19.エルサレム滅亡の予告
文字数 1,697文字
イエスは仰せになった、
「あなた方が目にしているこれらのものが破壊され、
積み上げられた石が一つも残らない日が来る」。
危機を煽って大衆を惑わす輩に騙されるなというのさ。
これは『マタイによる福音書』『マルコによる福音書』に共通した話だ。
しかし実はその二つと『ルカによる福音書』には相違点がある。
移動した後に「さきほどの話ですが」みたいな感じで会話が続くんだ。
でも、それだと移動時間が不自然だと思ったのかもしれない。
『ルカによる福音書』では神殿で説教を行う。
人々は剣の刃に倒れ、捕虜となって、あらゆる国に連れていかれる。
そして、異邦人の期間が満たされるまで、エルサレムは異邦人に踏みにじられる。
「いちじくの木を、またあらゆる木を見なさい。
木が芽を出し始めると、それを見て、夏がすでに近いことを知る。
同じように、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近づいたことを知りなさい。
これらのことがすべて起こるまでは、今の時代は過ぎ去らない。
しかし、わたしの言葉は決して過ぎ去ることはない」。
わたしが夜見た幻の中で、見よ、人の子のようなものが天の雲に乗り、
「日の老いたる者」のもとに来て、そのみ前に導かれた。
地上を大きな患難が遅い、多くの人々が迫害を受ける時代のこととされている。
これがまだ起きていない、未来のことだと考えるのが未来主義。
そうではなく、エルサレム神殿破壊ですでに起きたとするのが過去主義だ。
「過去主義」は小難しく「黙示録預言既成説」とも訳されているね。
千年王国は実際上のものではなく、個々人の主観によるとか。
そうではなく、千年王国は社会をより良くすることのシンボルだとか。
何かしらの比喩的なものだという解釈を行っているというのさ。
オリーブと呼ばれる山で過ごされた。