10.ベタニアのラザロ

文字数 1,718文字

ラザロはヘブライ語のエレアザルに由来いたします。

エレアザルの意味は「主は我が助け」となりますわね。

また、エレアザルはアロンの子、すなわちモーセの甥と同じ名となります。

ラザロってイエス様のたとえ話にも同じ名前のやつがおったな。

貧乏人で死んでしもたけど、天の国でアブラハムとお喋りしとった。

『ルカによる福音書』に書かれていたね。

そのラザロとは別人、と言いたいところだけど。

その二人を結び付けて考える人もいるらしい。

(『All the People in the Bible』Richard R. Losch 参照)

まあ、たとえ話の登場人物ですもの。

イエスが名を実在するラザロから想起したとして、おかしくはございません。

さて、こっちはたとえ話ではなく、実際のラザロについてだ。

彼はイエスの友人だと言われている。

しかしイエスと離れている間に、病に倒れて死んでしまった。

友人の死は悲しい。

それはイエス様かて同じやで。

どうせ生き返らせるのでしょう?

なんとかボールを七つも集めるよりも容易く。

イエスは仰せになった、

「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、たとえ死んでも生きる。

生きていて、わたしを信じる者はみな、永遠に死ぬことはない。このことをあなたは信じるか」。

マルタは答えた、

「はい、主よ、あなたがこの世に来られるはずの神の子、メシアであると、わたしは信じております」。

聖書の読み手は大抵、イエスがラザロを復活させると確信している。

だからこの程度の会話はさらりと読み飛ばすだろうね。

しかしこの時点でマルタはそこまで確信が得られていなかったと思う。

その理由は次の箇所だ。

イエスが、「石を取りのけなさい」と仰せになると、

死んだ人の姉妹マルタは言った、

「主よ、もう臭くなっています。四日目ですから」。

四日目やと、なんか問題でもあるんか?

三日目と何が違うんや。

ユダヤの俗信で、死者の魂は死後三日間、死体の周囲をうろつくのさ。

しかし四日目に立ち去って、死体の腐敗が目に付くようになる。

するともう蘇生の希望はないと考えられていたんだ。

ではマルタが「信じる」と言ったのは口先のことですわね。

もしくはただ信じたいという願望かしら。

信じたいと、信じてるが半々やったんかもしれんな。

祈りって、そういうとこあるわ。

イエスはラザロの墓に行き、大声で「出て来なさい」と言った。

するとラザロが蘇り、墓から出てきた。

だれもが知る有名画家、フィンセント・ファン・ゴッホの絵だ。

タイトルは「ラザロの蘇生(レンブラントを模して)」とある。

この四日目の復活は周囲に大きな影響を与えた。

ファリサイ派によるサンヘドリン最高議会はイエスの活躍に危機感を持った。

皆がイエスを信じるようになると、ローマ人に征服されるというね。

なんでや?

イエス様がおったかて、ローマ人は関係あらへんやろ。

サンヘドリン自体、宗教的な組織だ。

彼らは信仰によって人々を束ね、エルサレムという「国家」を運営している。

祭政一致ってやつさ。

だからもし人々が皆、イエスを信じるようになると、その存在意義を失ってしまう。

ローマにとってエルサレムは「国家の内部における国家」だ。

言うことを素直に聞かない面倒な連中でもある。

しかしもしサンヘドリンが弱体化すれば、ローマにとってはまたとないチャンス。

エルサレムを征服する好機と言えるだろう。

(Ellicott's Commentary for English Readers 参照)

うーん、そう言われてみると、確かに。

イエス様を放置しとったら国の危機ってことか。

よって大祭司カイアファはイエスを殺すべきだという決意を固くした。

彼らは復活したラザロも同じように殺さねばならないと考えたらしい。

それくらいに、このラザロの復活は重要な出来事だった。

ジャン・カルヴァンはイエス復活を読者に思わせるものだと語る。

ここを起点に十字架への道が始まるという人もいるね。

ユダヤ人にもユダヤ人の理がございます。

ローマ人にもローマ人の理がございましょう。

果たしてイエスはそれらを超えて、尊ばれるものかしら。

正直、分からへんとこある。

せやけど、ちゃんと向き合って考えたら、ええようになるはずやで。

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登場人物紹介

【ミカ】(性別:無性 時々 男性)

神様の命令で人々を見守ることになった大天使ミカエル。サタニャエルくんに色々教えてもらう生徒役。ただ何も知らないお馬鹿ではなく、それなりに常識人。特に戦争に関することはなかなか詳しい。無意味な殺戮は嫌うが、戦争そのものは悪と見做さない。ビヨンデッタの作った「ケーキ」にトラウマがある。


(うんちく)

その名は「神に似たるものは誰か」という意味を持つ。ミカエルはMa-Ha-Elと分解され、「偉大なる神」の意味ともされる。天軍の総帥であり、右手に剣を持った姿で描かれる。


聖書において天使の翼に関する記述は無い。その造形はギリシア神話における勝利の女神ニケ(Nike)が由来であると考えられている。


ミカエル、最大の見せ場は新約聖書『ヨハネの黙示録』12である。そこには以下のような記載がある。

「かくて天に戰爭おこれり、ミカエル及びその使たち龍とたたかふ。龍もその使たちも之と戰ひしが、勝つこと能はず、天には、はや其の居る所なかりき。かの大なる龍、すなわち惡魔と呼ばれ、サタンと呼ばれたる全世界をまどはす古き蛇は落され、地に落され、その使たちも共に落されたり。」

おそらくは翼の生えた勝利の女神と、戦争における戦士の姿とが融合され、現代におけるミカエルのイメージを形作ったのであろう。

【サタニャエル】(性別:???)

ミカちゃん一人だと心配なので付いて来た。色んなことに詳しい黒猫。「サタニャエル」を名乗っているが、悪魔サタナエルと同一視されるかは謎。ビヨンデッタから「サマエル」と呼ばれてもおり、そうであれば楽園でイヴを誘惑した蛇であるとも言える。非常に好奇心旺盛で勉強熱心。たまに悪魔っぽいが、基本的には常識的。


(うんちく)

「猫に九生有り」のことわざは、高いところから落ちてもうまく着地してしぶとく生き残る、タフさから来ていると考えられる。何故「九生」なのかは定説は無いが、エジプト神話の猫頭の女神バステトが九つの魂を持っていたことに由来するのではないか、と言われる。そのようにしぶとい猫を殺すには「好奇心」が効果的であるとことわざは言う(「好奇心は猫を殺す」)。つまり人に知恵を与えたサマエルが、その罪によって神の罰を受けることの暗示として、サタニャエルというキャラクタは造られている。


サマエルは「神の悪意」という意味を持つ。12枚の翼を持つことから、堕天使ルシファーとも同一視される。

【ビヨンデッタ】(性別:男性 or 女性)

ミカを「お姉さま」と慕う悪魔の少女。その正体はソロモン72柱序列第1位ともされる魔王ベルゼブブ。ニーチェを好み、強き者が強くある世界こそが最も美しいと考えている。人間を「草」と呼び、その愚鈍さを嘲笑する。


(うんちく)

作中にあるように、ベルゼブブの由来はウガリット神話における豊穣の神バアル・ゼブル。バアルの信仰は旧約聖書において偶像崇拝として忌み嫌われ、度々敵対した。バアル・ゼブルをバアル・ゼブブと読み替えることで、その意味を「気高き主」から「蠅の王」へと貶めた。


「ビヨンデッタ」の名前は幻想小説の父J・カゾットの『悪魔の恋』に由来する。主人公のアルヴァーレは知的好奇心により悪魔ベルゼブブを呼び寄せ、そのベルゼブブは「ビヨンデット」という名の少年として彼に仕えた。やがて「ビヨンデット」は「ビヨンデッタ」という少女となり、アルヴァーレに強く愛を語る。そしてアルヴァーレは苦悩の末にビヨンデッタを愛してしまう。あまりにあっけない結末についてはここで語らない。


ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』は死の象徴として蠅が描かれる。また、理性を凌駕する闘争心は豚の首として表れた。作中でビヨンデッタが豚肉を好んでいるのも、そうした背景による。

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