5.マリアの七つの悲しみ
文字数 1,500文字
イエスを産んだ聖母マリア。
彼女の人生は決して心穏やかなものではなかった。
当たり前だ。
なんせ、あのイエス・キリストの母親なのだから。
家族ほっぽり出して世界救ったる言うような人やからなあ。
そんな息子を持ったら大変やで。
妻と子を捨てて出家した、ゴータマ・シッダールタに比べれば可愛いもの。
母親の一人や二人、捨ててこその男子ですわ。
そう割り切れるなら母親も楽だろうけどね。
しかしマリアは後に「悲しみの聖母」なんて呼ばれるくらいに辛い人生を歩んだ。
その代表的な悲しみが七つあると言う。
1.シメオンの預言『ルカによる福音書』第2章34-35節
2.エジプトへの逃避『マタイによる福音書』第2章13節
3.少年イエスを神殿で見失う『ルカによる福音書』第2章43節
4.苦難の道(ヴィア・ドロローサ)『ヨハネによる福音書』第19章17節
5.ゴルゴタの丘でのイエスの磔刑『ヨハネによる福音書』第19章25節
6.イエスが槍で突かれ、十字架から降ろされる『マタイによる福音書』第27章57-59節
7.アリマタヤのヨセフによるイエスの埋葬『ヨハネによる福音書』第19章40-42節
シメオンて、抱神者シメオンのことか?
この人の予言て何のことやろ。
『ルカによる福音書』第2章34-35節
シメオンは彼らを祝福して、母マリアに言った、
「この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするために定められ、
また、逆らいを受ける徴として定められています。
あなた自身の心も剣で貫かれます。
それによって、多くの人のひそかな思いが、露わにされるでしょう」。
前回スルーしたけれど、これがシメオンの予言だ。
イエスが苦難の道を歩み、マリアの心が剣で貫かれると言う。
心が貫かれるというのは比喩表現だけれど、絵画のモチーフにもなった。
このような残酷な預言が第一の悲しみということだ。
生まれたばかりの赤ん坊を抱いて幸せな時に……。
水を差すような預言ですこと。
エジプトへの逃避はヘロデ大王の幼児殺害から逃れるためだった。
これが第二の悲しみ。
次いでイエスが十二歳の時にある事件が起きる。
『ルカによる福音書』第2章43節
(過越しの祭りで、イエスを連れてマリアとヨセフがエルサレムに上った時)
祭りの期間が終わって、帰路に就いたが、少年イエスはエルサレムに残っておられた。
しかし、両親はそれに気づかなかった。
大丈夫だ、問題ない。
三日後に両親は神殿の境内でイエスを見つけた。
なんとそこで学者たちに質問し、賢明な受け答えで周囲を驚嘆させていた。
マリアはどうしてこんなところにいるのか、心配したのだと言った。
するとイエスは、自分が父の家にいるのは当然だと返した。
あらそう……。
思うところございますが、黙っておいてさしあげますわ。
わたくしの沈黙により存分にご想像なさい。
それこそがあなたの罪でしてよ。
まったくビヨンデッタはえげつないね。
それで、相手が何事か言ってきたら「あなたが言っていることだ」とでも?
僕としては好奇心こそが美徳だから、特に文句は無いけどね。
ともあれ、この出来事が第三の悲しみにカウントされている。
後はすでに見て来たイエスの足取りについてだね。
ヴィア・ドロローサ(Via Dolorosa)はラテン語で「悲しみの道」という意味だ。
「苦難の道」と訳されることが多く、イエスがゴルゴタに向かう道のりのこと。
これが第四の悲しみとなる。
磔刑が第五の悲しみ、死が第六の悲しみ、埋葬が第七の悲しみ。
しまいの三つ、いや四つは立て続けやな。
大丈夫。
悲しみの先にあるんは復活と昇天や。
なんも怖いことあらへん。
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