4.兄弟たち
文字数 1,730文字
神のみ旨を行う者は誰であれ、わたしの兄弟、わたしの姉妹、わたしの母である。
そのころ、百二十人ほどの兄弟たちが一団となって集まっていたが、
ペトロはその中に立って言った、
その後、わたしは、わたしの霊をすべての人の上に注ごう。
お前たちの息子や娘は預言し、老人たちは夢を見、若者たちは幻を見るだろう。
その日、わたしは、僕(しもべ)やはしための上にもわたしの霊を注ごう。
わたしは天と地に不思議な徴を現す。
血と火、そして煙の柱である。
偉大な、恐るべき主を目の前にして、太陽は闇と化し、月は血に変わる。
しかし、主の名を呼ぶ者はみな救われる。
シオンの山とエルサレムに救いがあるからだ。
主が呼ばれた残りの者らのうちにも。
ダビデは『詩編』で「彼(メシア)は朽ち果てることがない」と語った。
死して復活したイエスこそが神により「主」とも「メシア」ともされたというわけだ。
「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、
イエス・キリストの名によって、洗礼を受けなさい。
そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう」。
ラテン語のヴルガタ訳だとポエニテンティアム(poenitentiam)で「懺悔する」だね。
ただどちらにしても、ここでの文脈ではそのままの意味には使われない。
ここでは「回心する」と訳すべきで、神の道に立ち返ることを意味するんだ。
しかし、今でも――主の言葉――断食し、嘆き悲しみながら、心をこめてわたしに立ち返れ。
お前たちの衣服ではなく、心を引き裂き、お前たちの神、主に立ち返れ。
主は恵み深く、憐れみ深い。
怒るに遅く、慈しみ溢れ、災いを思い留まられる。