1.キリスト者は生ける神の神殿

エピソード文字数 2,057文字

第一の手紙に続いて第二の手紙だ。

この手紙はパウロがマケドニア滞在中に書いたものというのが定説らしい。

一つの軛(くびき)につながれて、信仰のない人たちと進退を共にしてはいけません。

義と不法とに、いったいどんな共通したところがあるのでしょうか。

光と闇とに、どんな結びつきがあるのでしょうか。

キリストとベリアルとに、どんな協調点があるのでしょうか。

信仰がある人と信仰がない人とに、どんな関わり合いがあるのでしょうか。

確かに、ベリアルはキリストではありませんわね。

何せ堕天使なのですもの。

ベリ(beli)で「~すること無し」、ヤール(ya'al)で「価値を持つ」

これら二つを合わせた名がベリアルで「無価値」の意味となりますわ。

「光と闇」とか、言葉のチョイスがかっこええやん。
死海文書の一つに『光の子と闇の子の戦い』というのがある。

その中でベリアルは登場し、闇の子たちの指導者となっている。

闇の象徴的存在として「ベリアル」は一般的だったのかもしれないね。

神の神殿と偶像とに、どんな一致があるのでしょうか。

わたしたちは生ける神の神殿なのです。

自分らが神様の神殿?

いきなり何言うとんのや。

直感的には、心の中に神が宿る、みたいな印象だね。

ひょっとしたらもっと霊的なもので、聖霊を意図しているのかも。

よく分からないから、パウロの言葉そのままを見てみよう。

それは神がこう仰せになっているとおりです、

「『わたしは彼らの間に住み、また歩む。

わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

だから、お前たちは彼らの中から出て行き、縁を切れ』

――主はこう仰せになる、

『また、汚れたものに触れてはならない。

触れなければ、わたしはお前たちを受け入れよう。

わたしはお前たちの父となり、お前たちはわたしの息子、娘となる』。

――全能の主はこう仰せになる」。

ふむふむ。

また他の聖書からの引用かな?

そうなんだけど、実は複数個所からの引用で……。

言わば聖書パッチワークだよ。

以下は参照箇所だけど、長いからスルーしてくれて構わない。

実際にパウロがどの箇所を想起して書いたかも分からないしね。

『レビ記』第26章11-12節

わたしはお前たちのうちにわたしの住まいを置く。

わたしの心がお前たちを忌み嫌うことはないであろう。

わたしはお前たちの間を巡り歩き、お前たちの神となり、お前たちはわたしの民となるであろう。

『エレミヤ書』第32章38節

彼らは、わたしの民となり、わたしは彼らの神となる。

『エゼキエル書』第37章27節

わたしの住まいは彼らとともにある。

わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。

『イザヤ書』第52章11節

立ち去れ、立ち去れ、そこを出よ。

汚れたものに触れてはならない。

そこを出て、身を清く保て、主の祭具を運ぶ者たちよ。

『エレミヤ書』第51章45節

わたしの民よ、その中から出よ。

主の燃える怒りから逃れて。

『エゼキエル書』第20章34節

わたしは力強い手と伸ばした腕を用い、また憤りを注ぎながら、

お前たちを諸国の民の中から導き出し、散らされていた国々から集める。

『サムエル記下』第7章8節

さあ、今、お前はわたしの僕ダビデにこう言え、

『万軍の主はこう仰せになる、<わたしは、牧場から、

羊の群れを追うお前を取り上げ、わたしの民イスラエルの君主とした。

『サムエル記下』第7章14節

わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となるであろう。

もし彼が悪を行えば、わたしは人の杖、人間の鞭をもって彼を懲らしめる。

『イザヤ書』第43章6節

わたしは北に向かって、『引き渡せ』と、南に向かって、『引き止めるな』と言う。

わたしの息子らを遠くから、娘らを地の果てから連れてこい。

『エレミヤ書』第31章9節

彼らは嘆きながら帰ってくる。わたしは哀願する彼らを導く。

わたしは彼らを水の流れのほとり、滑らかな道を行かせる。

彼らはつまずくことはない。

わたしはイスラエルの父であり、エフライムはわたしの長子であるから」。

『ホセア書』第2章1節

イスラエルの子らの数は、海辺の砂のように数えることも、量ることもできないようになる。

彼らは「お前はロ・アンミだ」と言われる代わりに、「生ける神の子ら」と言われるようになる。

よくもまあ、あちらこちらから。

しかしこのようなことが出来るのも、パウロが聖書に精通している証ですわね。

「わたしはお前たちのうちにわたしの住まいを置く」ってのが今までの神殿やろ。

それが急に人がそのまま神殿ってのがいまいち分からへんなあ。

心云々すれば、一人一人が神殿かのように思えるよね。

でも僕個人は集団としての人々をこそ「神殿」と呼んだんじゃないかって思う。

なんせ「わたしたちは生ける神の神殿」と言う風に言っているのだから。

そしたら一人一人は神殿の床とか柱かもしれへんな。
そして神殿の一部であれば、当然清く保たねばならないのさ。
愛するみなさん、わたしたちはこのような約束を受けているのですから、

肉と霊のあらゆる汚れから身を清く保ち、

神を畏れ敬いながら完全に聖なる者となりましょう。

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登場人物紹介

【ミカ】(性別:無性 時々 男性)

神様の命令で人々を見守ることになった大天使ミカエル。サタニャエルくんに色々教えてもらう生徒役。ただ何も知らないお馬鹿ではなく、それなりに常識人。特に戦争に関することはなかなか詳しい。無意味な殺戮は嫌うが、戦争そのものは悪と見做さない。ビヨンデッタの作った「ケーキ」にトラウマがある。


(うんちく)

その名は「神に似たるものは誰か」という意味を持つ。ミカエルはMa-Ha-Elと分解され、「偉大なる神」の意味ともされる。天軍の総帥であり、右手に剣を持った姿で描かれる。


聖書において天使の翼に関する記述は無い。その造形はギリシア神話における勝利の女神ニケ(Nike)が由来であると考えられている。


ミカエル、最大の見せ場は新約聖書『ヨハネの黙示録』12である。そこには以下のような記載がある。

「かくて天に戰爭おこれり、ミカエル及びその使たち龍とたたかふ。龍もその使たちも之と戰ひしが、勝つこと能はず、天には、はや其の居る所なかりき。かの大なる龍、すなわち惡魔と呼ばれ、サタンと呼ばれたる全世界をまどはす古き蛇は落され、地に落され、その使たちも共に落されたり。」

おそらくは翼の生えた勝利の女神と、戦争における戦士の姿とが融合され、現代におけるミカエルのイメージを形作ったのであろう。

【サタニャエル】(性別:???)

ミカちゃん一人だと心配なので付いて来た。色んなことに詳しい黒猫。「サタニャエル」を名乗っているが、悪魔サタナエルと同一視されるかは謎。ビヨンデッタから「サマエル」と呼ばれてもおり、そうであれば楽園でイヴを誘惑した蛇であるとも言える。非常に好奇心旺盛で勉強熱心。たまに悪魔っぽいが、基本的には常識的。


(うんちく)

「猫に九生有り」のことわざは、高いところから落ちてもうまく着地してしぶとく生き残る、タフさから来ていると考えられる。何故「九生」なのかは定説は無いが、エジプト神話の猫頭の女神バステトが九つの魂を持っていたことに由来するのではないか、と言われる。そのようにしぶとい猫を殺すには「好奇心」が効果的であるとことわざは言う(「好奇心は猫を殺す」)。つまり人に知恵を与えたサマエルが、その罪によって神の罰を受けることの暗示として、サタニャエルというキャラクタは造られている。


サマエルは「神の悪意」という意味を持つ。12枚の翼を持つことから、堕天使ルシファーとも同一視される。

【ビヨンデッタ】(性別:男性 or 女性)

ミカを「お姉さま」と慕う悪魔の少女。その正体はソロモン72柱序列第1位ともされる魔王ベルゼブブ。ニーチェを好み、強き者が強くある世界こそが最も美しいと考えている。人間を「草」と呼び、その愚鈍さを嘲笑する。


(うんちく)

作中にあるように、ベルゼブブの由来はウガリット神話における豊穣の神バアル・ゼブル。バアルの信仰は旧約聖書において偶像崇拝として忌み嫌われ、度々敵対した。バアル・ゼブルをバアル・ゼブブと読み替えることで、その意味を「気高き主」から「蠅の王」へと貶めた。


「ビヨンデッタ」の名前は幻想小説の父J・カゾットの『悪魔の恋』に由来する。主人公のアルヴァーレは知的好奇心により悪魔ベルゼブブを呼び寄せ、そのベルゼブブは「ビヨンデット」という名の少年として彼に仕えた。やがて「ビヨンデット」は「ビヨンデッタ」という少女となり、アルヴァーレに強く愛を語る。そしてアルヴァーレは苦悩の末にビヨンデッタを愛してしまう。あまりにあっけない結末についてはここで語らない。


ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』は死の象徴として蠅が描かれる。また、理性を凌駕する闘争心は豚の首として表れた。作中でビヨンデッタが豚肉を好んでいるのも、そうした背景による。

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