第9話 悪い後味 その1

文字数 3,120文字

 緑祁と香恵は一旦、香恵の家に向かう。無事を報告するのである。

「香恵! 大丈夫だったの? 怪我はない?」
「姉さん、姉さん!」
「神様……! 娘を二度も救ってくださりありがとうございます………!」

 父も母も理恵も、彼女の無事を泣いて喜んだ。捜索届を出そうかどうかという瀬戸際であった。

「もう、無茶しないでよ。心配して夜も眠れない!」
「母さん……」

 香恵は、誘拐の件を話そうかどうか悩んだ。

(もし言えば、絶対に警察に相談よね……)

 普通なら、そうするべきだろう。だが香恵は、洋次のことを考えた。確かに酷い目には遭わされたが、それはもう緑祁が解決してくれている。これ以上罰する必要はないのではないだろうか、と。悪人とは言え洋次はまだ大学一年生。その人生を奪うのは酷だ。

「ごめんなさい。今度外出する時はちゃんと言うわ……」

 悩んだ挙句、黙っていることにした。

「香恵……」

 緑祁はこの時、マンション一階のロビーで椅子に座っていた。顔を出すことも考えたのだが、ここは家族水入らずの雰囲気を保ちたい。
 一時間後、香恵がやっと一階に降りてくる。

「お待たせ、緑祁!」
「香恵……。本当について来てくれるのかい?」

 緑祁は思った。これから正夫と衝突するだろう。誘拐以上の被害が彼女に及んでしまうかもしれない。これ以上酷い目に遭わせたくないので、香恵には自宅で待機してもらった方がいいのではないか。

「心配はいらないわ」

 そんな緑祁の不安を察したのか香恵は、ポケットから藁人形と札を取り出す。

「これは?」
「呪縛と霊魂は、これさえあれば使えるのよ。タンスの中から引っ張り出したわ」

 護身用のアイテムだ。香恵としても今回の誘拐、思うところがあったらしい。もしも洋次に抵抗できる力があれば、迎撃できたのでさらわれなかった。これからは緑祁に守られるのではなく、自分の身は自分で守るという意志の表れ。

「なら、行こう!」

 早速行動に出る。
 とは言っても、予備校で満に言われた通り今現在の正夫の所在は不明である。そこで満は餌を撒くことにしたのだ。

「正夫が霊能力者ネットワークを見ているかどうかはわからない。だがその可能性があるのなら、食いつくはずだ」

 緑祁、紫電、辻神を福島の三か所に配置し、その情報を【神代】のデータベースにアップする。正夫たちは彼らのことが気に食わないので、また勝負を挑んでくるかもしれない、という作戦だ。

「緑祁は、いわき市の新舞子海岸に向かってくれ」

 メールでの指示に従う。そこで緑祁と香恵は、除霊と儀式に一週間従事しているということになっている。

「誰が来るかな……」

 寛輔かもしれないし、洋次かもしれない。もしかしたら、辻神が遭遇した秀一郎か、紫電を襲った紬と絣かもしれない。はたまた、怪神激のような幽霊を派遣してくる可能性もある。誰が緑祁の前に表れるのかは、本当にどう転ぶのかがわからない。

「誰でもいいよ。僕は戦って……勝つ!」

 緑祁の意気込みは強い。香恵も、

「サポートするわ!」

 その意志だ。


 宿泊は海岸近くのホテル。朝砂浜に行って、焚き火を起こして儀式を行っている風を装う。そして夜になったら火を消しゴミを回収してホテルに戻る。

「[ライトニング]、[ダークネス]! この顔の人物を探してくれ!」

 式神も動員した。ただし、戦わせるつもりはない。正夫たちの相手は、緑祁自身が行うのだ。だから二体には正夫の顔を覚えさせて、防砂林の中や上空を捜索させる。

 三日が経った。

「今日も来ないかもしれないね」

 焚き火に今日最後の木材をくべながら緑祁が言った。

「そうね。相手も警戒しているわ。だってこれ、あからさまな罠だもの。見えている地雷に自分から飛び込む人っている?」

 いない。満の作戦は、失敗に終わった。

「でもまだ三日。あと四日間はここにいないと……」

 その四日でも、敵が動くとは限らない。緑祁たちは正夫が放った後天的な霊能力者たちを退けている。その予想外の力強さを感じた正夫たちが、今回は敬遠するのは十分にあり得る話。

「…ん? 香恵、今何を言ったんだい?」

 緑祁がそう呟いたのは、香恵が口だけを動かして声を出さなかったからだ。読唇術など身につけていない緑祁には、彼女の口パクを読むことなど不能。だからそういう返事をした。

「…………………?」

 やはり何も聞こえない。

「な、なんだ……?」

 焦った緑祁は首を動かし周囲を見る。もしかしたら何かの接近に気づいた香恵が、声を出せないでいるのかもしれない。だが、砂浜の延長線上にも防砂林の方にも、誰もいない。

「香恵? もうちょっと声を大きくしてくれない? それともこの焚き火の音で……」

 ここで、やっと緑祁も異変に気づいた。まだ火はついているにもかかわらず、そのパチパチという音が聞こえない。今、薪が弾けたがそれも無音。

「おかしい! これは……変だ!」

 よく耳を済ませると、海の波の音も聞こえない。自分の声と心臓の鼓動以外、何も鼓膜を動かしていないのである。まるでコンサートホールに自分だけ放り込まれた感覚だ。

(香恵にも、僕の声が届いていない?)

 どうやらその通りで、目の前にいる香恵からスマートフォンにメッセージが飛んで来る。

「海の方に誰か、いるわ!」
「う、海?」

 緑祁もメッセージで返信し、そして暗い水平線の方を見た。

「あっ! い、いる!」

 ボートが一隻、こちらに向かって来ている。相手は陸路ではなく海路を選んでいたのだ。

 札に念を送り、[ライトニング]と[ダークネス]を呼んで札に戻しそれを懐に入れた。そして海からやって来る人物を凝視した。

「こんな夜遅くでも出迎えてくれるとはね……。嬉しいな」

 ボートは砂浜に座礁し、誰か……正夫が降りてきた。

(あれが、蛇田正夫!)

 資料で見たのと顔が同じだ。

「やあ、緑祁君。君と会うのは今夜が初めてだね。しかし私は君のことをよく知っている。嫌と言うほどね」

 緑祁としては、その部分……自分のことを嫌い憎んでいる理由がわからない。

「僕が、何かしたのかい?」

 声を出したが、

「あ、済まないね。解いておくのを忘れていた」

 正夫がそう言うと、突然シャットアウトされていた焚き火や波の音が聞こえるようになる。

恐鳴(きょうめい)ね、これは」

 それは霊障発展である。応声虫が元となっており、その力が発展したものだ。自分が出していない音や虫すら守備範囲である。

「それで、質問だったね? ええっと君はどうやら……自覚がないみたいだ」
「自覚……?」

 言われた瞬間、緑祁は自分の行いを振り返った。だが、公や【神代】の法に触れるようなことは何もしていない。

(怨み、かな……?)

 もう一つ思いついたことがあった。それは復讐。深山ヤイバという人物のように、報復が原動力の人物は少なからず存在する。そしてその相手だった日影皐のように、怨みを買うようなことをしても気づいていない場合だってある。その場合だと、緑祁は悪いことをした自覚がないし、自分でも気づけないのだ。

「前に豊次郎が君に教えたはずなんだ」
「ということは、あの言葉は……元は正夫の言葉だったのか!」

 緑祁を縛り付けていた、あの呪いのような言葉。

「他人を思いやることだけが優しさとは限らない。厳しさのない思いやりは他人の心を傷つけ台無しにするだけだ」

 その意味をここで、彼は正夫から教えられる。

「優しさというのはね……。相手を思いやることだけじゃないんだ。時には思いやらないことも必要。でも君は、いつも相手のことばかり考えているだろう?」

 正夫は淡々と述べる。緑祁の優しさには、厳しさが足りない。そのせいで、彼の影響を受けた人物はみんな、腑抜けになってしまうのだと。
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