5.一切は許されている

エピソード文字数 1,503文字

『コリントの人々への第一の手紙』第6章12節

「すべてのことが、わたしには許されている」。

しかし、すべてのことが益になるわけではありません。

「すべてのことが、わたしには許されている」。

しかし、わたしはどのようなことにも支配されはしません。

『コリントの人々への第一の手紙』第10章23節

「すべてのことが、わたしには許されている」。

しかし、すべてのことが益になるわけではありません。

「すべてのことが、わたしには許されている」。

しかし、すべてのことが人間を造りあげるわけではありません。

「すべてのことが、わたしには許されている」

これはつまり、キリスト教徒はユダヤ教徒の律法に縛られないという意味だろう。

割礼をしなくても問題ない、とかね。

しかし、言葉そのままに受け取る人たちがいたんだろう。

「何をやっても良い」って言う風にね。

それで近親相姦なんかの問題が出てきたんだ。

パウロは戒めのための手紙を書いているのさ。

「何ものも真ではない、一切は許されている」

哲学者ニーチェが『道徳の系譜』でこのように語っていますわね。

これもまた同様に誤解されやすい言葉でしてよ。

「客観的真理などないから、何をやっても自由」ではありません。

正しくは「知覚を離れた客観的真理は無く、全ては真であり可」でしてよ。

そして全てが真であり可のはずなのに、実際にはそうなっていない人生。

その憐れむべき現状をもってルサンチマンを膨らませるのです。

パウロがここで語っているのは、簡単に言えば「他人に気を遣え」だ。

具体的には、偶像に供えた食べ物の取り扱いについて説明している。

偶像に供えた食べ物か。

ユダヤ教徒なら当然食べたらあかんやつやな。

そのへん、キリスト教徒はどないしとったんやろ。

パウロはこう言っている。

「食べなくても損にはなりません」

「食べたからといって得をするわけでもありません」

そもそも唯一の神以外に神は存在しない。

だから、それはただの食べ物に過ぎないんだろう。

なるほどなあ。

せやったら、これも「許され」とるってことやな。

確かに、許されてはいる。

けれどそれが必ずしも益にならないことがある。

どゆこと?

やっぱ食べん方がええんか?

偶像崇拝を行う者のことをパウロは良心が「病んでいる」と言った。

異教徒であることは救いから遠ざかっていることだからね。

そしてもしキリスト教徒が偶像のある神殿で食べ物を気にせず食べていたら……。

それを見た異教徒は自身の信仰を正しいと強く思うようになるかもしれない。

キリスト教徒が本心ではなんとも思っていないとしても……。

彼の行為が偶像崇拝を力づける結果を生むかもしれませんわね。

場所が神殿以外のところで、偶像に供えた食べ物かどうか分からない場合。

この時にはいちいち調べずに食べて良いとしている。

誰かが偶像にささげられたものだと教えてくれたなら、食べてはいけないと言う。

自身の行為が他人にどう映るかが重要ということだね。

なんやかんや言うて、色々許されへん気ぃするな。

神様はなんでも許してくれるけど、人間社会が縛り付けとるやないか。

まったくだね。

神の意思によるか、論理的帰結によるかはさて置き。

人はどうしたって「道徳」に縛られてしまう。

もっと軽く「マナー」と言ってもいい。

さして重要でないと理解していても、波風立てないように守りもする。

存じておりますわ。

目上の者に「了解」「ご苦労様」と言っては失礼。

確認印は上司に対してお辞儀をするよう斜めに押さねば失礼。

とても愉快なお作法ですわね。

わたしも多くの人々が救われるために、

自分の利益ではなくその人々の利益を求めながら、

すべてのことについてすべての人を喜ばせようと努めているのです。

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登場人物紹介

【ミカ】(性別:無性 時々 男性)

神様の命令で人々を見守ることになった大天使ミカエル。サタニャエルくんに色々教えてもらう生徒役。ただ何も知らないお馬鹿ではなく、それなりに常識人。特に戦争に関することはなかなか詳しい。無意味な殺戮は嫌うが、戦争そのものは悪と見做さない。ビヨンデッタの作った「ケーキ」にトラウマがある。


(うんちく)

その名は「神に似たるものは誰か」という意味を持つ。ミカエルはMa-Ha-Elと分解され、「偉大なる神」の意味ともされる。天軍の総帥であり、右手に剣を持った姿で描かれる。


聖書において天使の翼に関する記述は無い。その造形はギリシア神話における勝利の女神ニケ(Nike)が由来であると考えられている。


ミカエル、最大の見せ場は新約聖書『ヨハネの黙示録』12である。そこには以下のような記載がある。

「かくて天に戰爭おこれり、ミカエル及びその使たち龍とたたかふ。龍もその使たちも之と戰ひしが、勝つこと能はず、天には、はや其の居る所なかりき。かの大なる龍、すなわち惡魔と呼ばれ、サタンと呼ばれたる全世界をまどはす古き蛇は落され、地に落され、その使たちも共に落されたり。」

おそらくは翼の生えた勝利の女神と、戦争における戦士の姿とが融合され、現代におけるミカエルのイメージを形作ったのであろう。

【サタニャエル】(性別:???)

ミカちゃん一人だと心配なので付いて来た。色んなことに詳しい黒猫。「サタニャエル」を名乗っているが、悪魔サタナエルと同一視されるかは謎。ビヨンデッタから「サマエル」と呼ばれてもおり、そうであれば楽園でイヴを誘惑した蛇であるとも言える。非常に好奇心旺盛で勉強熱心。たまに悪魔っぽいが、基本的には常識的。


(うんちく)

「猫に九生有り」のことわざは、高いところから落ちてもうまく着地してしぶとく生き残る、タフさから来ていると考えられる。何故「九生」なのかは定説は無いが、エジプト神話の猫頭の女神バステトが九つの魂を持っていたことに由来するのではないか、と言われる。そのようにしぶとい猫を殺すには「好奇心」が効果的であるとことわざは言う(「好奇心は猫を殺す」)。つまり人に知恵を与えたサマエルが、その罪によって神の罰を受けることの暗示として、サタニャエルというキャラクタは造られている。


サマエルは「神の悪意」という意味を持つ。12枚の翼を持つことから、堕天使ルシファーとも同一視される。

【ビヨンデッタ】(性別:男性 or 女性)

ミカを「お姉さま」と慕う悪魔の少女。その正体はソロモン72柱序列第1位ともされる魔王ベルゼブブ。ニーチェを好み、強き者が強くある世界こそが最も美しいと考えている。人間を「草」と呼び、その愚鈍さを嘲笑する。


(うんちく)

作中にあるように、ベルゼブブの由来はウガリット神話における豊穣の神バアル・ゼブル。バアルの信仰は旧約聖書において偶像崇拝として忌み嫌われ、度々敵対した。バアル・ゼブルをバアル・ゼブブと読み替えることで、その意味を「気高き主」から「蠅の王」へと貶めた。


「ビヨンデッタ」の名前は幻想小説の父J・カゾットの『悪魔の恋』に由来する。主人公のアルヴァーレは知的好奇心により悪魔ベルゼブブを呼び寄せ、そのベルゼブブは「ビヨンデット」という名の少年として彼に仕えた。やがて「ビヨンデット」は「ビヨンデッタ」という少女となり、アルヴァーレに強く愛を語る。そしてアルヴァーレは苦悩の末にビヨンデッタを愛してしまう。あまりにあっけない結末についてはここで語らない。


ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』は死の象徴として蠅が描かれる。また、理性を凌駕する闘争心は豚の首として表れた。作中でビヨンデッタが豚肉を好んでいるのも、そうした背景による。

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