1.働かざる者食うべからず

エピソード文字数 1,859文字

『テサロニケの人々への第二の手紙』第3章10-12節

わたしたちがあなた方の所にいたとき、

「働きたくない者は食べてはならない」とはっきり言っておいたはずです。

それなのに、あなた方の中にはけじめのない生活を送り、仕事はせず、

余計なことばかりしている者がいると聞いています。

主イエス・キリストに結ばれている者として、

そういう人たちに命じ、勧めます。

黙々と働いて、自分で稼いだパンを食べなさい。

審判の日が近いとなれば、あくせく働いても仕方ない。

そういうメンタリティになった人たちが仕事をさぼり始めた。

パウロは彼らを窘める意図で「働きたくない者は食べてはならない」と言ったんだ。

本当にパウロが書いたのか、という話は割愛させてもらうよ。

「働きたくない者は食べてはならない」か。

言い回しが「働かざる者食うべからず」に似てる気ぃするな。

Кто не работает, тот не ест.

(クトー ニェ ラボータイェット, トット ニェ イェスト)

ソヴィエト連邦のモットーですわね。

この言葉を広めたのがウラジーミル・レーニンだ。

共産党初代指導者の彼は機関誌プラウダの寄稿論文でこう語った。

「『働かざるものは食うべからず』は社会主義の実践的戒律である」とね。

日本人は普通の慣用句みたいに使っているけれど。

これは1918年制定のロシア社会主義連邦ソヴェト共和国憲法にも記載された言葉だ。

いわゆるレーニン憲法ってやつだね。

1918年制定ロシア社会主義連邦ソヴェト共和国憲法(レーニン憲法)第18条


Российская Социалистическая Федеративная Советская Республика признает труд обязанностью всех граждан Республики и провозглашает лозунг: «Не трудящийся, да не ест!»


「ロシア社会主義連邦ソヴェト共和国は、労働を共和国のすべての市民の義務であるとみとめ、『はたらかないものは、くうことができない』というスローガンをかかげる。」


(『人権宣言集』(岩波文庫) Wikipedia「働かざる者食うべからず」より転記)

1977年制定のブレジネフ憲法では文言が削除されたらしい。

約60年間、社会主義の象徴みたいな言葉として君臨してたんだね。

せやけど、世の中には病気や怪我で働けへん人もおるで?

そういうのはどう解釈するんやろ。

出来る限りのことをせえってことになるんやろか。

もちろん、働けない人まで無理に働かせるものではない。

パウロ書簡での意図は、怠け者を叱責するというくらいのもんさ。

そしてレーニンの言葉は、資産家を相手にしたものだ。

不労所得で労働者階級から搾取するのを批判する意図がある。

まあ、言うて普通のことやろ。

日本国憲法でも勤労は義務なんやから。

ところがだ。

戦前の大日本帝国憲法では勤労の義務が無い。

現行の日本国憲法だと「道徳的」義務と考えられている。

それにしたって自由主義の国が勤労を義務とするのはおかしな話さ。

憲法研究会による『憲法草案要綱』を日本社会党が参考にしたのではとの説がある。

憲法研究会は戦後初代NHK会長となる高野岩三郎らのグループだ。

『要綱』では「国民の権利義務」として「国民は労働の義務を有す」と書かれていた。

そもそも「勤労」が「義務」であるなど、当たり前でもなんでもない。

大いに思想ありきの考えということですわね。

国家が国民に勤労の権利を行使できるよう義務を課したものでもある……。

とは言うけれど、それなら「義務」を付けずに「権利」とだけ書けば良かった。

よく日本は憲法をGHQに押し付けられたと言うけど。

GHQの草案では「義務」はなく「権利」のみが書かれているんだ。

GHQ草案


第二十四条

(略)

労働条件、賃銀及勤務時間ノ規準ヲ定ムヘシ

(Standards for working conditions, wages and hours shall be fixed.)

第二十五条

何人モ働ク権利ヲ有ス

(All men have the right to work.)

日本国憲法


第二十七条

すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。

賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。

児童は、これを酷使してはならない。

パウロのちょっとした小言が、社会主義のモットーになり。

そんでもって極東の島国で憲法議論の的になる。

なかなか感慨深いもんがあるなあ。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

【ミカ】(性別:無性 時々 男性)

神様の命令で人々を見守ることになった大天使ミカエル。サタニャエルくんに色々教えてもらう生徒役。ただ何も知らないお馬鹿ではなく、それなりに常識人。特に戦争に関することはなかなか詳しい。無意味な殺戮は嫌うが、戦争そのものは悪と見做さない。ビヨンデッタの作った「ケーキ」にトラウマがある。


(うんちく)

その名は「神に似たるものは誰か」という意味を持つ。ミカエルはMa-Ha-Elと分解され、「偉大なる神」の意味ともされる。天軍の総帥であり、右手に剣を持った姿で描かれる。


聖書において天使の翼に関する記述は無い。その造形はギリシア神話における勝利の女神ニケ(Nike)が由来であると考えられている。


ミカエル、最大の見せ場は新約聖書『ヨハネの黙示録』12である。そこには以下のような記載がある。

「かくて天に戰爭おこれり、ミカエル及びその使たち龍とたたかふ。龍もその使たちも之と戰ひしが、勝つこと能はず、天には、はや其の居る所なかりき。かの大なる龍、すなわち惡魔と呼ばれ、サタンと呼ばれたる全世界をまどはす古き蛇は落され、地に落され、その使たちも共に落されたり。」

おそらくは翼の生えた勝利の女神と、戦争における戦士の姿とが融合され、現代におけるミカエルのイメージを形作ったのであろう。

【サタニャエル】(性別:???)

ミカちゃん一人だと心配なので付いて来た。色んなことに詳しい黒猫。「サタニャエル」を名乗っているが、悪魔サタナエルと同一視されるかは謎。ビヨンデッタから「サマエル」と呼ばれてもおり、そうであれば楽園でイヴを誘惑した蛇であるとも言える。非常に好奇心旺盛で勉強熱心。たまに悪魔っぽいが、基本的には常識的。


(うんちく)

「猫に九生有り」のことわざは、高いところから落ちてもうまく着地してしぶとく生き残る、タフさから来ていると考えられる。何故「九生」なのかは定説は無いが、エジプト神話の猫頭の女神バステトが九つの魂を持っていたことに由来するのではないか、と言われる。そのようにしぶとい猫を殺すには「好奇心」が効果的であるとことわざは言う(「好奇心は猫を殺す」)。つまり人に知恵を与えたサマエルが、その罪によって神の罰を受けることの暗示として、サタニャエルというキャラクタは造られている。


サマエルは「神の悪意」という意味を持つ。12枚の翼を持つことから、堕天使ルシファーとも同一視される。

【ビヨンデッタ】(性別:男性 or 女性)

ミカを「お姉さま」と慕う悪魔の少女。その正体はソロモン72柱序列第1位ともされる魔王ベルゼブブ。ニーチェを好み、強き者が強くある世界こそが最も美しいと考えている。人間を「草」と呼び、その愚鈍さを嘲笑する。


(うんちく)

作中にあるように、ベルゼブブの由来はウガリット神話における豊穣の神バアル・ゼブル。バアルの信仰は旧約聖書において偶像崇拝として忌み嫌われ、度々敵対した。バアル・ゼブルをバアル・ゼブブと読み替えることで、その意味を「気高き主」から「蠅の王」へと貶めた。


「ビヨンデッタ」の名前は幻想小説の父J・カゾットの『悪魔の恋』に由来する。主人公のアルヴァーレは知的好奇心により悪魔ベルゼブブを呼び寄せ、そのベルゼブブは「ビヨンデット」という名の少年として彼に仕えた。やがて「ビヨンデット」は「ビヨンデッタ」という少女となり、アルヴァーレに強く愛を語る。そしてアルヴァーレは苦悩の末にビヨンデッタを愛してしまう。あまりにあっけない結末についてはここで語らない。


ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』は死の象徴として蠅が描かれる。また、理性を凌駕する闘争心は豚の首として表れた。作中でビヨンデッタが豚肉を好んでいるのも、そうした背景による。

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色