4.兄弟たち

文字数 1,730文字

『マルコによる福音書』第3章35節

神のみ旨を行う者は誰であれ、わたしの兄弟、わたしの姉妹、わたしの母である。

キリスト教の信者同士は「兄弟」「姉妹」と呼び合うようになった。

相手によっては「父」や「母」とも呼んだらしい。

兄弟か。

桃園の誓いを思い出すなあ。

「我ら生まれた日は違えども 死す時は同じ日同じ時を願わん」

桃園の誓いは『三国志』の劉備、関羽、張飛による義兄弟の契りですわね。

そういうのとはちょっと違うと思うけれど。

「より近い関係性」という意味では通じるところがあるかもね。

家族は最も近しい関係性だと言えるだろう。

その関係を一つの宗教組織に組み込んだというわけだ。

「兄弟」は古代ギリシア語でアデルフォス(adelphós)

形容詞として使う場合、「兄弟の」だけではなく「姉妹の」とも訳されます。

他に「近い関係の」「同族の」といった意味もありましてよ。

『使徒言行録』第1章15節

そのころ、百二十人ほどの兄弟たちが一団となって集まっていたが、

ペトロはその中に立って言った、

そしてここが『使徒言行録』において「兄弟」が現れた最初の場面だ。

初代教会の信者たちが互いを「兄弟」と呼び合っていたことの証左でもある。

そして話を聖霊降臨後に戻そう。

ペトロは兄弟たちに向かって、皆が酒に酔っているわけではないと言った。

むしろ今起きていることは、預言者ヨエルを通して神が語ったことだと言う。

『ヨエル書』第3章1-5節

その後、わたしは、わたしの霊をすべての人の上に注ごう。

お前たちの息子や娘は預言し、老人たちは夢を見、若者たちは幻を見るだろう。

その日、わたしは、僕(しもべ)やはしための上にもわたしの霊を注ごう。

わたしは天と地に不思議な徴を現す。

血と火、そして煙の柱である。

偉大な、恐るべき主を目の前にして、太陽は闇と化し、月は血に変わる。

しかし、主の名を呼ぶ者はみな救われる。

シオンの山とエルサレムに救いがあるからだ。

主が呼ばれた残りの者らのうちにも。

さらにペトロはダビデの名を出してイエス・キリストを正当化した。

ダビデは『詩編』で「彼(メシア)は朽ち果てることがない」と語った。

死して復活したイエスこそが神により「主」とも「メシア」ともされたというわけだ。

しかしこの「兄弟たち」はイエスの復活を見てはいないのでしょう?

使徒たちがほらを吹いていると疑いはしないのかしら。

ビヨンデッタ。

「見ずに信じる者は幸いである」やで。

お姉さまったら聖書の句で反論するだなんて。

なんだか、うさん臭さが漂っていましてよ。

『ヨハネによる福音書』第20章29節だね。

大丈夫。ペトロの言葉に兄弟たちは強く心を打たれたらしい。

そして、どうすれば良いのかをペトロに尋ねた。

そこでペトロは彼らに答えた、

「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、

イエス・キリストの名によって、洗礼を受けなさい。

そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう」。

悔い改めよ、か。

よう聞く言葉やけど、実際どういう意味なんやろ。

後悔して、改善するとか、そういうんかな。

「悔い改め」は英語だとリペント(repent)で「後悔する」という意味。

ラテン語のヴルガタ訳だとポエニテンティアム(poenitentiam)で「懺悔する」だね。

ただどちらにしても、ここでの文脈ではそのままの意味には使われない。

ここでは「回心する」と訳すべきで、神の道に立ち返ることを意味するんだ。

ここで先に挙げた『ヨエル書』が活きてくる。

『ヨエル書』は二部構成で第一部が「嘆きと悔い改めの訴え」とされている。

『ヨエル書』第2章12-13節

しかし、今でも――主の言葉――断食し、嘆き悲しみながら、心をこめてわたしに立ち返れ。

お前たちの衣服ではなく、心を引き裂き、お前たちの神、主に立ち返れ。

主は恵み深く、憐れみ深い。

怒るに遅く、慈しみ溢れ、災いを思い留まられる。

散々災いをまき散らしておいて「憐れみ深い」などと。

嫉妬深い神が随分と大きく出ましたわね。

うちのボス、怒りっぽいとこあるけど、根はええ神様やからな。
悔い改めるってのは、ただ後悔したりするんとちゃう。

苦しみ迷った時、神様のところに立ち返るってことやな。

そしたらきっと正しい道が見つかるはずなんや。

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登場人物紹介

【ミカ】(性別:無性 時々 男性)

神様の命令で人々を見守ることになった大天使ミカエル。サタニャエルくんに色々教えてもらう生徒役。ただ何も知らないお馬鹿ではなく、それなりに常識人。特に戦争に関することはなかなか詳しい。無意味な殺戮は嫌うが、戦争そのものは悪と見做さない。ビヨンデッタの作った「ケーキ」にトラウマがある。


(うんちく)

その名は「神に似たるものは誰か」という意味を持つ。ミカエルはMa-Ha-Elと分解され、「偉大なる神」の意味ともされる。天軍の総帥であり、右手に剣を持った姿で描かれる。


聖書において天使の翼に関する記述は無い。その造形はギリシア神話における勝利の女神ニケ(Nike)が由来であると考えられている。


ミカエル、最大の見せ場は新約聖書『ヨハネの黙示録』12である。そこには以下のような記載がある。

「かくて天に戰爭おこれり、ミカエル及びその使たち龍とたたかふ。龍もその使たちも之と戰ひしが、勝つこと能はず、天には、はや其の居る所なかりき。かの大なる龍、すなわち惡魔と呼ばれ、サタンと呼ばれたる全世界をまどはす古き蛇は落され、地に落され、その使たちも共に落されたり。」

おそらくは翼の生えた勝利の女神と、戦争における戦士の姿とが融合され、現代におけるミカエルのイメージを形作ったのであろう。

【サタニャエル】(性別:???)

ミカちゃん一人だと心配なので付いて来た。色んなことに詳しい黒猫。「サタニャエル」を名乗っているが、悪魔サタナエルと同一視されるかは謎。ビヨンデッタから「サマエル」と呼ばれてもおり、そうであれば楽園でイヴを誘惑した蛇であるとも言える。非常に好奇心旺盛で勉強熱心。たまに悪魔っぽいが、基本的には常識的。


(うんちく)

「猫に九生有り」のことわざは、高いところから落ちてもうまく着地してしぶとく生き残る、タフさから来ていると考えられる。何故「九生」なのかは定説は無いが、エジプト神話の猫頭の女神バステトが九つの魂を持っていたことに由来するのではないか、と言われる。そのようにしぶとい猫を殺すには「好奇心」が効果的であるとことわざは言う(「好奇心は猫を殺す」)。つまり人に知恵を与えたサマエルが、その罪によって神の罰を受けることの暗示として、サタニャエルというキャラクタは造られている。


サマエルは「神の悪意」という意味を持つ。12枚の翼を持つことから、堕天使ルシファーとも同一視される。

【ビヨンデッタ】(性別:男性 or 女性)

ミカを「お姉さま」と慕う悪魔の少女。その正体はソロモン72柱序列第1位ともされる魔王ベルゼブブ。ニーチェを好み、強き者が強くある世界こそが最も美しいと考えている。人間を「草」と呼び、その愚鈍さを嘲笑する。


(うんちく)

作中にあるように、ベルゼブブの由来はウガリット神話における豊穣の神バアル・ゼブル。バアルの信仰は旧約聖書において偶像崇拝として忌み嫌われ、度々敵対した。バアル・ゼブルをバアル・ゼブブと読み替えることで、その意味を「気高き主」から「蠅の王」へと貶めた。


「ビヨンデッタ」の名前は幻想小説の父J・カゾットの『悪魔の恋』に由来する。主人公のアルヴァーレは知的好奇心により悪魔ベルゼブブを呼び寄せ、そのベルゼブブは「ビヨンデット」という名の少年として彼に仕えた。やがて「ビヨンデット」は「ビヨンデッタ」という少女となり、アルヴァーレに強く愛を語る。そしてアルヴァーレは苦悩の末にビヨンデッタを愛してしまう。あまりにあっけない結末についてはここで語らない。


ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』は死の象徴として蠅が描かれる。また、理性を凌駕する闘争心は豚の首として表れた。作中でビヨンデッタが豚肉を好んでいるのも、そうした背景による。

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