16.平和ではなく剣を

文字数 1,226文字

十二人の使徒を集めて、イエスは彼らを町々へと派遣した。

要するに布教活動だね。

その中で迫害されることもあるだろうから、うまく立ち回って逃げろと言う。

ただし信仰を守って耐え忍べ、とね。

後の時代における宣教師の姿そのままですわね。

多くの希望と絶望が生み出される源。

実に結構なことですこと。

その派遣に際して、イエスはとんでもないことを言い出す。

この箇所は今もって多くの議論を呼ぶんだ。

わたしが地上に平和をもたらすために来たと思ってはならない。

わたしが来たのは、平和ではなく剣を投ずるためである。

わたしが来たのは、人をその父と、娘をその母と、

嫁をその姑と対立させるためである。

そんな……。

イエス様は世の中を平和にしてくれるんとちゃうんか。

その判断は難しい。

ここは『ミカ書』の引用だと考えられる。

『ミカ書』第7章5-7節

隣人を信じるな、友を信頼するな。

お前の胸に寄りかかる者に対しても、お前の言葉を慎め。

息子は父を侮辱し、娘は母に、嫁は姑に逆らうからだ。

人の敵はその家の者なのだ。

しかし、わたしは主を仰ぎ見る。

わたしの救いの神を待ち望む。

わたしの神は耳を傾けてくださる。

いつの時代も嫁姑問題は絶えませんわね。

家の中が不幸であればこそ、神が生み出されたのかしら。

不毛な争いを見せつけられては神にすがるより他ありませんもの。

それ以上はいけない。

いいね?

引用やとしても、それを引用した意図があるやろ。

やっぱり平和は来おへんのやろか。

そうとも言い切れない。

『ヨハネによる福音書』でこんな一節があるんだ。

『ヨハネによる福音書』第14章27節

わたしはあなた方に平和を残す。

わたしの平和をあなた方に与える。

わたしは世が与えるように、これを与えるのではない。

心を騒がせることはない。恐れることもない。

「世が与えるように」ではないと。

平和と言って、その意味は異なるということかしら。

であれば先に述べた平和は、イエスにとって偽りのもの。

二つを繋げればそうなる。

けれど別々と考えることも出来る。

アイルランド国宝で「世界で最も美しい本」と呼ばれるケルズの書では別解釈だ。

「わたしは平和のため(だけ)に来たのではなく、成功のために(も)来た」とある。

「剣」を「成功」に置き換えたわけだ。

これはケルズの書、そのレプリカだね。

ケルト文様で装飾が施された典礼用の福音書さ。

実際問題として、イエスの行動は世の中に不穏の種を蒔いていた。

罪人を救おうとしたり、律法学者と対立したり。

しかしイエスに付き従う人も増えていた。

社会的な分断をもたらしていたという事実がある。

イエス様は山上の説教で夫婦離縁すな言うとった。

そんな人が対立を望んでるとは考えにくい。

剣による分断は現実問題について語ったことなんかもしれんな。

イエスの行為は一時的に平和を破壊し、人々に不和をもたらす。

しかしそれは神の下に正しい平和を作り出すためのこと……。

その考えは偉大なるゆえか、それとも傲慢なるがゆえか。

とくと拝見いたしましょう。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

【ミカ】(性別:無性 時々 男性)

神様の命令で人々を見守ることになった大天使ミカエル。サタニャエルくんに色々教えてもらう生徒役。ただ何も知らないお馬鹿ではなく、それなりに常識人。特に戦争に関することはなかなか詳しい。無意味な殺戮は嫌うが、戦争そのものは悪と見做さない。ビヨンデッタの作った「ケーキ」にトラウマがある。


(うんちく)

その名は「神に似たるものは誰か」という意味を持つ。ミカエルはMa-Ha-Elと分解され、「偉大なる神」の意味ともされる。天軍の総帥であり、右手に剣を持った姿で描かれる。


聖書において天使の翼に関する記述は無い。その造形はギリシア神話における勝利の女神ニケ(Nike)が由来であると考えられている。


ミカエル、最大の見せ場は新約聖書『ヨハネの黙示録』12である。そこには以下のような記載がある。

「かくて天に戰爭おこれり、ミカエル及びその使たち龍とたたかふ。龍もその使たちも之と戰ひしが、勝つこと能はず、天には、はや其の居る所なかりき。かの大なる龍、すなわち惡魔と呼ばれ、サタンと呼ばれたる全世界をまどはす古き蛇は落され、地に落され、その使たちも共に落されたり。」

おそらくは翼の生えた勝利の女神と、戦争における戦士の姿とが融合され、現代におけるミカエルのイメージを形作ったのであろう。

【サタニャエル】(性別:???)

ミカちゃん一人だと心配なので付いて来た。色んなことに詳しい黒猫。「サタニャエル」を名乗っているが、悪魔サタナエルと同一視されるかは謎。ビヨンデッタから「サマエル」と呼ばれてもおり、そうであれば楽園でイヴを誘惑した蛇であるとも言える。非常に好奇心旺盛で勉強熱心。たまに悪魔っぽいが、基本的には常識的。


(うんちく)

「猫に九生有り」のことわざは、高いところから落ちてもうまく着地してしぶとく生き残る、タフさから来ていると考えられる。何故「九生」なのかは定説は無いが、エジプト神話の猫頭の女神バステトが九つの魂を持っていたことに由来するのではないか、と言われる。そのようにしぶとい猫を殺すには「好奇心」が効果的であるとことわざは言う(「好奇心は猫を殺す」)。つまり人に知恵を与えたサマエルが、その罪によって神の罰を受けることの暗示として、サタニャエルというキャラクタは造られている。


サマエルは「神の悪意」という意味を持つ。12枚の翼を持つことから、堕天使ルシファーとも同一視される。

【ビヨンデッタ】(性別:男性 or 女性)

ミカを「お姉さま」と慕う悪魔の少女。その正体はソロモン72柱序列第1位ともされる魔王ベルゼブブ。ニーチェを好み、強き者が強くある世界こそが最も美しいと考えている。人間を「草」と呼び、その愚鈍さを嘲笑する。


(うんちく)

作中にあるように、ベルゼブブの由来はウガリット神話における豊穣の神バアル・ゼブル。バアルの信仰は旧約聖書において偶像崇拝として忌み嫌われ、度々敵対した。バアル・ゼブルをバアル・ゼブブと読み替えることで、その意味を「気高き主」から「蠅の王」へと貶めた。


「ビヨンデッタ」の名前は幻想小説の父J・カゾットの『悪魔の恋』に由来する。主人公のアルヴァーレは知的好奇心により悪魔ベルゼブブを呼び寄せ、そのベルゼブブは「ビヨンデット」という名の少年として彼に仕えた。やがて「ビヨンデット」は「ビヨンデッタ」という少女となり、アルヴァーレに強く愛を語る。そしてアルヴァーレは苦悩の末にビヨンデッタを愛してしまう。あまりにあっけない結末についてはここで語らない。


ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』は死の象徴として蠅が描かれる。また、理性を凌駕する闘争心は豚の首として表れた。作中でビヨンデッタが豚肉を好んでいるのも、そうした背景による。

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色