12.洗足式

エピソード文字数 1,411文字

さて、過越の祭りの前のことであった。

イエスは、この世から父のもとへ移るご自分の時が来たのを悟り、

世にいる弟子たちを愛して、終わりまで愛し抜かれた。

新約聖書において最も聖なる箇所、至聖所である。

19世紀の非協調主義説教者アレクサンダー・マクラーレンはそう言った。
つまり、イエスが弟子たちの足を洗う場面についてだ。

キリスト教の最も肝要な箇所だと考えたのだろうね。

イエスは食事の席を立って、上衣を脱ぎ、手ぬぐいを取って身に着けられた。

それから、たらいに水をくんで、弟子たちの足を洗っては、

身に着けていた布で拭き始められた。

当時はみんなサンダル履いて生活しとるからな。

集まって食事する時はとりあえず足を洗わんとあかん。

しかし大抵は自らがそうするか、召使にやらせるか。

よもやイエス自身がそれをするなど、思いもよらぬことだったでしょう。

『ルカによる福音書』で「罪深い女」がイエスの足を洗っていたね。

他にも『サムエル記』とかに、そうした習慣があることが描写されている。

『サムエル記』第25章40-41節

ダビデの家来たちはカルメルのアビガイルの所に来てこう言った、

「ダビデはあなたを妻に迎えるために、わたしたちを遣わしました」。

すると彼女は顔が地面につくほど伏して、

「このはしためは、わたしのあるじの僕の足を洗うはしためになりましょう」

と言った。

「はしため」は召使の女、下女のことで、とてもへりくだった表現だ。

これを神の子であるイエスが弟子にするという。

弟子のペトロは驚いて「洗わないでください」と言った。

恐れ多いことだと思ったのだろう。

せやなあ。

日本人の感覚で言えば、天皇陛下が足洗ってくれるみたいなもんやろか。

みんなびびって「やめてください」言うんちゃうか?

しかしイエスは譲らない。

足を洗わなければ、ペトロはイエスに関わりなくなってしまうとまで言った。

するとペトロはそれこそ大変だと思ったのだろう。

逆に足だけではなく手と頭も洗ってくれと頼み始めた。

道を歩いた程度でそこまで汚れてはいないでしょうに。

まったく、図々しい。

イエスもさすがにそれは断った。

「すでに体を洗った者は、足のほか洗う必要がない」ってね。

ユダヤでは、食事に招待されたら体を洗って出かける習慣があったらしい。

そんで、イエス様はなんでこないなことしたんや?

たまには弟子のこともねぎらってやろ思たんかな。

優しいなあ。

そういう気持ちがあったかどうかは分からないけどね。

イエスは「模範を示した」と言う。

弟子たちに互いに足を洗うように、他者に対してへりくだるように。

この足を洗う行為は儀式となり、現在は洗足式と呼ばれている。

たまにローマ教皇がやっているのがニュースに流れたりしているね。

フランス通信社(L’Agence France-Presse)、通称AFP通信の写真ですわね。

写真に写っているのは第266代ローマ教皇フランシスコ。

(https://www.afpbb.com/articles/-/2936241 参照)

これは教皇フランシスコが少年院で洗足式を行う場面だ。

2013年のことで、教皇が少年院で洗足式を行うのは史上初。

さらに中には2人の少女が含まれていて、その内の1人はムスリムだった。

女性や異教徒を相手に教皇が洗足式を行うのも史上初だった。

報道を見る限り、教皇フランシスコは随分と改革に熱心な方ですのね。

ただし、伝統を破れば当然、それに対する反発もありましょう。

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登場人物紹介

【ミカ】(性別:無性 時々 男性)

神様の命令で人々を見守ることになった大天使ミカエル。サタニャエルくんに色々教えてもらう生徒役。ただ何も知らないお馬鹿ではなく、それなりに常識人。特に戦争に関することはなかなか詳しい。無意味な殺戮は嫌うが、戦争そのものは悪と見做さない。ビヨンデッタの作った「ケーキ」にトラウマがある。


(うんちく)

その名は「神に似たるものは誰か」という意味を持つ。ミカエルはMa-Ha-Elと分解され、「偉大なる神」の意味ともされる。天軍の総帥であり、右手に剣を持った姿で描かれる。


聖書において天使の翼に関する記述は無い。その造形はギリシア神話における勝利の女神ニケ(Nike)が由来であると考えられている。


ミカエル、最大の見せ場は新約聖書『ヨハネの黙示録』12である。そこには以下のような記載がある。

「かくて天に戰爭おこれり、ミカエル及びその使たち龍とたたかふ。龍もその使たちも之と戰ひしが、勝つこと能はず、天には、はや其の居る所なかりき。かの大なる龍、すなわち惡魔と呼ばれ、サタンと呼ばれたる全世界をまどはす古き蛇は落され、地に落され、その使たちも共に落されたり。」

おそらくは翼の生えた勝利の女神と、戦争における戦士の姿とが融合され、現代におけるミカエルのイメージを形作ったのであろう。

【サタニャエル】(性別:???)

ミカちゃん一人だと心配なので付いて来た。色んなことに詳しい黒猫。「サタニャエル」を名乗っているが、悪魔サタナエルと同一視されるかは謎。ビヨンデッタから「サマエル」と呼ばれてもおり、そうであれば楽園でイヴを誘惑した蛇であるとも言える。非常に好奇心旺盛で勉強熱心。たまに悪魔っぽいが、基本的には常識的。


(うんちく)

「猫に九生有り」のことわざは、高いところから落ちてもうまく着地してしぶとく生き残る、タフさから来ていると考えられる。何故「九生」なのかは定説は無いが、エジプト神話の猫頭の女神バステトが九つの魂を持っていたことに由来するのではないか、と言われる。そのようにしぶとい猫を殺すには「好奇心」が効果的であるとことわざは言う(「好奇心は猫を殺す」)。つまり人に知恵を与えたサマエルが、その罪によって神の罰を受けることの暗示として、サタニャエルというキャラクタは造られている。


サマエルは「神の悪意」という意味を持つ。12枚の翼を持つことから、堕天使ルシファーとも同一視される。

【ビヨンデッタ】(性別:男性 or 女性)

ミカを「お姉さま」と慕う悪魔の少女。その正体はソロモン72柱序列第1位ともされる魔王ベルゼブブ。ニーチェを好み、強き者が強くある世界こそが最も美しいと考えている。人間を「草」と呼び、その愚鈍さを嘲笑する。


(うんちく)

作中にあるように、ベルゼブブの由来はウガリット神話における豊穣の神バアル・ゼブル。バアルの信仰は旧約聖書において偶像崇拝として忌み嫌われ、度々敵対した。バアル・ゼブルをバアル・ゼブブと読み替えることで、その意味を「気高き主」から「蠅の王」へと貶めた。


「ビヨンデッタ」の名前は幻想小説の父J・カゾットの『悪魔の恋』に由来する。主人公のアルヴァーレは知的好奇心により悪魔ベルゼブブを呼び寄せ、そのベルゼブブは「ビヨンデット」という名の少年として彼に仕えた。やがて「ビヨンデット」は「ビヨンデッタ」という少女となり、アルヴァーレに強く愛を語る。そしてアルヴァーレは苦悩の末にビヨンデッタを愛してしまう。あまりにあっけない結末についてはここで語らない。


ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』は死の象徴として蠅が描かれる。また、理性を凌駕する闘争心は豚の首として表れた。作中でビヨンデッタが豚肉を好んでいるのも、そうした背景による。

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