第15話 雷氷の田園曲 その3

文字数 4,896文字

(………?)

 だが、数秒経っても何も起きない。ゆっくりと目を開けると、

「これは……」

 緑と[ルビスコ]の視線が彼女に向いていない。別の対象がある。それは、

(紫電の式神たちだ。ここぞという時に、駆けつけてくれた……)

 援軍である。紫電の式神は三体。[ライデン]は地を蹴り、[ヒエン]は宙を舞い、緑を翻弄している。[ゲッコウ]は[ルビスコ]の鋏を甲羅で受け止めている。

「何だよコイツらは! さっきまでいなかったのに! ああ、もう! 鬱陶しい! [ルビスコ]、やれ!」

 尻尾の先の筆が文字を書く。除霊と書き、撃ち込む。

(…! 効かない、だと? ということは、幽霊の類ではないって? でもじゃあ、紫電が式神を持っているということに……。で、でも! 二年前は持っていそうになかったはずだわ! それともあの虫の息の女の式神?)

 いずれにせよ、トドメを邪魔された。
 つかの間の安堵を感じる雪女に、とある人物が駆け寄る。

「遅れてすまん、雪女! バリケードの設置に手間取っちまったんだ……」

 紫電だ。雪女に肩を貸そうとまず手を伸ばす。雪女はそれを受け取り立ち上がるが、

「謝ること、ないよ。私がしっかりしてれば、こんなことにはならなかったから……」

 彼が自分を抱き寄せようとすると、彼女は拒む。

「それに、やらないといけないことがまだ終わってない」
「ああ、そうか。わかった」

 彼が来てくれたからには、緑の相手は任せてよいということだ。けれどもいくら味方の式神がいるからとはいえ、あの[ルビスコ]の相手は心労的にも物理的にも本当に骨が折れる。今ここで、戦闘能力を奪っておかないといけない。紫電にバトンタッチするのは、その後だ。

「今度は俺が支えるぜ」

 紫電の肩を借り、[ルビスコ]に近づく。狙うのは、頑丈な装甲に守られていない口の中だ。太く長い雪の氷柱を生み出し、目標に向けて、二人で走る。

「やああああああああああああっ」

[ルビスコ]には気付かれ、鋏が迫る。でも[ゲッコウ]がそれを身を挺して受け止めてくれている。緑は背中を向けていて、見てすらいない。

「やれえええええ、雪女ぇえええええ!」
「どうりゃあああああっ」

 一筋の垂氷が静かに、しかし力強く、大きな牙の隙間を抜いて口腔内を貫いた。一瞬、ビクッと動くと[ルビスコ]の鋏や腕、脚は動くことをやめる。ドスンと胴体が地面に落ちた。

「ちょっと、どうしたの? [ルビスコ]?」

 やっと緑は気付く。雪女と紫電が[ルビスコ]の唯一の弱点を攻撃したことに。[ルビスコ]の体や札は砕けていないので、破壊はされていないのだが、今の一撃は致命的で、これ以上動くことはできないだろう。

「………やってくれた、わね……!」

 式神を札に仕舞う緑。それを見て紫電も、三体の式神を手元に戻して札に仕舞う。

「いいわ! どうせさ、紫電! 石や役目とは関係なく! あんたとは決着をつけなくちゃいけないと思ってたんだよ、私は! 二年前に塗られた泥を、あんたの血と汗で洗い流してやるわ!」
「いいぜ。お前がその気なら、な! ただし! 勝つのは俺だ!」

 雪女をバリケードのそばに座らせ、紫電は緑の前に戻った。手にはダウジングロッドが握られている。

(一つ、懸念すべきことがあったが、それはもう消えた。雪女が潰してくれたからな)

 二年前に初めて緑と遭遇した時、彼女が使っていた謎の現象だ。あの時、後で調べたが紙に書き込んだ文字を具現化させる霊障は、確認できなかった。だがそれが式神のチカラだったと言われれば納得できる。札に入っている状態でも影響がある、恐ろしい式神だ。だがそれを、雪女が無力化してくれた。
 つまりこの戦いは本当に、紫電と緑の一対一の勝負なのだ。だが紫電は開始早々、緑に背中を向けた。

「あっ!」

 それにしまったと思ったのは、緑の方だ。先ほど雪女を襲わせたスズメバチの存在がバレていた。

「おいおいお……。一体何匹いやがるんだ、こりゃ! だがな! そういう時こその電霊放がある!」

 彼が握るダウジングロッドの先端が、青白く光り出す。

(でも……一撃で全部、落とせるとでも? 流石の紫電でも、そんなことは無理でしょ)

 不可能だと自分に言い聞かせることで、焦りを一瞬で安堵に変えた。
 が、

「くらいな! 拡散電霊放!」

 解き放たれた青白い稲妻は四方八方に飛び散り、数十匹以上はいるであろうスズメバチの胴体や翅を撃ち抜いた。やられた虫たちは地面に落ち、体が砕けで塵と化し空気に溶けて消える。

「………なるほどね。この二年で随分と強くなったみたいじゃないの。これはこれで、少しは楽しめそうで何よりだわ!」

 彼女の声には、少しの動揺も含まれていない。紫電が予想外の一手を繰り出したのにもかかわらず、である。相手の強さを感じると逆に闘志が湧いてくるのだ。

「さあ! 始めるわよ、紫電! 私のリベンジマッチを!」
「ああ……。かかって来い!」

 そしてそれは紫電も同じだ。思えば、強い相手と戦いそして勝つ……そんな欲求を前にすれば、背景にある陰謀など無関係。ただ、目の前の勝負にだけ集中する。それが相手への最大限の礼儀でもある。

「はあああぁあああああっ!」

 駆け出す緑。その動きの残像が、ざわつく虫に変化する。

(やはり応声虫か!)

 数のアドバンテージで優位に立つつもりなのだ。しかし紫電は、それを覆せる拡散電霊放を使える。それは彼女も既に把握しているはずだ。

(だからこそ、何か策があるのか!)

 計画性のない一手が来るとはとても思えない。
 限界なく産み出される虫たちを狙う必要はない、緑本人さえねじ伏せてしまえばそれで終わりだ。そう判断した紫電はダウジングロッドの先を彼女に向ける。

(一発で撃ち抜く! 何かを始める前に、強引だが終わらせる!)

 しかし放とうとしたその瞬間、足元が揺れた。

「な、何だ……? まさか、礫岩か?」

 真っ先にそれが思い当たったが、違う。動きが、地震ではない。自分が立っている場所のすぐ下で何かが動いている、そのせいで自分が揺れている。そんな感覚だ。実際に視線を下に向けると、アスファルトを貫いて大きな木の根が蠢いていた。

「既に作戦は遂行中ってことか……。だが!」

 姿勢は崩されたが、それだけで負けに直結するような紫電ではない。傾きながらも電霊放を拡散させ、迫りくる応声虫の虫を消し飛ばす。

(………)

 青白い稲妻が瞬いた。そのたった一瞬で、けしかけた虫たちは排除された。

(やはりコイツ……! 電霊放に関しては、弱点がない!)

 その様子をただ黙って見る緑。彼女は礫岩が使えないので、完全に無効化する術がない。だからこそ、紫電の電霊放の腕前は十分な脅威となるが、

(でもね……真の強者は相手のスキルを利用する、のよ!)

 脳細胞が最もやり易い戦い方を弾き出した。紫電の電霊放は、当たればかなりの負傷は確実だろう。身をもって知ったからわかっている。それを相手自身に浴びせるのだ。

(そのためには、不意を突く! まずは…)

 バリケードの影に隠れる。それから、応声虫と木霊を合わせた樹海脈を使用。

「な、何だ?」

 急成長した木々がスピーカーのように大きな音を吐き出し始めた。目で緑の動きを追っていた紫電だが、バリケードの裏に回られた際には足音に注意を払っていたために、耳を貫く悲痛な叫び声のような騒めきには怯んだ。

(グズグズしてられねえぞ? 早く追いかけねえと、見失う!)

 邪魔な木に電霊放を撃ち込んで破壊したが、その木陰には彼女の姿が既になかった。

「逃がすかよ、緑!」

 ここで紫電は、ダウジングロッドを持ち直した。軽く握り、そのままゆっくりと体の向きを変える。右では何も反応なし。後ろもなし。だが左に向けた途端、ロッドが動いた。

(この方向だな!)

 何かを企てているのか、緑はそこから動かない。今がチャンスだ。目の前にはバリケードの廃車があるが、回り込めば気づかれる。かといって紫電は電霊放を曲げることはできないし他の霊障も使えないので、飛び道具がない。
 グッと、足に力を入れて立つ。左右の拳を合わせてロッド同士を近づけ、その間に電気をため始めた。

(障害物ごと、ぶっ飛ばしてやるぜ…!)

 集束電霊放を撃つのだ。車ぐらい、易々と貫ける威力がある。ものの数秒でチャージが完了し、細いが力強い雷を放った。

「くらえっ!」

 青空の太陽よりも眩しい光が、彼の持つダウジングロッドの先端から現れた。反動で彼の体が少し後ろに傾く。

「ぎゃあおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 向こう側から、悲痛な叫び声が聞こえた。手応えもちゃんとあり、直撃したようだ。

「どうだ?」

 バリケードの後ろに回り込む紫電。そこには血が流れ出す左肩を抑えている緑の姿が。

「う、うぐう! よくもまた、やってくれたわね……!」

 おびただしい出血の様子から察するに、肩を通る動脈が損傷しているようだ。周辺の骨や筋肉なども、無事ではないだろう。実際、彼女の左腕はブランと垂れ下がり、自分の意思で動かせていない。

「そのダメージじゃ、もう勝負はあったな。随分と呆気なかったがよ。別に命を奪おうなんざ、俺たちは考えちゃいねえぜ。大人しく降参すれば、すぐに治療できる」
「誰がこの程度で、負けを認めると?」
「おいおい、強がるなよ……」

 電霊放による効果は傷だけではない。かなり威力があったということは、同時に痺れももたらされるということ。今、緑は体が痺れてまともに動けないはずだ。その状況で距離を詰められているのだから、ここで虚勢を張っても意味などないはず。
 しかしやせ我慢ではないことを即座に理解する羽目になる。

「多少は怪我することは、覚悟してたわよ。でもここまで出血するのは、さすがに予想できなかったわね……。でも!」

 当てていた右手を肩から離すと、なんと傷口がもう塞がっている。

「な? 馬鹿な……!」
「油断したわね紫電!」

 言うことを聞かないはずの左腕が力を帯びて動き出し、何かを紫電に向けて投げつけた。それは、応声虫と霊魂の合わせ技である音響魚雷だった。

「っぶわっ!」

 目と鼻の先で、凄まじい轟音が解き放たれた。それは紫電の鼓膜を大きく動かし、脳まで揺さぶったほどに強く、音と言うよりは衝撃波の方が近い。本来なら注意をそらす役目がある霊障合体だが、どうやら相手に直接ぶつけても怯ませる効果があるらしい。

(何だコイツ? スタングレネードみてえなのを使ったぞ、今!)

 耳がおかしい。自分の声と心臓の鼓動、呼吸の音以外には、何も聞こえない。鼓膜が破れたわけではないが、聴覚が麻痺している。緑は紫電がうまく動けない今のうちに、形勢を立て直そうとするだろう。少なくとも電撃による体の痺れからは確実に回復できる。

(俺も早く感覚を取り戻さねえと、ヤバい!)

 まだ、耳がおかしい。

「ぬりゃあああああおお!」

 緑の雄叫びが聞こえないのだ。
 彼女はここで、紫電に接近戦を挑んだ。肉弾戦に自信があるからではなく、遠くに行けるほど回復できていないのだ。痺れは弱くなりつつあるが、問題は流れ出てしまった血液。慰療は傷を治せるが、失った血までは戻せず造血に関しては自然治癒力頼み。離れるための移動の最中に貧血を起こして動けなくなったら……。その先を考えるくらいなら、目の前の紫電をさっさと倒して血液の全快を待った方が良い。

「どうよ、紫電っ!」
「ぐっ!」

 緑が応声虫で生み出したのは、オオスズメバチだ。それを握り、紫電の顔目掛けて振る。毒のない針が皮膚を引っかき、血が流れ出る。緑はそんな少量の出血では満足しない。

「こっちはもっと出て行ってしまってんのよ、この!」

 今度は木綿で生み出したつるの鞭で脚を叩く。同時に霊魂と木綿を合わせた果球も飛ばし、もう片方の脚を攻撃した。流石に地面に倒れ込む紫電。

「うぬくっ……」

 まだ、耳の感覚が変だ。しかも眩暈までしてきた。

「どういう気分? 泣いてる時にハチに刺されるのは!」

 この言葉も、歪んで全然聞こえない。ただ緑が何かを言おうと、口を動かしているのだけはわかる。
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