40.十字架

文字数 1,697文字

兵士たちはイエスをなぶりものにした後、マントをはぎ取り、

もとの衣を着せると、十字架につけるために引き出した。

今どきの十字架はお洒落な小物程度の扱いでしょうが。

よくよく考えれば処刑道具そのものですわね。

ああ……、イエス様。
ローマ帝国において十字架刑はある種の見世物だ。

最も苦痛を伴う、屈辱的で恐ろしい処刑方法だと考えられていた。

ゆえにその処刑方法は限られた階層のみに適用された。

それは奴隷だ。

後に海賊や国家反逆者、最下層の市民にも適用される。

けれど、紀元後でも"supplicium servile(奴隷の刑罰)"と呼ばれたくらいさ。

イスカリオテのユダがイエスを売った金額。

銀貨30枚もまた奴隷一人分でしたわね。

裏切りと処刑において、イエスは奴隷に重ねられていたのかしら。

ゴルゴタ、すなわち「髑髏(されこうべ)の場所」に着いた。

兵士たちはイエスを十字架につけ、

頭上に「これはユダヤ人の王イエスである」と書かれた罪状書きを掲げた。

その後、二人の強盗が左右に、イエスとともに十字架につけられた。

ゴルゴタはヘブライ語グルゴレト(頭蓋骨)が由来ですわね。

「髑髏の場所」はラテン語でカルヴァリアイ・ロークス。

これを語源として英語圏ではゴルゴタではなくカルヴァリィと呼びましてよ。

「ユダヤ人の王」てわざわざ書くのは嫌味なんやろな。

自称王様の頭おかしい奴、みたいな扱いされとるんやろう。

悲しいなあ……。

通りかかった人々は、頭を振りながらイエスを冒涜して言った、

「神殿を打ち壊して三日のうちに建てる者よ。

もし神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い」。

死者や病人を救った奇跡で自身をも救ってみせよ。

それができないお前はいんちきで、まがい物というわけだね。

この場面、読み手は『詩編』を思い出すかもしれない。
『詩編』第22章7-9節

しかし、わたしは虫けら、人ではない。

人々のあざけりの的、民の笑い種。

わたしを見る者はみなあざ笑い、大きく口を開け、頭を振って言います、

「彼は主を頼みとした。主が救えばよい。

主が彼を喜びとするなら、救い出せばよい」。

正午から、闇が全地を覆い、三時まで続いたと言う。

そして『詩編』第22章2節の言葉をイエスが大声で叫ぶ。

「エリ・エリ・レマ、サバクタニ」つまり、

「わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになったのですか」とね。

『詩編』第22章2-3節

わたしの神よ、わたしの神よ、なぜわたしを見捨てられたのですか。

なぜ、あなたは遠く離れてわたしを助けようとせず、

叫び声を聞こうとされないのですか。

わたしの神よ、昼、わたしが叫んでも、あなたは答えられません。

夜、叫んでも、心の憩いが得られません。

闇が全地を覆ったとはどういうことかしら。
3世紀頃の神学者オリゲネスは日食か曇りだろうと言っている。

身もふたもない解釈だけれど、よく聞く話さ。

日本神話で太陽神の天照大神が岩戸に隠れて世界が暗くなった話とかな。

あれもよう日食が起こったことを示しとる言うてるわ。

闇については他にも砂嵐が起こったとか。

そういう自然現象ではなく、神の不快を示した文学表現だとか。

まあ色んな案が出ているけれど、確定できるものでもないだろうね。

ただ、この後の描写を見ると、文学表現が一番しっくりくるかもしれない。
聖所の垂れ幕が、上から下まで真っ二つに裂け、地が震え、岩が裂け、

墓が開き、眠っていた多くの聖なる人々の体が起き上がった。

イエスの復活後、聖なる都に入り、多くの人たちに現れた。

百人隊長とイエスを見張っていた者たちは、非常に恐れて言った、

「まことに、この人は神の子であった」。

なんとまあ、派手な演出ですこと。
そら神様やからな。

地面くらい裂けるし、なんやったらラッパも吹くで。

それは気が早いかも……。

『マタイによる福音書』では、この後に埋葬と復活が書かれている。

前後関係から言って、文学的な表現じゃないかなって思うよ。

そうか……。

この瞬間に、イエス様はお亡くなりになってもうたんやな。

19世紀デンマークの画家、カール・ハインリッヒ・ブロッホ。

この「十字架上のキリスト」はとても静かな印象を受ける。

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登場人物紹介

【ミカ】(性別:無性 時々 男性)

神様の命令で人々を見守ることになった大天使ミカエル。サタニャエルくんに色々教えてもらう生徒役。ただ何も知らないお馬鹿ではなく、それなりに常識人。特に戦争に関することはなかなか詳しい。無意味な殺戮は嫌うが、戦争そのものは悪と見做さない。ビヨンデッタの作った「ケーキ」にトラウマがある。


(うんちく)

その名は「神に似たるものは誰か」という意味を持つ。ミカエルはMa-Ha-Elと分解され、「偉大なる神」の意味ともされる。天軍の総帥であり、右手に剣を持った姿で描かれる。


聖書において天使の翼に関する記述は無い。その造形はギリシア神話における勝利の女神ニケ(Nike)が由来であると考えられている。


ミカエル、最大の見せ場は新約聖書『ヨハネの黙示録』12である。そこには以下のような記載がある。

「かくて天に戰爭おこれり、ミカエル及びその使たち龍とたたかふ。龍もその使たちも之と戰ひしが、勝つこと能はず、天には、はや其の居る所なかりき。かの大なる龍、すなわち惡魔と呼ばれ、サタンと呼ばれたる全世界をまどはす古き蛇は落され、地に落され、その使たちも共に落されたり。」

おそらくは翼の生えた勝利の女神と、戦争における戦士の姿とが融合され、現代におけるミカエルのイメージを形作ったのであろう。

【サタニャエル】(性別:???)

ミカちゃん一人だと心配なので付いて来た。色んなことに詳しい黒猫。「サタニャエル」を名乗っているが、悪魔サタナエルと同一視されるかは謎。ビヨンデッタから「サマエル」と呼ばれてもおり、そうであれば楽園でイヴを誘惑した蛇であるとも言える。非常に好奇心旺盛で勉強熱心。たまに悪魔っぽいが、基本的には常識的。


(うんちく)

「猫に九生有り」のことわざは、高いところから落ちてもうまく着地してしぶとく生き残る、タフさから来ていると考えられる。何故「九生」なのかは定説は無いが、エジプト神話の猫頭の女神バステトが九つの魂を持っていたことに由来するのではないか、と言われる。そのようにしぶとい猫を殺すには「好奇心」が効果的であるとことわざは言う(「好奇心は猫を殺す」)。つまり人に知恵を与えたサマエルが、その罪によって神の罰を受けることの暗示として、サタニャエルというキャラクタは造られている。


サマエルは「神の悪意」という意味を持つ。12枚の翼を持つことから、堕天使ルシファーとも同一視される。

【ビヨンデッタ】(性別:男性 or 女性)

ミカを「お姉さま」と慕う悪魔の少女。その正体はソロモン72柱序列第1位ともされる魔王ベルゼブブ。ニーチェを好み、強き者が強くある世界こそが最も美しいと考えている。人間を「草」と呼び、その愚鈍さを嘲笑する。


(うんちく)

作中にあるように、ベルゼブブの由来はウガリット神話における豊穣の神バアル・ゼブル。バアルの信仰は旧約聖書において偶像崇拝として忌み嫌われ、度々敵対した。バアル・ゼブルをバアル・ゼブブと読み替えることで、その意味を「気高き主」から「蠅の王」へと貶めた。


「ビヨンデッタ」の名前は幻想小説の父J・カゾットの『悪魔の恋』に由来する。主人公のアルヴァーレは知的好奇心により悪魔ベルゼブブを呼び寄せ、そのベルゼブブは「ビヨンデット」という名の少年として彼に仕えた。やがて「ビヨンデット」は「ビヨンデッタ」という少女となり、アルヴァーレに強く愛を語る。そしてアルヴァーレは苦悩の末にビヨンデッタを愛してしまう。あまりにあっけない結末についてはここで語らない。


ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』は死の象徴として蠅が描かれる。また、理性を凌駕する闘争心は豚の首として表れた。作中でビヨンデッタが豚肉を好んでいるのも、そうした背景による。

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