9.偶像崇拝

文字数 1,331文字

お前たちは神を誰になぞらえ、神をいかなる像にかたどろうというのか。

偶像か。これは職人が鋳て造り、それに金細工師が金箔を張りつけ、

銀の鎖を細工したもの。

奉納物の木像か。これは選び抜かれた朽ちない木、

そのために巧みな職人を探し求め、

よろめくことのない偶像として据えさせたもの。

今まで散々、偶像崇拝はダメだと聖書は語って来たね。

『イザヤ書』ではより強く、そのことを主張している。

「偶像」と言うと、神様そのものと思いがちだけれど。

信仰の対象となるものであれば何でもいい。

広い意味でとらえるなら、神道の「ご神体」も偶像の一種になる。

偶像を破壊せよと言われましても。

富士山をどうにかしろとなれば困ってしまいますわね。

と言うか、自然信仰の場合はご神体が神そのものでは?

例えば大神神社(おおみわじんじゃ)が祀るのは三輪山そのもの。

神社は祈りのための装置に過ぎません。

何をどこまで「偶像」と呼ぶかはまちまちなのさ。

勝手な線引きをしているように見えてもね。

キリスト教でもカトリックとプロテスタントとで解釈が異なる。

十字架やな。

左はイエスが磔にされとるけど、右はなんもない。

プロテスタントは「カトリック以外全部」というくらいに多種多様だ。

だから必ずこうだとは言いにくい。

けれど基本的には質素なスタイルのものがプロテスタントになるね。

プロテスタントの基本は聖書に帰ること。

だから例えば、プロテスタントは煉獄を認めない。

そして偶像崇拝についても敏感で、イエス付きの十字架を拝まない。

装飾を排すのは偶像崇拝を避けるためだ。

あら。

では、カトリックは偶像崇拝を行っているということかしら。

それではキリスト教の総本山も邪教となるのではなくって?

イスラム教徒ならそう言うかもね。

ムスリムにしてみればイエス・キリストは神ではなく預言者の一人に過ぎない。

『コーラン』イムラーン家の章59節

神の目から見れば、イエスはちょうどアダムの場合と同様である。

しかしこの人であるというロジックがカトリックを正当化する。

イエスの像を拝むことは、神を拝むのではないのだから問題ないと言うのさ。

いやいや、三位一体言うてるやん。

神様も聖霊様もイエス様もみんな同じちゃうんか?

一体ではあれど、現れ方に差があるのやもしれません。

三位一体とは必ずしも完全なる同一性を示すのではない。

「アリウス論争」などもあることですし。

アメリカのクリスチャニティ・トゥデイがアンケートを行っている。

対象は福音主義のキリスト教徒、つまりプロテスタントたち。

内容は、神はイエスに対しその神聖で勝っているかというものだ。

https://www.christianitytoday.com/ct/2014/october-web-only/new-poll-finds-evangelicals-favorite-heresies.html

22%の回答者が「はい」と答えた。

正直、多いのか少ないのか微妙な数字だ。

ただし、プロテスタントでこれだから、カトリックはもっと多いんじゃないかな。

見回しても誰もいない。

わたしが尋ねても、助言を返してくれる者は彼らの中にはいない。

見よ、彼らすべて無。

彼らの業(わざ)は虚無、鋳て造った物は風にすぎず、空にすぎない。

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登場人物紹介

【ミカ】(性別:無性 時々 男性)

神様の命令で人々を見守ることになった大天使ミカエル。サタニャエルくんに色々教えてもらう生徒役。ただ何も知らないお馬鹿ではなく、それなりに常識人。特に戦争に関することはなかなか詳しい。無意味な殺戮は嫌うが、戦争そのものは悪と見做さない。ビヨンデッタの作った「ケーキ」にトラウマがある。


(うんちく)

その名は「神に似たるものは誰か」という意味を持つ。ミカエルはMa-Ha-Elと分解され、「偉大なる神」の意味ともされる。天軍の総帥であり、右手に剣を持った姿で描かれる。


聖書において天使の翼に関する記述は無い。その造形はギリシア神話における勝利の女神ニケ(Nike)が由来であると考えられている。


ミカエル、最大の見せ場は新約聖書『ヨハネの黙示録』12である。そこには以下のような記載がある。

「かくて天に戰爭おこれり、ミカエル及びその使たち龍とたたかふ。龍もその使たちも之と戰ひしが、勝つこと能はず、天には、はや其の居る所なかりき。かの大なる龍、すなわち惡魔と呼ばれ、サタンと呼ばれたる全世界をまどはす古き蛇は落され、地に落され、その使たちも共に落されたり。」

おそらくは翼の生えた勝利の女神と、戦争における戦士の姿とが融合され、現代におけるミカエルのイメージを形作ったのであろう。

【サタニャエル】(性別:???)

ミカちゃん一人だと心配なので付いて来た。色んなことに詳しい黒猫。「サタニャエル」を名乗っているが、悪魔サタナエルと同一視されるかは謎。ビヨンデッタから「サマエル」と呼ばれてもおり、そうであれば楽園でイヴを誘惑した蛇であるとも言える。非常に好奇心旺盛で勉強熱心。たまに悪魔っぽいが、基本的には常識的。


(うんちく)

「猫に九生有り」のことわざは、高いところから落ちてもうまく着地してしぶとく生き残る、タフさから来ていると考えられる。何故「九生」なのかは定説は無いが、エジプト神話の猫頭の女神バステトが九つの魂を持っていたことに由来するのではないか、と言われる。そのようにしぶとい猫を殺すには「好奇心」が効果的であるとことわざは言う(「好奇心は猫を殺す」)。つまり人に知恵を与えたサマエルが、その罪によって神の罰を受けることの暗示として、サタニャエルというキャラクタは造られている。


サマエルは「神の悪意」という意味を持つ。12枚の翼を持つことから、堕天使ルシファーとも同一視される。

【ビヨンデッタ】(性別:男性 or 女性)

ミカを「お姉さま」と慕う悪魔の少女。その正体はソロモン72柱序列第1位ともされる魔王ベルゼブブ。ニーチェを好み、強き者が強くある世界こそが最も美しいと考えている。人間を「草」と呼び、その愚鈍さを嘲笑する。


(うんちく)

作中にあるように、ベルゼブブの由来はウガリット神話における豊穣の神バアル・ゼブル。バアルの信仰は旧約聖書において偶像崇拝として忌み嫌われ、度々敵対した。バアル・ゼブルをバアル・ゼブブと読み替えることで、その意味を「気高き主」から「蠅の王」へと貶めた。


「ビヨンデッタ」の名前は幻想小説の父J・カゾットの『悪魔の恋』に由来する。主人公のアルヴァーレは知的好奇心により悪魔ベルゼブブを呼び寄せ、そのベルゼブブは「ビヨンデット」という名の少年として彼に仕えた。やがて「ビヨンデット」は「ビヨンデッタ」という少女となり、アルヴァーレに強く愛を語る。そしてアルヴァーレは苦悩の末にビヨンデッタを愛してしまう。あまりにあっけない結末についてはここで語らない。


ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』は死の象徴として蠅が描かれる。また、理性を凌駕する闘争心は豚の首として表れた。作中でビヨンデッタが豚肉を好んでいるのも、そうした背景による。

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