25.シモン・タシの死
文字数 1,430文字
アンティオコス7世シデテスはケンデバイオスをユダヤの地に派遣した。
ケンデバイオスは攻め込んだ地でユダヤ人を殺し、弾圧したと言う。
ヨハネ・ヒルカノス1世はそのことを父シモン・タシに報告した。
するとシモン・タシは自分は年老いてしまったと言う。
そしてヨハネとその兄弟に戦うよう告げた。
シモン・タシもいつの間にかおじいちゃんか。
戦いばかりの人生やったな。
強き者が奪い、弱き者は死ぬ。
自然の摂理ですわ。
シモン・タシがここまで生きられたのも強かったからでしょう。
ヨハネは2万の戦闘員と騎兵をえり抜き、ケンデバイオスに向かい進軍した。
両軍の間には急流があり、ヨハネの兵たちは怖気づいた。
ヨハネが先頭に立って渡ったので、部下たちも彼に続いた。
ヨハネは兵を分け、騎兵を歩兵の中央に置いた。
馬に乗った兵士は敵歩兵を威圧できるからな。
強力な武器を部隊の中心に置きたい気持ちは分かる。
せやけど、そのせいで騎兵の武器である機動力をそぎ落としてしもうとる。
分けて運用する方が強いのに、そこに気付くのに1000年以上かかるわけや。
アイユーブ朝の始祖サラディンと第3回十字軍の戦いを描いたラノベだね。
12世紀頃の話で、その当時においても騎兵と歩兵は一緒に運用されていた。
聖書の時代からと考えると軽く1000年を超える「伝統」だったわけだ。
ヨハネはケンデバイオスと戦ってこれを撃破した。
ケンデバイオスはアゾトの野原にある塔にまで逃げ込んだ。
ヨハネは町に火を放って焼き払った。
敵の兵、約2,000人が倒れた。
勝ったは良いとして、ケンデバイオスはどうなったのかしら。
彼が死んだか逃げ切ったかはどこにも書かれていない。
ヨハネは無事にエルサレムに帰ったと言うから、打ち倒したのだろうと思うけどね。
アブポスの子プトレマイオスはエルサレムを我が物にしようとした。
そのために大宴会を催してシモン・タシと部下たちを欺いて殺した。
さらに事の次第をアンティオコス7世シデテスに書き送り、救援の軍を依頼した。
せやけど、とっくに引退したシモンを先に殺してどないすんねん。
うちやったらシモンとヨハネをまとめて殺すわ。
さすがミカちゃん、あくどいね。
結果的にその通りで、危機に気付いたヨハネは別の刺客を返り討ちにした。
結局、そのプトレマイオスはどないしてん。
ヨハネはちゃんと無事に生き延びたんか?
以降についてはフィラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ戦記』に詳しい。
プトレマイオスは非道にもヨハネの母親を捕虜にした。
彼の母親は自らが犠牲になることを求めたので、ヨハネはその勇気を敬して出陣した。
しかし自分の母親が実際に鞭打たれて、粉々に引き裂かれるのを見て心が折れた。
その隙にプトレマイオスはフィラデルフィアのゼノンの下に逃げた。
ゼノンはフィラデルフィアの「暴君」だと『ユダヤ戦記』は語っている。
敵の母親を殺すか。
外道やな。
外道ではあるけれど、有効な手や。
ヨハネはアンティオコス7世シデテスに賠償金を払うことになった。
しかしその後、シデテスはアルサケス朝パルティアとの戦争に負けて死んでしまう。
ヨハネはその隙にユダヤの勢力を拡大したとされる。
中東事情は複雑怪奇。
何千年と繰り返されるこの争いはいつ終わるとも知れない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)