6.イスラエルの不信仰

エピソード文字数 1,334文字

わたし自身、兄弟つまり肉による同族のためなら、

キリストから切り離されて呪われたものとなることも厭わない、とさえ思っています。

逆説的ではあるけれど、呪われようとも大事にすべきものがある。

自身を犠牲にしてでも守りたいものがある。

そういう気持ちは、多かれ少なかれ誰もが持つものじゃないかな。

『出エジプト記』第32章31-32節

モーセは主のもとに戻って言った、

「ああ、この民は大きな罪を犯しました。彼らは金の神々を造ったのです。

今もしあなたが彼らの罪をお赦しになるなら――。

そうでなければ、どうぞあなたが書き記された書から、わたしの名を消してください」。

『サムエル記下』第19章1節

すると、王は身を震わせ、門の上の部屋に上って行って泣いた。

彼は上って行きながらこう言った、

「わが子アブサロムよ、わが子よ、わが子アブサロムよ。

わたしがお前の代わりに死ねばよかったのに。アブサロムよ、わが子、わが子よ」。

キリスト教とか関係なしに大勢の人が思うことやな。

身近なとこやと、病気で苦しむ子供を見て、親が代わってやりたいとか。

パウロが言う「兄弟」と言うのは、教会の仲間ということですわね。

同じ信徒のために自己を犠牲にしても構わない、と。

それで自己を犠牲にしてまで願うことはいったい何なのかしら。

これまでのおさらいをしよう。

割礼は律法に記されたことだけれど、パウロは心の割礼が大事だと言った。

ユダヤ人は割礼を肉体的に行っているけれど、それは外面的なものに過ぎない。

心の中に信仰を持たずに割礼を行ったとしても無意味なものだと言う。

聖書ではこれまで、イスラエルの民との契約について語られて来た。

しかしそうだとすると、ユダヤ人ではない人々を神が救わないことになってしまう。

そのような考えは間違っているのだとパウロは主張しているんだ。

ユダヤ人ではなくても、律法に逐一従わなくても、信仰によって人は救われる、と。

義を求めなかった異邦人が、義、すなわち信仰による義を得ました。

ところが、イスラエルは、義をもたらすものとしての律法を追い求めましたが、

そのような律法には達しませんでした。

義が得られるのは、信仰によるのではなく、行いによるものと考えたからです。

彼らはつまずきの石につまずいたのです。

パウロによれば、ユダヤ人たちは神の義を悟らず、従わなかった。

キリストが律法を終わらせた。

そして「信じる者はみな、義とされる」ようになったと語る。

随分と勝手な物言いのような気がいたします。

イエスを信じないと言うだけで、神への信仰まで否定するだなんて。

ユダヤ人が聞けば激怒いたしましょう。

それこそ、殺したくなるくらいに。

難しいとこやな。

律法を杓子定規に適用してたら、異邦人に救いが与えられへん。

どっかで律法を否定せんとあかんのや。

ユダヤ人とギリシア人の区別はありません。

同じ主が全ての人の主であり、呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになります。

「主の名を呼び求める者は、すべて救われる」のです。

『ヨエル書』第3章5節

しかし、主の名を呼ぶ者はみな救われる。

それは主が仰せになったように、シオンの山とエルサレムに救いがあるからだ。

主が呼ばれた残りの者らのうちにも。

パウロの願い。

それはたぶん「みんなを救いたい」やで。

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登場人物紹介

【ミカ】(性別:無性 時々 男性)

神様の命令で人々を見守ることになった大天使ミカエル。サタニャエルくんに色々教えてもらう生徒役。ただ何も知らないお馬鹿ではなく、それなりに常識人。特に戦争に関することはなかなか詳しい。無意味な殺戮は嫌うが、戦争そのものは悪と見做さない。ビヨンデッタの作った「ケーキ」にトラウマがある。


(うんちく)

その名は「神に似たるものは誰か」という意味を持つ。ミカエルはMa-Ha-Elと分解され、「偉大なる神」の意味ともされる。天軍の総帥であり、右手に剣を持った姿で描かれる。


聖書において天使の翼に関する記述は無い。その造形はギリシア神話における勝利の女神ニケ(Nike)が由来であると考えられている。


ミカエル、最大の見せ場は新約聖書『ヨハネの黙示録』12である。そこには以下のような記載がある。

「かくて天に戰爭おこれり、ミカエル及びその使たち龍とたたかふ。龍もその使たちも之と戰ひしが、勝つこと能はず、天には、はや其の居る所なかりき。かの大なる龍、すなわち惡魔と呼ばれ、サタンと呼ばれたる全世界をまどはす古き蛇は落され、地に落され、その使たちも共に落されたり。」

おそらくは翼の生えた勝利の女神と、戦争における戦士の姿とが融合され、現代におけるミカエルのイメージを形作ったのであろう。

【サタニャエル】(性別:???)

ミカちゃん一人だと心配なので付いて来た。色んなことに詳しい黒猫。「サタニャエル」を名乗っているが、悪魔サタナエルと同一視されるかは謎。ビヨンデッタから「サマエル」と呼ばれてもおり、そうであれば楽園でイヴを誘惑した蛇であるとも言える。非常に好奇心旺盛で勉強熱心。たまに悪魔っぽいが、基本的には常識的。


(うんちく)

「猫に九生有り」のことわざは、高いところから落ちてもうまく着地してしぶとく生き残る、タフさから来ていると考えられる。何故「九生」なのかは定説は無いが、エジプト神話の猫頭の女神バステトが九つの魂を持っていたことに由来するのではないか、と言われる。そのようにしぶとい猫を殺すには「好奇心」が効果的であるとことわざは言う(「好奇心は猫を殺す」)。つまり人に知恵を与えたサマエルが、その罪によって神の罰を受けることの暗示として、サタニャエルというキャラクタは造られている。


サマエルは「神の悪意」という意味を持つ。12枚の翼を持つことから、堕天使ルシファーとも同一視される。

【ビヨンデッタ】(性別:男性 or 女性)

ミカを「お姉さま」と慕う悪魔の少女。その正体はソロモン72柱序列第1位ともされる魔王ベルゼブブ。ニーチェを好み、強き者が強くある世界こそが最も美しいと考えている。人間を「草」と呼び、その愚鈍さを嘲笑する。


(うんちく)

作中にあるように、ベルゼブブの由来はウガリット神話における豊穣の神バアル・ゼブル。バアルの信仰は旧約聖書において偶像崇拝として忌み嫌われ、度々敵対した。バアル・ゼブルをバアル・ゼブブと読み替えることで、その意味を「気高き主」から「蠅の王」へと貶めた。


「ビヨンデッタ」の名前は幻想小説の父J・カゾットの『悪魔の恋』に由来する。主人公のアルヴァーレは知的好奇心により悪魔ベルゼブブを呼び寄せ、そのベルゼブブは「ビヨンデット」という名の少年として彼に仕えた。やがて「ビヨンデット」は「ビヨンデッタ」という少女となり、アルヴァーレに強く愛を語る。そしてアルヴァーレは苦悩の末にビヨンデッタを愛してしまう。あまりにあっけない結末についてはここで語らない。


ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』は死の象徴として蠅が描かれる。また、理性を凌駕する闘争心は豚の首として表れた。作中でビヨンデッタが豚肉を好んでいるのも、そうした背景による。

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