9.善きサマリア人
文字数 1,891文字
「先生、どうすれば、永遠の命を得ることができますか」。
心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたたちの神、主を愛しなさい。
復讐してはならない。お前の民の子らに恨みを抱いてはならない。
お前の隣人をお前自身のように愛さなければならない。わたしは主である。
「あなたの答えは正しい。それを実行しなさい。そうすれば、生きるであろう」。
わたしの掟と定めを守れ、人はそれを行うことによって生きる。
わたしは主である。
この律法学者は自分を「正当化」するために「隣人とは誰か」を問うた。
「正当化」というのは、自分は正しい行いをしているという確認の意図だね。
彼自身は律法を正しく行っていると確信していたのさ。
一人の祭司がその人を見たが、道の向こう側を通っていった。
同じようにレビ人が通りかかったが、彼も道の向こう側を通っていった。
例えば身ぐるみはがされて困っているとかであれば、祭司もレビ人も見捨てないだろう。
そんなケースを語っても、それは単にイエスが適当なでっち上げをしているに過ぎない。
主のものとして身を聖別している期間中は、死体に近づいてはならない。
たとえ父または母、兄弟または姉妹が死んでも、彼らのために身を汚してはならない。
そのようなことをして汚れを受けるよりも、神聖な儀式を優先したのさ。
(George Bradford Caird, The Gospel of St. Luke, Black, 1968, p. 148.参照)
ろばに乗せて宿に連れて行き、介抱した。
そしてデナリオン銀貨二枚を宿の主人に渡して言った、
「この人を介抱してください。費用がかさんだら帰って来た時に支払います」
しかしだからと言って、死にかけの人を放置するほど敵対しているわけでもない。
その意味でこの設定にはリアリティがある。
同胞に無視され、ちょっと嫌な相手が自分を助けてくれる。
そんなシチュエーションがあり得るんだよ。
そう問われた律法の専門家は「憐れみを施した人です」と言った。
イエスは仰せになって、
「では、行って、あなたも同じようにしなさい」。