第17話 桃源の交響曲 その2

文字数 3,820文字

「んんん?」

 緑祁のスマートフォンが鳴っている。バイブレーションの感覚からして、誰かが電話をかけてきているらしい。

(こんな時間に誰だろう?)

 手を伸ばす前に、時計を見た。もうそろそろ日付が変わる時間だ。眠たい目を擦って画面を見ると、

「え? 嘘!」

 実家からかかってきている電話だった。

(大学の講義に出れていないことがバレた?)

 緑祁は、今自分が置かれている状況や対処すべき問題に関して、大学の友人や先輩はおろか、両親にすら教えていない。だから、研究室に顔を出さないことを不審に思った教授か大学院生が、安否を確認するために実家に連絡を入れ、その結果、父か母のどちらかが自分に電話をしてきたのだろう。

(でも、メール一つで済むことじゃ?)

 しかし違和も感じる。研究室のメンバーの誰かが自分の欠席を怪しいと思ったのなら、自分に直接聞けばいいはずだ。

(悩んでも仕方がない!)

 理由がどうであれ、電話に出さえすればそれで解決できる。だからスマートフォンを持ち、出た。

「もしもし? 母さん? それとも父さん?」
「こんばんは、です。緑祁……!」
「そ、その声は!」

 両親ではない。無論友達でもない。でも、聞いたことがある女性の声だ。

「凸山……紅! どうして僕の実家から電話をかけている?」
「今、そこにいるからですよ。霊能力者ネットワークにあなたの住所は記載されていなかったのですが、代わりに電話番号がありましたので、それを頼りに探したのです。そうしたら、あなたの実家を発見した、というわけです」

 これは非常に不味い状況だ。

「母さんと父さんに、何をした!」
「何を? と、言いますと?」
「僕の両親を人質にして……」
「ハッキリと言いますけど、二人には何もしていませんよ。私の侵入にすら気づいていないで、スヤスヤ寝室で眠っています。霊能力者ではないようですし、そういう相手には手は出しませんから」

 流石の紅も、一般人に危害を与えるつもりはない。

「でもあなたが! 石を渡してくれないと言うのなら! 私も冷血な手段に出るしかありません」

 だが時と場合によっては、卑劣な行動に移ると宣言する。そうすれば、

「今すぐ、向かう! それまで何もしないでくれ!」

 相手の方からこっち側に飛び込んでくるのだ。

「ええ、いいでしょう。では待ちましょう。タイムリミットは、朝日が昇るその時! 太陽が水平線から顔をちょっとでも出したら、この家はあなたの両親ごと焼却処分します」

 一瞬耳からスマートフォンを離し、画面に表示される時刻を確認する緑祁。ちょうど午前零時。

(日の出まで、多分五時間もない。それまでに八戸から、大間町に行かないといけない。そして紅を止めなければいけない!)

 時間的に始発よりも終電の方が近いので、電車やバスは動いておらず頼れない。車で行こうにも三時間はかかる。

「ではどうぞお気をつけてお越しくださいませ」

 紅からの電話はそれで切れた。

(どうする、どうする……?)

 今の緑祁は冷静さに欠けていた。両親を人質同然として扱われているので、無理もない話だ。だが、

「緑祁、聞こえたわよ」

 香恵は違った。緑祁の声で起きてしまった彼女は、電話の内容を聞き、危機が迫っていることも理解。そして彼とは違い冷静に、

「彼女たちの力を借りればいいわ」

 緑祁はテーブルの上に置いてある、二枚の札に目をやった。[ライトニング]と[ダークネス]の札だ。彼女たちに乗せてもらえれば、車よりは時間がかからない。

「でも、ヘリコプターの方が早いんじゃないかな?」
「緑祁、冷静になって! どうして紅がわざわざ緑祁の実家から電話してきたか、考えてみて!」
「どうして、って……? 人質にしたことを教えるためじゃ?」
「それもあるわ。でもそれを緑祁に伝えたらどうなるか、紅が考えていないと思う?」

 当然パニックに陥る。それが紅の狙いだ。平常心を失わせ、動揺しやすい状況に落とし込む。相手は精神面で優位に立とうとしているわけだ。

「そ、そうか! 焦れば焦るほど、紅の思う壺!」
「きっと彼女は今、乗り物の動きに敏感なはずだわ。緑祁が来るってわかってるんだから、何かしら妨害か対策はしているはずよ。焦って駆け込めばそれだけこっちが不利になるわ」

 大きな音を出してしまうヘリコプターで移動すれば、確実にバレる。

「一旦、深呼吸して! スーって吸って、ハーって吐いて!」

 少々呼吸を落ち着かせる緑祁。そうすると、無意識のうちに昂っていた心臓の鼓動も落ち着きを見せる。
 まずは着替えだ。その後に緑祁は紫電の部屋を訪ね、ドアをノックし、

「ムリャア……。何だぁ、こんな夜中に……」
「紫電、ちょっと香恵と僕で、大間町に行ってくる!」
「………は?」

 叩き起こされた紫電には、緑祁が何を言っているのかわかっていない。しかし緑祁は廊下を戻ると客間の窓から身を乗り出した。既に香恵が二体の式神を召喚してくれている。

「頼むよ、[ライトニング]! できるだけ飛ばしてくれ!」
「[ダークネス]、準備ができたわ! 北を目指して!」

[ライトニング]の背中に跨った。香恵は[ダークネス]を選んだようだ。そのまま二人と二体の式神が、夜空に向かって飛んでいき、暗い闇に紛れて見えなくなる。

「大事っぽいな、これは! 最悪だ、パイロットはまだ出勤前だ」

 眠気が消えた紫電は雪女を起こし、自分たちも大間町に行くことに。修練が絡んでいそうなので、相手の身柄を拘束し移動しやすいように、彼らは車を選んだ。


 時間にして、一時間半程度。緑祁は故郷である大間町の地に降り立った。だが今はノスタルジックな雰囲気を味わう余裕はない。

(僕たちの到着は、まだ紅にバレていない!)

 式神での移動は数ある移動手段の中でも群を抜いて速いので、こんなすぐに来ることは予想できないだろう。現に緑祁と香恵に攻撃してくる幽霊や霊障は、ない。

「ありがとう、[ライトニング]、[ダークネス]! 札に入って休んでいてくれ。帰りは別の方法を使うから、ゆっくりと」

 式神を札にしまう。それから自分の実家の方向に歩み出す。現在位置は小学校の校庭で、ここから二十分くらい歩く。今にも暴れ出しそうな心臓と感情を何とか抑えながら、一歩、また一歩とゆっくりと進んだ。

「待って、緑祁……」

 香恵が静かにそう呟いた。彼女は電信柱に指を向けている。そこには、何か紙のようなものが貼り付けられている。しかし、チラシにしては小さ過ぎ、それが違和感を抱かせているのだ。恐る恐る近づくと、それは古びた和紙であることがわかった。

「まさか……!」

 理解した瞬間には既に遅い。その和紙……札から、霊魂が発射された。

「ぐわっ!」

 狙いは正確で、見事緑祁の額に命中。一瞬だが頭を強く殴られた感覚に陥り、転んでしまった。

「だ、大丈夫、緑祁?」
「う、何とか……」

 しかしすぐには立て直せない。香恵が彼のおでこに手を当て、傷を癒した。感覚からして、脳に致命的なダメージはなさそうだ。

「紅は……。僕の家から電話をかけてくる前の段階で既に、準備を済ませていたみたいだ。早く来ればこっちが有利になると思っていたのは僕だけだった…!」

 あの霊魂が緑祁の接近に反応して発動していたとすれば、この町のどこかにいるであろう紅はもう感知している。ここに向かってくるだろう。グズグズしてはいられないのだ。

「でも今のところは、何も感じないわ。きっと土地勘のない地域だから、すぐには駆けつけられないわよ」

 ただ、香恵の意見も一理ある。この町で生まれ育ったのは緑祁の方で、紅ではない。ましてや目印になりそうなものがなく、しかも深夜で暗い。霊的な勘だけを頼りに動くわけにもいかない。

「よいしょっと」

 鈍いが、ちゃんと立ち上がった。相手が自分の目の前まで来るまで待つ、という発想は彼の中にはない。寧ろ逆だ。ホームグラウンドを荒らすというのなら、先に見つけ出して捕まえてやる。そう思うと熱い闘志が湧いてきた。
 きっと紅は、町中に罠を設けているのだろう。緑祁はその全てを破壊するつもりだ。現に今の位置から数歩動いた先のマンホールにも札が貼ってあったので、発射される前に鬼火で焼き尽くす。これを進むたびに何度も繰り返し、掃除してしまうのだ。


「冷静にはなれていないようですね」

 紅は、近づきつつある緑祁たちの存在を感知していた。全く愚かな発想だと感じる。

「私が…! 町中に罠を仕掛けているとしたら、下手に動くのは負傷する危険があるだけでしょうに。そんなリスクを冒す行為は、とても理にかなっているとは……」

 ただ、自分たちの置かれた状況を考慮すると、危ない橋を渡っているのは紅……ひいては修練の方である。一方的に馬鹿にできるわけではない。

「まあ、いいでしょう! あえてそれを無謀とは言わず、勇気と認めてあげましょうか! 面と向き合って、そして打ち負かしてやりますよ」

 緑祁の実家の近くにはコインランドリーがある。二十四時間営業だが、さすがにこの時間帯は誰もいない。その店内に紅は一人、椅子に座っていた。

(彼には旋風がありますからね。外で待ち構えようとするのは無意味ですから)

 だからこうして、屋内……それもできるだけ外の様子を探れる場所で待機していた。スマートフォンを取り出し仲間と通話状態にしてポケットに入れ、逆にそこから札を取り出す。

「準備はいいですか。行きましょうか、[カルビン]!」
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