5.一切は許されている
文字数 1,503文字
「すべてのことが、わたしには許されている」。
しかし、すべてのことが益になるわけではありません。
「すべてのことが、わたしには許されている」。
しかし、わたしはどのようなことにも支配されはしません。
「すべてのことが、わたしには許されている」。
しかし、すべてのことが益になるわけではありません。
「すべてのことが、わたしには許されている」。
しかし、すべてのことが人間を造りあげるわけではありません。
正しくは「知覚を離れた客観的真理は無く、全ては真であり可」でしてよ。
そして全てが真であり可のはずなのに、実際にはそうなっていない人生。
その憐れむべき現状をもってルサンチマンを膨らませるのです。
異教徒であることは救いから遠ざかっていることだからね。
そしてもしキリスト教徒が偶像のある神殿で食べ物を気にせず食べていたら……。
それを見た異教徒は自身の信仰を正しいと強く思うようになるかもしれない。
この時にはいちいち調べずに食べて良いとしている。
誰かが偶像にささげられたものだと教えてくれたなら、食べてはいけないと言う。
自身の行為が他人にどう映るかが重要ということだね。
神の意思によるか、論理的帰結によるかはさて置き。
人はどうしたって「道徳」に縛られてしまう。
もっと軽く「マナー」と言ってもいい。
さして重要でないと理解していても、波風立てないように守りもする。
自分の利益ではなくその人々の利益を求めながら、
すべてのことについてすべての人を喜ばせようと努めているのです。