13.放蕩息子と長者窮子

エピソード文字数 1,571文字

『ルカによる福音書』では、失ったものを取り戻す三つのたとえがある。

一つは失った羊で、九十九匹を置き去りにしても一匹を捜し求めるというもの。

これは『マタイによる福音書』でも見た話だったね。

次に出てくるのは、銀貨を無くした女のたとえ。

内容はとてもシンプルで、銀貨10枚の内1枚を無くした女がいる。

家じゅうを掃いて探し、見つかったなら、皆でそれを喜ぶというものだ。

銀貨10枚はおそらく持参金とかで、急ぎ必要なものだったんだろう。

いずれも失ったものは罪人(つみびと)のたとえ……

という解釈が一般的ですわね。

神は遠く離れた者こそお救いになる、とかなんとか。

遠くにおる人こそ歓迎せんとな。
そして三つ目が、放蕩息子のたとえ話だ。

新約聖書に書かれた寓話の中でも、かなり有名な部類だね。

とある二人の息子について書かれている。

弟が父に向かって言った、

「お父さん、わたしがもらうはずの財産の分け前をください」。

そこで、父は資産を二人に分けてやった。

さらりと言うとるけど、めっちゃ失礼やないかこれ。

お父さんまだ生きとるのに、遺産をはよよこせってことやろ?

違いない。

聖書学者のアーランド・J・ハルグレンも言っているよ。

父親の死を願うのと同等だ、とね。

今どきは生前贈与の話もよく聞きますが。

それとて、子から言い出すことでもございませんものね。

この弟こそまさに「放蕩息子」というわけだ。

資産を持って遠くの国に行き、放蕩で身を持ち崩す。

食うにも困って、結局父親の元に帰ってくるんだ。

おめおめと帰ってきた親不孝者。

そんな奴は馬小屋にでも押し込めてやれば良い。

この放蕩息子もそれなりに反省していた。

子と呼ばれる資格は無いから、雇い人の一人としてほしいと言う。

すると父親は彼を抱きしめ、口づけし、帰って来たことを大いに喜んだ。

祝福の宴を開き、綺麗な服を着させた。

甘やかし過ぎちゃうか?

好き勝手させて身を持ち崩したのに、これやとまた同じことになるで。

これを見て、兄の方は腹を立てた。

当然だよね。

兄は父親の言いつけを守って真面目に生きて来た。

なのに好き勝手する弟の方が大事にされているように見えるのだから。

すると父は言った、

「子よ、お前はいつもわたしとともにいる。わたしのものはすべてお前のものだ。

しかし、お前の弟は死んでいたのに生き返り、いなくなって見つかったのだから、

祝宴を開いて、喜び合うのはあたりまえではないか」。

父は神、兄はユダヤ人、弟は非ユダヤ人と罪人といったところかしら。

己の罪に気付き、悔い改めることこそが肝要ということでしょう。

マハーヤーナのサッダルマ・プンダリーカ・スートラに類似の話がある。

日本人に分かるように言うと、大乗仏教の法華経のことだよ。

Saddharma Puṇḍarīka Sūtra「正しい教えである白い蓮の花の経典」

これに帰依するよう説いた宗派が日蓮宗だ。

とある子供が家出をし、50年間の放浪の末に困窮していた。

実は彼の父親は非常に裕福で、息子を迎えるために召使をやった。

しかし息子は驚き恐れ、何かしらの報復ではないかとさえ思ってしまう。

そこで父親は親族関係を明かさず、徐々に息子を高い地位へと引き立てていく。

それで最終的には父親であることを明かす。

これは父親を仏、息子を人に見立てたたとえ話だね。

法華七喩の一つ「長者窮子(ちょうじゃぐうじ)」のたとえ話と呼ばれている。

こっちの息子は別に親の金で放蕩しとったわけちゃうんやな。

それやったらまだ共感できるわ。

イエスのように過激なことを言わずとも良かったのでしょう。

と言うか、その過激さはアジアの人々には馴染みにくいのかもしれません。

納得感が欲しいところだね。

社会情勢や生活習慣によって、僕らの思想はあっちこっちに揺らぐものだ。

たとえ話も、そこに生きる人にとってどう読まれるかが信仰の鍵となるだろう。

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登場人物紹介

【ミカ】(性別:無性 時々 男性)

神様の命令で人々を見守ることになった大天使ミカエル。サタニャエルくんに色々教えてもらう生徒役。ただ何も知らないお馬鹿ではなく、それなりに常識人。特に戦争に関することはなかなか詳しい。無意味な殺戮は嫌うが、戦争そのものは悪と見做さない。ビヨンデッタの作った「ケーキ」にトラウマがある。


(うんちく)

その名は「神に似たるものは誰か」という意味を持つ。ミカエルはMa-Ha-Elと分解され、「偉大なる神」の意味ともされる。天軍の総帥であり、右手に剣を持った姿で描かれる。


聖書において天使の翼に関する記述は無い。その造形はギリシア神話における勝利の女神ニケ(Nike)が由来であると考えられている。


ミカエル、最大の見せ場は新約聖書『ヨハネの黙示録』12である。そこには以下のような記載がある。

「かくて天に戰爭おこれり、ミカエル及びその使たち龍とたたかふ。龍もその使たちも之と戰ひしが、勝つこと能はず、天には、はや其の居る所なかりき。かの大なる龍、すなわち惡魔と呼ばれ、サタンと呼ばれたる全世界をまどはす古き蛇は落され、地に落され、その使たちも共に落されたり。」

おそらくは翼の生えた勝利の女神と、戦争における戦士の姿とが融合され、現代におけるミカエルのイメージを形作ったのであろう。

【サタニャエル】(性別:???)

ミカちゃん一人だと心配なので付いて来た。色んなことに詳しい黒猫。「サタニャエル」を名乗っているが、悪魔サタナエルと同一視されるかは謎。ビヨンデッタから「サマエル」と呼ばれてもおり、そうであれば楽園でイヴを誘惑した蛇であるとも言える。非常に好奇心旺盛で勉強熱心。たまに悪魔っぽいが、基本的には常識的。


(うんちく)

「猫に九生有り」のことわざは、高いところから落ちてもうまく着地してしぶとく生き残る、タフさから来ていると考えられる。何故「九生」なのかは定説は無いが、エジプト神話の猫頭の女神バステトが九つの魂を持っていたことに由来するのではないか、と言われる。そのようにしぶとい猫を殺すには「好奇心」が効果的であるとことわざは言う(「好奇心は猫を殺す」)。つまり人に知恵を与えたサマエルが、その罪によって神の罰を受けることの暗示として、サタニャエルというキャラクタは造られている。


サマエルは「神の悪意」という意味を持つ。12枚の翼を持つことから、堕天使ルシファーとも同一視される。

【ビヨンデッタ】(性別:男性 or 女性)

ミカを「お姉さま」と慕う悪魔の少女。その正体はソロモン72柱序列第1位ともされる魔王ベルゼブブ。ニーチェを好み、強き者が強くある世界こそが最も美しいと考えている。人間を「草」と呼び、その愚鈍さを嘲笑する。


(うんちく)

作中にあるように、ベルゼブブの由来はウガリット神話における豊穣の神バアル・ゼブル。バアルの信仰は旧約聖書において偶像崇拝として忌み嫌われ、度々敵対した。バアル・ゼブルをバアル・ゼブブと読み替えることで、その意味を「気高き主」から「蠅の王」へと貶めた。


「ビヨンデッタ」の名前は幻想小説の父J・カゾットの『悪魔の恋』に由来する。主人公のアルヴァーレは知的好奇心により悪魔ベルゼブブを呼び寄せ、そのベルゼブブは「ビヨンデット」という名の少年として彼に仕えた。やがて「ビヨンデット」は「ビヨンデッタ」という少女となり、アルヴァーレに強く愛を語る。そしてアルヴァーレは苦悩の末にビヨンデッタを愛してしまう。あまりにあっけない結末についてはここで語らない。


ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』は死の象徴として蠅が描かれる。また、理性を凌駕する闘争心は豚の首として表れた。作中でビヨンデッタが豚肉を好んでいるのも、そうした背景による。

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