第9話 心の闇を貫け その2
文字数 3,243文字
緑祁と彭侯は岩苔大社の焼け跡から少し離れた道路にいた。
「風はどんな感じに動いてる?」
「このまま、移動中だよ」
峰子は遠くには行っていない。こちらの姿も見えているはずなので、逃げてはいる。
二人の近くにスズメバチが飛んでいる。彭侯はそれを見ると、
「気を付けろ! 峰子が応声虫を使える以上、オレたちに向かって来る虫は全部、応声虫だと思った方がいい。小さなダニすら見逃すな!」
「音にも気を配った方がいいね……。応声虫は音に関する霊障でもある!」
今、ちゃんと彭侯の声が聞こえているし、緑祁の声も彼に届いている。どうやら峰子は、こちらの音を操作していないらしい。
急に、チョウがまた集結を始めた。
「またか! ということは、もしや!」
峰子が姿を現したのだ。
「しつこいですよ! しかも緑祁だけでいいのに、おまけ付きですか……。はあ、ため息出ます」
「うるさいぜ!」
彼女が逃げるのをやめて姿を出したということは、ここで戦う気があるということだ。
「緑祁、下がって! オレの後ろにいろ! アイツには、指一本触れるな!」
「遠距離からでも、僕は戦える! 彭侯もだろう?」
「ああ。このまま距離を詰めずに戦うぞ。幻覚汚濁は、直接触らないと意味がない。逆に言えば、アイツに触れさえしなければ毒厄を流されることもない」
しかし峰子は勝利の式を成立させるために、何としてでも近づいて来るだろう。
彭侯は目の前に鉄砲水を撃ち出した。だが手応えはない。
「周囲はどうなっている、緑祁?」
「目で見ているのと同じだ。峰子はあそこから、動いてない」
「よし! ここから攻めるぜ!」
が、突然緑祁の手が彭侯の肩に伸びて後ろに引っ張り出した。
「何をして……」
ここで彭侯もハッとなる。
(今聞いた緑祁の声は、応声虫のでっち上げか! 本物の緑祁は、後ろに下がろうとしている……峰子が近づいてきている!)
咄嗟に後ろにジャンプした。彼の勘は正解しており、峰子の手が空振りした。
「あっ! まさか、見抜かれるとは…!」
かなりギリギリのタイミングだった。
(峰子は、蜃気楼と応声虫が使える! 視覚も聴覚も騙されてしまう! でも、触覚なら! 彭侯のことをずっと掴んでいれば、偽りのビジョンと音は効かないぞ!)
緑祁も加勢する。彭侯の横から、鬼火を放った。
「危ないですよ? こんな町中で火を起こすなんて! 流石は放火魔、躊躇がないですね」
「ちょっとはうるさい口を閉じられないのか、アンタはあ!」
慰療が彼女にあることがわかっている都合上、一気に倒すしかない。それか彭侯の毒厄を峰子の体に通すのだ。
「彭侯、汚染濁流の準備はどう? あれは、相手の毒厄に打ち消されたりするのかい?」
「それはない。毒厄に勝てるのは、薬束だけだ。相手も毒厄が使えたとしても、流し込まれる敵の毒厄を防いだり無力化したりするのは不可能!」
「ということは……。もしそっちに毒厄か幻覚汚濁が使われたら、手の施しようがなくなるってことだね……」
「そうなる。だが、心配はいらない。あの女には、近寄らせない!」
お互いに耳打ちし、小さな声で話をする。これは峰子に妨害されなかった。彭侯は周囲に鉄砲水を放ち、手応えを見た。
「周囲三メートル以内にはいない様子だぜ。人も虫もだ」
「僕が旋風で峰子の居場所を掴む。彭侯はそこを攻撃してくれ」
「おう!」
目で見える映像では、峰子は今、左斜め前に立っている。
「怖いですね」
と言っている。しかしそこには本当は、誰もいない。空気が揺れ動くのを、緑祁は感じ取っている。
「後ろだ!」
振り向きざまに緑祁が、台風を撃ち出した。
「あ、危ないですよ!」
だが、それは避けられてしまう。
「もらった!」
しかし本目の攻撃は、彼のものではない。彭侯の汚染濁流なのだ。
「終わりだ! 霊障合体・汚染濁流!」
この時峰子はもちろん蜃気楼で自分のビジョンを捏造していた。その状態で動いていた。でも緑祁が直前に放った台風の小さな水滴が雨のように降り注いでいる。
(地面がそこだけ、濡れてねえぞ! 何かに水が遮られてんだな! 誰だろうな!)
渇いている場所がある。そこに汚染濁流を撃ち込んだのだ。
「ひ、ひえええええ! お、応声虫!」
「ぐっ!」
峰子が手を振ると、その残像が虫になって飛び出す。大量の大きなチョウやガを繰り出された。それらは翅を広げて隙間のない鱗粉の壁を作る。
「何だと……? こんな防御方法が、あるというのか……!」
彭侯はその壁を貫通できると思ったが、彼の汚染濁流では、威力と勢いが足りていない。バタバタと汚染濁流の毒に耐え切れず虫が死んでいくが、峰子が絶え間なく虫を生み出し、壁にしているので押し切ることもできなさそうだ。
(このままじゃ、水がこっちに跳ねちまう……。緑祁にかけるわけには………)
すぐに水流を止める彭侯。同時に緑祁と一緒に後ろに下がる。
「あの虫なら、僕に任せてくれ!」
火災旋風なら、根こそぎ焼き尽くすことができた。
「あ、あー!」
驚いている峰子。かなりがら空きの隙だらけ。
「そこだ!」
さらに火災旋風を叩き込む。この間合い、絶対に当たる。応声虫では、この炎の渦を遮ることはできない。
しかし、
「外れた……?」
何と命中しなかったのだ。凄まじい速度で峰子が逃げた。
「焦るな、緑祁! 落ち着いて行動しろ! やはりオレが……」
彭侯が指を構えた時、また峰子が動く。それを追う彭侯だが、全く追いつけない。
「うわっ!」
「おっと、すまん……」
緑祁とぶつかってしまった。その時彭侯は自分の目を疑った。
「……? な、何…? 今、峰子が……超高速で向きを変えた…?」
「何を言ってるんだい、彭侯! 峰子は左に逃げている! 右じゃない!」
「いや、今! 確かに……」
パニックになる彭侯。冷静さを取り戻すために顔の横を手で押さえる。すると今度は、峰子の姿が止まる。
「何かおかしいぞ? 目が変になっちまったのか?」
「蜃気楼? でも、そうじゃない気がする……」
そのおかしさには緑祁も気づいている。
視線の先に、常に峰子が見える。目を動かすと、それが視野に合わせて動くのだ。
「白血球が動いた? 講義でそういうのを聞いたことがある……。それに、似ている…」
その言葉に反応する彭侯。
「これか! 霊障合体・飛蚊 ! 蜃気楼と応声虫の合わせ技だ! 目の前にゴミが浮かんでいるように、そういうビジョンを相手に見せる!」
厄介な霊障合体だ。これを使われると、まともに物を見れなくなってしまう。
「虫が!」
カブトムシとクワガタが飛んできた。角や顎の先から、毒液のようなものを垂らしている。見るからに毒蟲である。
「おおおおお!」
その虫たちすら、眼球が動くとズレる。だから狙いも外れる。
「彭侯、下がって!」
ここで前に出る緑祁。彼は目を閉じ風だけを感じ取る。
「迫りくるぞ、緑祁えええ! ヤバい!」
焦る彭侯に緑祁は、
「シャワーだ、彭侯!」
アドバイスを送る。彼は言われた通りに上に鉄砲水を撃ち出し、シャワーのように降り注ぐ。虫を倒すくらいの力はないが、
(水滴がぶつかる音! 翅が羽ばたいて起きる空気の動き! そこ、だ!)
火災旋風を放ち、焼き払えた。
「ナイスだ、緑祁! 目を閉じていれば蜃気楼は効かない! だから飛蚊も無駄だ!」
「でも、ずっと閉じているのは危険だよ、彭侯! 峰子は応声虫が使え……」
緑祁の首筋に、違和感が走る。ほんのわずかな衝撃だが、声が途中で途絶える。
「ど、どうした?」
ずっと、先入観を飲み込まされていた。虫が動く時、空気も動く。緑祁はさっきからそれを利用して、応声虫が生み出す虫の相手をしていたので、まんまとはめられた。
峰子がこっそり生み出した虫……厳密には鋏角類がいる。それは、ダニだ。地面の上をゆっくりと動き、緑祁の足を靴からズボンを登り服の上も通過し、喉元に噛みついたのである。あまりにも小さく軽いので、肌に触れられても噛みつかれるまで存在に気づけなかった。
「風はどんな感じに動いてる?」
「このまま、移動中だよ」
峰子は遠くには行っていない。こちらの姿も見えているはずなので、逃げてはいる。
二人の近くにスズメバチが飛んでいる。彭侯はそれを見ると、
「気を付けろ! 峰子が応声虫を使える以上、オレたちに向かって来る虫は全部、応声虫だと思った方がいい。小さなダニすら見逃すな!」
「音にも気を配った方がいいね……。応声虫は音に関する霊障でもある!」
今、ちゃんと彭侯の声が聞こえているし、緑祁の声も彼に届いている。どうやら峰子は、こちらの音を操作していないらしい。
急に、チョウがまた集結を始めた。
「またか! ということは、もしや!」
峰子が姿を現したのだ。
「しつこいですよ! しかも緑祁だけでいいのに、おまけ付きですか……。はあ、ため息出ます」
「うるさいぜ!」
彼女が逃げるのをやめて姿を出したということは、ここで戦う気があるということだ。
「緑祁、下がって! オレの後ろにいろ! アイツには、指一本触れるな!」
「遠距離からでも、僕は戦える! 彭侯もだろう?」
「ああ。このまま距離を詰めずに戦うぞ。幻覚汚濁は、直接触らないと意味がない。逆に言えば、アイツに触れさえしなければ毒厄を流されることもない」
しかし峰子は勝利の式を成立させるために、何としてでも近づいて来るだろう。
彭侯は目の前に鉄砲水を撃ち出した。だが手応えはない。
「周囲はどうなっている、緑祁?」
「目で見ているのと同じだ。峰子はあそこから、動いてない」
「よし! ここから攻めるぜ!」
が、突然緑祁の手が彭侯の肩に伸びて後ろに引っ張り出した。
「何をして……」
ここで彭侯もハッとなる。
(今聞いた緑祁の声は、応声虫のでっち上げか! 本物の緑祁は、後ろに下がろうとしている……峰子が近づいてきている!)
咄嗟に後ろにジャンプした。彼の勘は正解しており、峰子の手が空振りした。
「あっ! まさか、見抜かれるとは…!」
かなりギリギリのタイミングだった。
(峰子は、蜃気楼と応声虫が使える! 視覚も聴覚も騙されてしまう! でも、触覚なら! 彭侯のことをずっと掴んでいれば、偽りのビジョンと音は効かないぞ!)
緑祁も加勢する。彭侯の横から、鬼火を放った。
「危ないですよ? こんな町中で火を起こすなんて! 流石は放火魔、躊躇がないですね」
「ちょっとはうるさい口を閉じられないのか、アンタはあ!」
慰療が彼女にあることがわかっている都合上、一気に倒すしかない。それか彭侯の毒厄を峰子の体に通すのだ。
「彭侯、汚染濁流の準備はどう? あれは、相手の毒厄に打ち消されたりするのかい?」
「それはない。毒厄に勝てるのは、薬束だけだ。相手も毒厄が使えたとしても、流し込まれる敵の毒厄を防いだり無力化したりするのは不可能!」
「ということは……。もしそっちに毒厄か幻覚汚濁が使われたら、手の施しようがなくなるってことだね……」
「そうなる。だが、心配はいらない。あの女には、近寄らせない!」
お互いに耳打ちし、小さな声で話をする。これは峰子に妨害されなかった。彭侯は周囲に鉄砲水を放ち、手応えを見た。
「周囲三メートル以内にはいない様子だぜ。人も虫もだ」
「僕が旋風で峰子の居場所を掴む。彭侯はそこを攻撃してくれ」
「おう!」
目で見える映像では、峰子は今、左斜め前に立っている。
「怖いですね」
と言っている。しかしそこには本当は、誰もいない。空気が揺れ動くのを、緑祁は感じ取っている。
「後ろだ!」
振り向きざまに緑祁が、台風を撃ち出した。
「あ、危ないですよ!」
だが、それは避けられてしまう。
「もらった!」
しかし本目の攻撃は、彼のものではない。彭侯の汚染濁流なのだ。
「終わりだ! 霊障合体・汚染濁流!」
この時峰子はもちろん蜃気楼で自分のビジョンを捏造していた。その状態で動いていた。でも緑祁が直前に放った台風の小さな水滴が雨のように降り注いでいる。
(地面がそこだけ、濡れてねえぞ! 何かに水が遮られてんだな! 誰だろうな!)
渇いている場所がある。そこに汚染濁流を撃ち込んだのだ。
「ひ、ひえええええ! お、応声虫!」
「ぐっ!」
峰子が手を振ると、その残像が虫になって飛び出す。大量の大きなチョウやガを繰り出された。それらは翅を広げて隙間のない鱗粉の壁を作る。
「何だと……? こんな防御方法が、あるというのか……!」
彭侯はその壁を貫通できると思ったが、彼の汚染濁流では、威力と勢いが足りていない。バタバタと汚染濁流の毒に耐え切れず虫が死んでいくが、峰子が絶え間なく虫を生み出し、壁にしているので押し切ることもできなさそうだ。
(このままじゃ、水がこっちに跳ねちまう……。緑祁にかけるわけには………)
すぐに水流を止める彭侯。同時に緑祁と一緒に後ろに下がる。
「あの虫なら、僕に任せてくれ!」
火災旋風なら、根こそぎ焼き尽くすことができた。
「あ、あー!」
驚いている峰子。かなりがら空きの隙だらけ。
「そこだ!」
さらに火災旋風を叩き込む。この間合い、絶対に当たる。応声虫では、この炎の渦を遮ることはできない。
しかし、
「外れた……?」
何と命中しなかったのだ。凄まじい速度で峰子が逃げた。
「焦るな、緑祁! 落ち着いて行動しろ! やはりオレが……」
彭侯が指を構えた時、また峰子が動く。それを追う彭侯だが、全く追いつけない。
「うわっ!」
「おっと、すまん……」
緑祁とぶつかってしまった。その時彭侯は自分の目を疑った。
「……? な、何…? 今、峰子が……超高速で向きを変えた…?」
「何を言ってるんだい、彭侯! 峰子は左に逃げている! 右じゃない!」
「いや、今! 確かに……」
パニックになる彭侯。冷静さを取り戻すために顔の横を手で押さえる。すると今度は、峰子の姿が止まる。
「何かおかしいぞ? 目が変になっちまったのか?」
「蜃気楼? でも、そうじゃない気がする……」
そのおかしさには緑祁も気づいている。
視線の先に、常に峰子が見える。目を動かすと、それが視野に合わせて動くのだ。
「白血球が動いた? 講義でそういうのを聞いたことがある……。それに、似ている…」
その言葉に反応する彭侯。
「これか! 霊障合体・
厄介な霊障合体だ。これを使われると、まともに物を見れなくなってしまう。
「虫が!」
カブトムシとクワガタが飛んできた。角や顎の先から、毒液のようなものを垂らしている。見るからに毒蟲である。
「おおおおお!」
その虫たちすら、眼球が動くとズレる。だから狙いも外れる。
「彭侯、下がって!」
ここで前に出る緑祁。彼は目を閉じ風だけを感じ取る。
「迫りくるぞ、緑祁えええ! ヤバい!」
焦る彭侯に緑祁は、
「シャワーだ、彭侯!」
アドバイスを送る。彼は言われた通りに上に鉄砲水を撃ち出し、シャワーのように降り注ぐ。虫を倒すくらいの力はないが、
(水滴がぶつかる音! 翅が羽ばたいて起きる空気の動き! そこ、だ!)
火災旋風を放ち、焼き払えた。
「ナイスだ、緑祁! 目を閉じていれば蜃気楼は効かない! だから飛蚊も無駄だ!」
「でも、ずっと閉じているのは危険だよ、彭侯! 峰子は応声虫が使え……」
緑祁の首筋に、違和感が走る。ほんのわずかな衝撃だが、声が途中で途絶える。
「ど、どうした?」
ずっと、先入観を飲み込まされていた。虫が動く時、空気も動く。緑祁はさっきからそれを利用して、応声虫が生み出す虫の相手をしていたので、まんまとはめられた。
峰子がこっそり生み出した虫……厳密には鋏角類がいる。それは、ダニだ。地面の上をゆっくりと動き、緑祁の足を靴からズボンを登り服の上も通過し、喉元に噛みついたのである。あまりにも小さく軽いので、肌に触れられても噛みつかれるまで存在に気づけなかった。