。

『ルカによる福音書』第2章32節

シメオンという人物が幼児のイエスを抱き上げる場面のセリフだよ。

『ルカによる福音書』第2章32節

(シメオンはイエスを抱き上げて言う)

「異邦人を照らす光、あなたの民イスラエルの栄光です」。

ちっちゃくてもイエス様やな。

もうすでに尊敬されとる。

けれど、第3の詩ではうってかわって僕が苦しみを受ける。
わたしは、打つ者たちには背中を、髭を抜く者たちには頬を委ねた。

侮辱とつばから顔をそらさなかった。

主なる神が、わたしを助けてくださる。

それ故、わたしは恥を覚えない。

それ故、わたしは顔を火打ち石のようにし、恥を受けることはないと知っている。

背中と頬を委ねて、侮辱を受ける様はヘンデルの『メサイア』で引用された。

ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルはバロック音楽の重要な作曲家だね。

なるほど。

このように苦難を受ける様もかの救世主に近似いたします。

されど、これは逆ではないかしら?

『イザヤ書』の表現を後世の人間が拝借したのです。

クリスマスなどという茶番を生み出した連中のすること。

さもありなん、と言っておきましょう。

さあどうかな。

僕としては、語りえぬものには沈黙するしかないね。

まったくもう!

誰も彼もウィトゲンシュタインのセリフを都合よく使う。

はぐらかしの常套句にされてはたまりません。

にゃあ。
まことに、彼はわたしたちの病を担い、わたしたちの苦しみを背負った。

わたしたちは、彼が神によって打たれ、たたかれ、卑しめられていると考えた。

彼は、わたしたちの背きの故に刺し貫かれ、わたしたちの悪の故に打ち砕かれた。

彼の上に下された懲らしめが、わたしたちに平和をもたらし、

彼の傷によってわたしたちは癒された。

皆の悪いとこも引き受けてくれる親切さんやな。
そして第4の詩だ。

この箇所こそまさにイエス・キリストのありようを示しているんじゃないかな。

人々の持つ罪を一身に受ける救世主そのものだ。

そんでその内容は実現したっちゅうことになる。

確かに『イザヤ書』は未来の預言書やな。

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登場人物紹介

【ミカ】(性別:無性 時々 男性)

神様の命令で人々を見守ることになった大天使ミカエル。サタニャエルくんに色々教えてもらう生徒役。ただ何も知らないお馬鹿ではなく、それなりに常識人。特に戦争に関することはなかなか詳しい。無意味な殺戮は嫌うが、戦争そのものは悪と見做さない。ビヨンデッタの作った「ケーキ」にトラウマがある。


(うんちく)

その名は「神に似たるものは誰か」という意味を持つ。ミカエルはMa-Ha-Elと分解され、「偉大なる神」の意味ともされる。天軍の総帥であり、右手に剣を持った姿で描かれる。


聖書において天使の翼に関する記述は無い。その造形はギリシア神話における勝利の女神ニケ(Nike)が由来であると考えられている。


ミカエル、最大の見せ場は新約聖書『ヨハネの黙示録』12である。そこには以下のような記載がある。

「かくて天に戰爭おこれり、ミカエル及びその使たち龍とたたかふ。龍もその使たちも之と戰ひしが、勝つこと能はず、天には、はや其の居る所なかりき。かの大なる龍、すなわち惡魔と呼ばれ、サタンと呼ばれたる全世界をまどはす古き蛇は落され、地に落され、その使たちも共に落されたり。」

おそらくは翼の生えた勝利の女神と、戦争における戦士の姿とが融合され、現代におけるミカエルのイメージを形作ったのであろう。

【サタニャエル】(性別:???)

ミカちゃん一人だと心配なので付いて来た。色んなことに詳しい黒猫。「サタニャエル」を名乗っているが、悪魔サタナエルと同一視されるかは謎。ビヨンデッタから「サマエル」と呼ばれてもおり、そうであれば楽園でイヴを誘惑した蛇であるとも言える。非常に好奇心旺盛で勉強熱心。たまに悪魔っぽいが、基本的には常識的。


(うんちく)

「猫に九生有り」のことわざは、高いところから落ちてもうまく着地してしぶとく生き残る、タフさから来ていると考えられる。何故「九生」なのかは定説は無いが、エジプト神話の猫頭の女神バステトが九つの魂を持っていたことに由来するのではないか、と言われる。そのようにしぶとい猫を殺すには「好奇心」が効果的であるとことわざは言う(「好奇心は猫を殺す」)。つまり人に知恵を与えたサマエルが、その罪によって神の罰を受けることの暗示として、サタニャエルというキャラクタは造られている。


サマエルは「神の悪意」という意味を持つ。12枚の翼を持つことから、堕天使ルシファーとも同一視される。

【ビヨンデッタ】(性別:男性 or 女性)

ミカを「お姉さま」と慕う悪魔の少女。その正体はソロモン72柱序列第1位ともされる魔王ベルゼブブ。ニーチェを好み、強き者が強くある世界こそが最も美しいと考えている。人間を「草」と呼び、その愚鈍さを嘲笑する。


(うんちく)

作中にあるように、ベルゼブブの由来はウガリット神話における豊穣の神バアル・ゼブル。バアルの信仰は旧約聖書において偶像崇拝として忌み嫌われ、度々敵対した。バアル・ゼブルをバアル・ゼブブと読み替えることで、その意味を「気高き主」から「蠅の王」へと貶めた。


「ビヨンデッタ」の名前は幻想小説の父J・カゾットの『悪魔の恋』に由来する。主人公のアルヴァーレは知的好奇心により悪魔ベルゼブブを呼び寄せ、そのベルゼブブは「ビヨンデット」という名の少年として彼に仕えた。やがて「ビヨンデット」は「ビヨンデッタ」という少女となり、アルヴァーレに強く愛を語る。そしてアルヴァーレは苦悩の末にビヨンデッタを愛してしまう。あまりにあっけない結末についてはここで語らない。


ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』は死の象徴として蠅が描かれる。また、理性を凌駕する闘争心は豚の首として表れた。作中でビヨンデッタが豚肉を好んでいるのも、そうした背景による。

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