8.聖山事件
文字数 1,426文字
ちょっと時間を巻き戻して、共和制ローマのとある昔話をしよう。
紀元前500年くらいの頃、アグリッパ・メネニウス・ラナトゥスという政治家がいた。
当時のローマには、パトリキとプレブスという階級が存在していた。
一般的にパトリキは「貴族」、プレブスは「平民」と訳される。
ただその源流は定かではなく、共和制ローマ後期には両者の区別は曖昧になる。
力を持ったプレブスとパトレスが融合し、ノビレスという階級が生まれたりしてね。
ノビレス(Nobiles)は英語のノビリティ(貴族)に通じますわ。
フランス語の「ノブレス・オブリージュ」などもよく聞く言葉でしてよ。
このパトリキとプレブスの間に、どうも諍いがあったらしい。
パトリキに対して不満を持ったプレブスたちが、平民のみの国家を作ると宣言したんだ。
これを「聖山事件」「プレブスの反乱」と呼ぶ。
個人的にはどっちの日本語訳も分かりにくいし、誤解を招きやすい。
「第一次プレブス離脱運動」とでもした方がいいんじゃないかな。
英語だと「First secessio plebis」となっているよ。
自分らだけの国か。
日本で言うところの山城国一揆みたいなもんかな。
あれは8年間も自治を維持できたすごい一揆やってんで。
聖山事件はそこまで過激じゃないさ。
彼らはモンテ・サクロ(聖山)に立てこもったけど、最後は話し合いで決着している。
その交渉の主役が最初に言ったアグリッパ・メネニウス・ラナトゥス。
彼の活躍はおよそ500年後の歴史家、ティトゥス・リウィウスに書かれている。
500年も経っていては、もはや信ぴょう性は期待できないのでは?
事実かどうかを疑う学者もいるね。
ともあれ、ここではリウィウスによる、ラナトゥスの活躍を見よう。
彼は分離独立を求めるプレブスに説得を試みた。
その説得の内容は次のような感じだ。
・社会を人体に喩える。
・パトリキは腹であり、プレブスはその他の部位である。
・その他の部位は腹を「食べるだけで何もしない」とみなした。
・そして食べるのをやめたが、すぐにその他の部位は飢餓状態で機能しなくなった。
・腹は単に「食べるだけ」ではなく、血を全身に送る重要な働きをしている。
つまり、パトリキはパトリキで働いているんだってことさ。
その役割を無視して勝手に国を作ってもうまくいかないぞってことかな。
少々詭弁めいて聞こえますが……。
草どもは自分の知らない仕事を過小評価しがちですものね。
「〇〇は役に立たない」「〇〇は仕事をしていない」とか。
聖山事件もそうした不満がベースにあると思えば理解しやすくなりますわ。
まあ、よう分かる話やで。
そんで、これは聖書に何か関係する話なんか?
パウロがこの寓話を知っていて、それを自分なりに使ったのではないか……。
という説があるのさ。
『コリントの人々への第一の手紙』第12章18-21節
ですから、神はお望みのままに、体に一つひとつの部分を備えてくださったのです。
もし、全部が一つの部分であったら、体はどこにあるのでしょうか。
ところが実際、部分はたくさんあっても、体は一つなのです。
目が手に向かって、「お前はいらない」とは言えず、
あるいはまた、頭が足に向かって、「お前たちはいらない」とも言えません。
確かに似た表現ですわね。
影響を受けたと言えなくもない、といったところかしら。
そしてこの喩えを通じて教会の秩序維持をすすめた。
ラナトゥスが喩えで国の秩序を保とうとしたようにね。
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