第18話 浅葱の輪舞曲 その2
文字数 4,888文字
嫌らしい戦い方だと感じる反面、緑祁には希望があった。相手が自分を一気に殺してこないのならば、反撃できる可能性が自分には残されているからだ。直前の紅との戦いが、まさにそうだ。
(でも、僕は結構消耗している……)
問題なのは、疲労感。ただでさえ今日は寝ているところを起こされ、二度も移動をしている。肉体的にも精神的にも、疲れが回復できていない。
(この状態で、僕はこの式神を突破して、さらに奥にいる蒼を打ち負かすことができるのか……? いいや、マイナスの方向に物事を考えるな! ネガティブな発想は、それ自体がもう癌細胞だ! 今すぐ取り除かないといけない!)
今考えるべきは、現状を打破することのみ。勝利のビジョンだけを追い続け、たどり着くまでの方程式を頭の中の黒板に書き連ねる。
(あのサソリモドキの式神に触れられては駄目だ! 後ろから攻め込むのも、霧を吹きかけられてアウト……! となれば!)
ここは距離を取りつつ戦うのだ。幸いにも緑祁には、それができる霊障がある。
痛みを訴える足を何とか動かし、後ろに下がる。すると彼の動きに[ベンソン]は反応し、見た目からでは予測できないほどのスピードで追いかけてきた。
「なんて素早い……!」
これでは逃げるのも満足にできない。しかし、最初から背中には川があるものだという覚悟だ。ならば全力で、正面からぶつかるのだ。
「行くぞ、サソリモドキ! ぬおおおお!」
手のひらから鬼火を繰り出す。最初に試したように、単調な攻撃は絶対に[ベンソン]には届かない。もちろんそれは百も承知だ。現に[ベンソン]はまた、空中を泳いで回避した。
(体は脆いのかな? それとも単純にダメージを受けたくないだけかも? 火は苦手か? いづれにしても、避けるのには理由があるはずだ…!)
動き自体は単調だ。ならば相手の動作を予測して対処する。もう一度鬼火を使ってみる。やはり[ベンソン]はひらりと交わしたが、その先に鉄砲水を撃ち込んだ。
「ギャギャ!」
当たった。しかも手応えがかなりある。一瞬怯んだその隙に、霊障合体を叩き込むのだ。
「台風だ、くらえ!」
水飛沫が渦巻き、[ベンソン]の腹に炸裂した。今の一撃は大きい。人間相手なら数メートルは吹っ飛ばせるし、並みの幽霊なら文句なく除霊できるほどの威力だ。
「さらに追い込むぞ! 火災旋風だ!」
過剰ともいえる追撃。もう片方の手から、風に乗る火炎を繰り出し[ベンソン]に向けて放った。これも命中。
「よし、行ける! この式神を倒……」
倒せる、と本来ならば言葉が続くはずだった。緑祁がゾッとしたのは、台風と火災旋風をその身に受け続けながらも、まるで押し寄せる荒波を切り開くかのように、面と向かって進んでくるのだ。しかも平然とした様子で。
「き、効いていない?」
もはやそれ以外に考えられることが思いつかない。さっきは怯んでいた。だから霊障自体が効かないとか、他者から干渉を受けないとかはあり得ないはず。式神のチカラは基本的に一つなので、[ベンソン]には重力の他は専門外で操作できるはずもない。
いや、一つだけ可能性があった。それは、式神自体が頑丈である、ということだ。緑祁の力では傷をつけることができないほどに強固な体ならば、説明できる。
逃げようとしたが、遅かった。今、[ベンソン]の腕が緑祁の肩をかすった。たったそれだけでまた、体が浮き上がる。
(何てことだ、一杯食わされた……!)
怯んだように見えたのは、演技だ。チカラを知られた式神は、相手が自分の方から近づいてこないことを熟知しているようだ。だから弱っているように見せ、相手の思考をズラす。全ては[ベンソン]の手の上で全部……緑祁がどう踊るのか、計算済みだったこと。
「や、ヤバい……! 体が……!」
多分、今度は二メートル程度じゃ済まされない。もっと高いところから落とすのだろう。死なない程度に、しかし気は失う程度に。
(い、いや! 諦めるには早すぎる!)
ここで生殺しにされて、終わりか? 違うと緑祁は首を横に振る。こんなところで勝利を譲れるほど、背負っているものは軽くない。
「そいっ、やぁっ!」
旋風を起こした。体が勝手に浮かび上がるほどに軽くなっているということは、わずかな風にも抗えず、その場に留まれないはずだ。[ベンソン]とは逆……左に向けて旋風を放つ。
「ギギ?」
走るよりも早く移動できた。[ベンソン]は鞭のような尻尾を振ったが、一瞬だけ緑祁の方が早かった。
「ギギギギギギャ……」
しかし逃げられたというのに、不気味な笑みを[ベンソン]は見せた。
「ぐばっあ!」
チカラを解いたのだ。そうすれば緑祁の体はすぐに地面に落ちる。体が軽くなったことを利用し風に乗るのなら、そういう対処法が取れる。でも緑祁もすぐに態勢を整えた。
(霊障が効きづらいのなら、除霊用の札はどうだろう?)
やってみる価値はあるはず。試しに一枚取り出した。それを見ていた[ベンソン]は、少し後ろに下がった。今のも演技かもしれないが、
「行くぞ、おおおおおおおおお!」
ここは挑む。もちろん[ベンソン]も尻尾を振って叩きつけてくるが、それは承知の上。
「軽くしてくるか、やっぱり! でも!」
あと数センチ近づけば、[ベンソン]の体に札を貼り付けることができる。だが緑祁が必死に腕を伸ばすのを嘲笑うかのように、[ベンソン]はチカラを使った。浮かび上がってしまうせいで、式神から遠ざかる。
しかし、緑祁も全く焦っていない。こうなるだろうということは予測の範囲だからだ。
「僕の体はかなり軽くなっているんだろうね? でもこっちの札はどうかな?」
和紙でできた札がドスッと落ちるわけがないし、その軌道も真っすぐとは限らない。だが緑祁はその二つを可能にした。
「鉄砲水! 水を含ませれば、その分重くできる!」
水流は強くなくていい。札が濡れる程度で十分だ。そして指を離せば、あとは勝手に[ベンソン]に向かって落ちていく。
「ギャギョギュギュギュゲェギギギギッ!」
この悲鳴、明らかに嘘ではない。顔に貼り付いた札がよほど刺激を与えるのか、[ベンソン]はのたうち回って、近くの街灯や樹木に何度も体をぶつける。集中力も途切れたのか、緑祁の体も浮き上がることをやめていた。
(まだ除霊の札はいっぱいあるぞ。これならこの式神を、何とか攻略できそうだ……)
希望が見えてくる。それを掴み取るだけだ。
しかし、
「そこまでよ!」
急に誰かの声が聞こえた。女性の声だ。しかも、聞いたことがある。
「まさか……!」
蒼だ。彼女は校舎の屋上にいて、今までの攻防を全て見ていたのである。
「よく頑張ったわ、[ベンソン]! その札、剥がすから待ってて」
人が触れる分には何の問題もない。蒼は[ベンソン]の額の札を剥がすと、ビリビリに破いて捨てた。それから和紙を取り出し、[ベンソン]をその中にしまう。
(何で、このタイミングで出てきたんだ……?)
驚きよりも疑問が頭を駆け巡った。そもそも緑祁のことを大学の敷地内に呼び出したのは、蒼だ。だから彼女がこの場所にいることは不思議ではない。理解できないのは、式神との戦いが終わっていない状態で、中断させたこと。
「確かに[ベンソン]に任せれば、私は手を煩わせる必要もないわね。でもそんなんじゃ、晴れない気分ってものがあるのよ? 二度も私たちの邪魔をし、挙句仲間を捕まえた! そんなヤツには、私自身の手で制裁を!」
怒りだ。蒼は怒っている。緑祁を人質にすることは変わらないが、最後は自分の手で終わらせる。
それに、[ベンソン]は、あまり賢い式神ではないにもかかわらず、十分に仕事をしてくれた。彼女は緑祁の姿を見た。息は上がって切れかかっているし、服は薄汚れている。肺が激しく膨張と収縮を繰り返しているのが、胸に手を触れなくてもわかる。汗もびっしょりだ。それくらい、緑祁と[ベンソン]の戦いは平行線だった。
「とても戦えるコンディションでは、ない、わよね?」
「や、やはり……!」
疑惑が確信に変わった。彼女の狙いは、緑祁の消耗だった。いくら相手が強くても、あるいは未知数の戦力でも、そのスペックを最大限に発揮できないのなら、全く怖くない。
「死にかけのライオンに怯える人間なんていないわ。逆に打ち取れるから、大喜びよ」
「くっ……!」
緑祁とは正反対に、蒼のエネルギーは満タンだ。
「安心しなさい、殺すことはしないから。ただちょっと、交渉の駒になってもらうわ!」
雪の氷柱を生み出し握り、一気に飛び掛かる。
「ま、まずい……!」
避けなければ。緑祁はそう思うと同時に、横にジャンプした。だが飛距離が全然伸びない。地面を蹴る足の強さ、体自体を動かす俊敏さが、逃げるために足りていない。
「はぁあああ!」
「っぐ!」
中途半端に動いたせいで、左腕を切られた。服の切れ目から、血が流れ出る。浅い傷だが、今の緑祁には深刻に思えてしまう。
「させるか!」
再び切りつけようとしてきたので、迎え撃とうと鬼火を準備した。が、手を動かした瞬間、蒼の左手が凄まじいスピードと力で緑祁の手首を掴み、締め上げた。
「うがあああ! こ、これは!」
とても同じ人間が出せる力ではない。明らかに蒼は、乱舞を使用している。その証拠に片手で緑祁のことを引っ張り振り回し、地面に叩きつけた。
「まだまだ、こんなものじゃないわ!」
倒れた緑祁の肩を握り、軽々と持ち上げて、野球ボールでも投げるかのように、近くの温室ハウスめがけてぶん投げる。ガラスは高い音を立てて割れ、緑祁の体に突き刺さった。
「う、うぐ……!」
実際の実力は、きっと互角だろう。緑祁どころか蒼だってそう感じている。しかし今出せる力の差は歴然だ。
(歯が立たない……! 手も足も出ない…………)
すぐに悟る。普通に戦っては絶対に勝てない、と。蒼が、天まで高くそびえ立つ壁に思えた。
(でも、いつだってそうだ……! 思い通りにいくことなんて、数えるほどしかない! 壁の向こう側に行くのなら、登らなくても! ぶっ壊してでも! 穴を掘ってでも!)
だが、絶望はしない。勝利のカギはどこにでも転がっている。それを式に差し込むだけで、答えにまでたどり着ける。創意と工夫を混ぜ合わせることで、今まで強敵たちを打ち負かしてきたのだ。
そう思うと、心の底から勇気が湧いてきた。それは心臓に宿り、血液に乗って全身を駆け巡る。痛みなど気にならずに立ち上がれる。
(蒼が雪の氷柱と乱舞を使うのなら、もう近づかない方がいい! 確か、霊障合体・氷斬刀でやられる! 接近戦には絶対に持ち込むな! 離れて戦えば、僕が水蒸気爆発を使えるタイミングは必ず現れる!)
距離を取る。まずは適当に霊障を放ってみる。
「霊障合体・火災旋風」
風に火炎を乗せ、蒼に送り付けた。
「わけないわ、こんなもの!」
彼女は鋭く拳を振って、渦巻く赤い風をかき消した。
「弱々しいわね、緑祁!」
今度は台風も使ってみる。これも先ほどと同じく、蒼が手刀をヒュンヒュンと振るだけで消滅するくらいに弱い。
「あんたから来ないのなら、私から行くわよ?」
蒼は生み出した雪の氷柱を、緑祁に向けて投げた。
(今だ!)
この瞬間を待っていた。緑祁は素早く両手を合わせた。右手には鬼火を、左手には鉄砲水を。
「霊障合体・水蒸気爆発だ!」
手のひらで爆風を生み出し、飛んでくる氷柱を逆に弾き、蒼に向かわせる。
「くふっ……!」
体は疲労していても、蒸気の動きは目にも留まらない。雪を解いて氷柱を消滅させるよりは確実に速い。蒼の二の腕に突き刺さった。
「なるほど、確かにこれは紅も負けるわけだわ」
「…?」
「でも、どうってことないわね」
深々と刺さっているにもかかわらず、蒼は痛みに関して感想を口にしない。しかも氷柱を抜くと、流れ出すはずの血が一滴も零れない。
「い、慰療が! 紅と同じく、使えるのか……!」
そうとわかれば、もうチマチマ攻める手法は捨てなければいけない。一気に片を付ける……気絶させる勢いが必要だ。
(でも、僕は結構消耗している……)
問題なのは、疲労感。ただでさえ今日は寝ているところを起こされ、二度も移動をしている。肉体的にも精神的にも、疲れが回復できていない。
(この状態で、僕はこの式神を突破して、さらに奥にいる蒼を打ち負かすことができるのか……? いいや、マイナスの方向に物事を考えるな! ネガティブな発想は、それ自体がもう癌細胞だ! 今すぐ取り除かないといけない!)
今考えるべきは、現状を打破することのみ。勝利のビジョンだけを追い続け、たどり着くまでの方程式を頭の中の黒板に書き連ねる。
(あのサソリモドキの式神に触れられては駄目だ! 後ろから攻め込むのも、霧を吹きかけられてアウト……! となれば!)
ここは距離を取りつつ戦うのだ。幸いにも緑祁には、それができる霊障がある。
痛みを訴える足を何とか動かし、後ろに下がる。すると彼の動きに[ベンソン]は反応し、見た目からでは予測できないほどのスピードで追いかけてきた。
「なんて素早い……!」
これでは逃げるのも満足にできない。しかし、最初から背中には川があるものだという覚悟だ。ならば全力で、正面からぶつかるのだ。
「行くぞ、サソリモドキ! ぬおおおお!」
手のひらから鬼火を繰り出す。最初に試したように、単調な攻撃は絶対に[ベンソン]には届かない。もちろんそれは百も承知だ。現に[ベンソン]はまた、空中を泳いで回避した。
(体は脆いのかな? それとも単純にダメージを受けたくないだけかも? 火は苦手か? いづれにしても、避けるのには理由があるはずだ…!)
動き自体は単調だ。ならば相手の動作を予測して対処する。もう一度鬼火を使ってみる。やはり[ベンソン]はひらりと交わしたが、その先に鉄砲水を撃ち込んだ。
「ギャギャ!」
当たった。しかも手応えがかなりある。一瞬怯んだその隙に、霊障合体を叩き込むのだ。
「台風だ、くらえ!」
水飛沫が渦巻き、[ベンソン]の腹に炸裂した。今の一撃は大きい。人間相手なら数メートルは吹っ飛ばせるし、並みの幽霊なら文句なく除霊できるほどの威力だ。
「さらに追い込むぞ! 火災旋風だ!」
過剰ともいえる追撃。もう片方の手から、風に乗る火炎を繰り出し[ベンソン]に向けて放った。これも命中。
「よし、行ける! この式神を倒……」
倒せる、と本来ならば言葉が続くはずだった。緑祁がゾッとしたのは、台風と火災旋風をその身に受け続けながらも、まるで押し寄せる荒波を切り開くかのように、面と向かって進んでくるのだ。しかも平然とした様子で。
「き、効いていない?」
もはやそれ以外に考えられることが思いつかない。さっきは怯んでいた。だから霊障自体が効かないとか、他者から干渉を受けないとかはあり得ないはず。式神のチカラは基本的に一つなので、[ベンソン]には重力の他は専門外で操作できるはずもない。
いや、一つだけ可能性があった。それは、式神自体が頑丈である、ということだ。緑祁の力では傷をつけることができないほどに強固な体ならば、説明できる。
逃げようとしたが、遅かった。今、[ベンソン]の腕が緑祁の肩をかすった。たったそれだけでまた、体が浮き上がる。
(何てことだ、一杯食わされた……!)
怯んだように見えたのは、演技だ。チカラを知られた式神は、相手が自分の方から近づいてこないことを熟知しているようだ。だから弱っているように見せ、相手の思考をズラす。全ては[ベンソン]の手の上で全部……緑祁がどう踊るのか、計算済みだったこと。
「や、ヤバい……! 体が……!」
多分、今度は二メートル程度じゃ済まされない。もっと高いところから落とすのだろう。死なない程度に、しかし気は失う程度に。
(い、いや! 諦めるには早すぎる!)
ここで生殺しにされて、終わりか? 違うと緑祁は首を横に振る。こんなところで勝利を譲れるほど、背負っているものは軽くない。
「そいっ、やぁっ!」
旋風を起こした。体が勝手に浮かび上がるほどに軽くなっているということは、わずかな風にも抗えず、その場に留まれないはずだ。[ベンソン]とは逆……左に向けて旋風を放つ。
「ギギ?」
走るよりも早く移動できた。[ベンソン]は鞭のような尻尾を振ったが、一瞬だけ緑祁の方が早かった。
「ギギギギギギャ……」
しかし逃げられたというのに、不気味な笑みを[ベンソン]は見せた。
「ぐばっあ!」
チカラを解いたのだ。そうすれば緑祁の体はすぐに地面に落ちる。体が軽くなったことを利用し風に乗るのなら、そういう対処法が取れる。でも緑祁もすぐに態勢を整えた。
(霊障が効きづらいのなら、除霊用の札はどうだろう?)
やってみる価値はあるはず。試しに一枚取り出した。それを見ていた[ベンソン]は、少し後ろに下がった。今のも演技かもしれないが、
「行くぞ、おおおおおおおおお!」
ここは挑む。もちろん[ベンソン]も尻尾を振って叩きつけてくるが、それは承知の上。
「軽くしてくるか、やっぱり! でも!」
あと数センチ近づけば、[ベンソン]の体に札を貼り付けることができる。だが緑祁が必死に腕を伸ばすのを嘲笑うかのように、[ベンソン]はチカラを使った。浮かび上がってしまうせいで、式神から遠ざかる。
しかし、緑祁も全く焦っていない。こうなるだろうということは予測の範囲だからだ。
「僕の体はかなり軽くなっているんだろうね? でもこっちの札はどうかな?」
和紙でできた札がドスッと落ちるわけがないし、その軌道も真っすぐとは限らない。だが緑祁はその二つを可能にした。
「鉄砲水! 水を含ませれば、その分重くできる!」
水流は強くなくていい。札が濡れる程度で十分だ。そして指を離せば、あとは勝手に[ベンソン]に向かって落ちていく。
「ギャギョギュギュギュゲェギギギギッ!」
この悲鳴、明らかに嘘ではない。顔に貼り付いた札がよほど刺激を与えるのか、[ベンソン]はのたうち回って、近くの街灯や樹木に何度も体をぶつける。集中力も途切れたのか、緑祁の体も浮き上がることをやめていた。
(まだ除霊の札はいっぱいあるぞ。これならこの式神を、何とか攻略できそうだ……)
希望が見えてくる。それを掴み取るだけだ。
しかし、
「そこまでよ!」
急に誰かの声が聞こえた。女性の声だ。しかも、聞いたことがある。
「まさか……!」
蒼だ。彼女は校舎の屋上にいて、今までの攻防を全て見ていたのである。
「よく頑張ったわ、[ベンソン]! その札、剥がすから待ってて」
人が触れる分には何の問題もない。蒼は[ベンソン]の額の札を剥がすと、ビリビリに破いて捨てた。それから和紙を取り出し、[ベンソン]をその中にしまう。
(何で、このタイミングで出てきたんだ……?)
驚きよりも疑問が頭を駆け巡った。そもそも緑祁のことを大学の敷地内に呼び出したのは、蒼だ。だから彼女がこの場所にいることは不思議ではない。理解できないのは、式神との戦いが終わっていない状態で、中断させたこと。
「確かに[ベンソン]に任せれば、私は手を煩わせる必要もないわね。でもそんなんじゃ、晴れない気分ってものがあるのよ? 二度も私たちの邪魔をし、挙句仲間を捕まえた! そんなヤツには、私自身の手で制裁を!」
怒りだ。蒼は怒っている。緑祁を人質にすることは変わらないが、最後は自分の手で終わらせる。
それに、[ベンソン]は、あまり賢い式神ではないにもかかわらず、十分に仕事をしてくれた。彼女は緑祁の姿を見た。息は上がって切れかかっているし、服は薄汚れている。肺が激しく膨張と収縮を繰り返しているのが、胸に手を触れなくてもわかる。汗もびっしょりだ。それくらい、緑祁と[ベンソン]の戦いは平行線だった。
「とても戦えるコンディションでは、ない、わよね?」
「や、やはり……!」
疑惑が確信に変わった。彼女の狙いは、緑祁の消耗だった。いくら相手が強くても、あるいは未知数の戦力でも、そのスペックを最大限に発揮できないのなら、全く怖くない。
「死にかけのライオンに怯える人間なんていないわ。逆に打ち取れるから、大喜びよ」
「くっ……!」
緑祁とは正反対に、蒼のエネルギーは満タンだ。
「安心しなさい、殺すことはしないから。ただちょっと、交渉の駒になってもらうわ!」
雪の氷柱を生み出し握り、一気に飛び掛かる。
「ま、まずい……!」
避けなければ。緑祁はそう思うと同時に、横にジャンプした。だが飛距離が全然伸びない。地面を蹴る足の強さ、体自体を動かす俊敏さが、逃げるために足りていない。
「はぁあああ!」
「っぐ!」
中途半端に動いたせいで、左腕を切られた。服の切れ目から、血が流れ出る。浅い傷だが、今の緑祁には深刻に思えてしまう。
「させるか!」
再び切りつけようとしてきたので、迎え撃とうと鬼火を準備した。が、手を動かした瞬間、蒼の左手が凄まじいスピードと力で緑祁の手首を掴み、締め上げた。
「うがあああ! こ、これは!」
とても同じ人間が出せる力ではない。明らかに蒼は、乱舞を使用している。その証拠に片手で緑祁のことを引っ張り振り回し、地面に叩きつけた。
「まだまだ、こんなものじゃないわ!」
倒れた緑祁の肩を握り、軽々と持ち上げて、野球ボールでも投げるかのように、近くの温室ハウスめがけてぶん投げる。ガラスは高い音を立てて割れ、緑祁の体に突き刺さった。
「う、うぐ……!」
実際の実力は、きっと互角だろう。緑祁どころか蒼だってそう感じている。しかし今出せる力の差は歴然だ。
(歯が立たない……! 手も足も出ない…………)
すぐに悟る。普通に戦っては絶対に勝てない、と。蒼が、天まで高くそびえ立つ壁に思えた。
(でも、いつだってそうだ……! 思い通りにいくことなんて、数えるほどしかない! 壁の向こう側に行くのなら、登らなくても! ぶっ壊してでも! 穴を掘ってでも!)
だが、絶望はしない。勝利のカギはどこにでも転がっている。それを式に差し込むだけで、答えにまでたどり着ける。創意と工夫を混ぜ合わせることで、今まで強敵たちを打ち負かしてきたのだ。
そう思うと、心の底から勇気が湧いてきた。それは心臓に宿り、血液に乗って全身を駆け巡る。痛みなど気にならずに立ち上がれる。
(蒼が雪の氷柱と乱舞を使うのなら、もう近づかない方がいい! 確か、霊障合体・氷斬刀でやられる! 接近戦には絶対に持ち込むな! 離れて戦えば、僕が水蒸気爆発を使えるタイミングは必ず現れる!)
距離を取る。まずは適当に霊障を放ってみる。
「霊障合体・火災旋風」
風に火炎を乗せ、蒼に送り付けた。
「わけないわ、こんなもの!」
彼女は鋭く拳を振って、渦巻く赤い風をかき消した。
「弱々しいわね、緑祁!」
今度は台風も使ってみる。これも先ほどと同じく、蒼が手刀をヒュンヒュンと振るだけで消滅するくらいに弱い。
「あんたから来ないのなら、私から行くわよ?」
蒼は生み出した雪の氷柱を、緑祁に向けて投げた。
(今だ!)
この瞬間を待っていた。緑祁は素早く両手を合わせた。右手には鬼火を、左手には鉄砲水を。
「霊障合体・水蒸気爆発だ!」
手のひらで爆風を生み出し、飛んでくる氷柱を逆に弾き、蒼に向かわせる。
「くふっ……!」
体は疲労していても、蒸気の動きは目にも留まらない。雪を解いて氷柱を消滅させるよりは確実に速い。蒼の二の腕に突き刺さった。
「なるほど、確かにこれは紅も負けるわけだわ」
「…?」
「でも、どうってことないわね」
深々と刺さっているにもかかわらず、蒼は痛みに関して感想を口にしない。しかも氷柱を抜くと、流れ出すはずの血が一滴も零れない。
「い、慰療が! 紅と同じく、使えるのか……!」
そうとわかれば、もうチマチマ攻める手法は捨てなければいけない。一気に片を付ける……気絶させる勢いが必要だ。