導入 その1

文字数 3,537文字

「そんなことは水に流そうではないか、なあ洋大?」

 黒部ダムのえん堤を三人で歩いている最中、神代閻治が言った。彼は親友の栗花落(つゆり)洋大(ようだい)が焼いた茶碗を間違えて割ってしまったのである。

「砕け散るような不良品を作った私が悪いんです……」

 閻治の謝罪を意に介さず、洋大はそう呟いて項垂れる。

「……閻治君、割った君が水流すって言う?」

 これを言ったのは神代(かみしろ)夢路(ゆめじ)。戸籍上は彼の姉だ。【神代】は塾の他に孤児院も運営しており、その子が望めば養子になることが可能。夢路は申し出たために、富嶽の娘になった。いいや、彼女だけではない。富嶽の優しい性格が故か、彼は多くの恵まれない子供に救いの手を差し伸べた。気づけば閻治の血の繋がっていない兄弟は、十人を越える。

「………まあ良かろう? 我輩も謝った。洋大も何故か責任を感じて反省しておるし。なあ夢路?」
「………今度割ったら弁償だよ?」
「そんなこと、言われなくてもわかっておる!」

 そんな会話をしながら三人は他の観光客に混ざってダムの見学をしている。
 閻治には観光以外に目的がある。それはこういう場所に悪い霊が寄り付かないよう、結界を張ることだ。長崎の軍艦島の一件があったために【神代】は、結構そういうことにピリピリしている。

「ここ黒部ダムも、尊い犠牲を出した場所だ。その霊を弔ってやらねばならんぞ、洋大、夢路!」


【神代】の一族は不可思議なことに、次の世代を担うべく子供は一人しか生まれない(もっともその子が必ず霊能力を受け継いで産声を上げるのだが)。そして幼いころから後継者となるべく厳しい教育を受け、義務教育終了と同時、早々に霊能力者として一人前になるのである。閻治もそんな修行とも言える幼少時代を得て、今や親である神代富嶽よりも優秀な霊能力者となった。
 でも優秀であるが故に、外せない気持ちがある。

(自分と互角に渡り合える者は、はたしてこの世にいるのだろうか?)

 彼は人生、その敷かれたレールを今まで足を止めず歩んできた。しかしある人物と出会ったことがない。
 閻治も人間だ、人並みの嗜みはする。漫画を読んだりゲームをプレイしたりもする。その中では、主人公は必ずと言っていいほどある人物に出会う。

「ライバルがいない……」

【神代】の教育方針なのか、躓かせてはいけないという富嶽の思いなのか、自分と互角かそれ以上の実力を持つ霊能力者と会ったことがない。
 彼自身が例外的な強さだからなのかもしれない。同い年の洋大は、一般人。彼は手を出してはいけない呪いに関わってしまい、祟られた。それを救ってやったのが閻治だ。周りの人間は、

「その邪念を晴らすことだけは無理な話だ」

 と言ったが、閻治はその不可能を可能にした。
 だからなのか、当時から【神代】の親族は口を揃えて言う。

「閻治は特別だ。アイツは例外的に強い。きっと初代【神代】の詠山様に匹敵するだろう」

 と。純粋に力を見込まれ期待され褒められているのだが、良い心地がしないのが閻治。

「我輩は欲しい。一緒に競えあえる人材が」

 叶わない願いなのかもしれない。そう感じながら彼は今まで……いや正確にはこの、三色(さんしょく)神社(じんじゃ)に来るまでは生きていた。


 その晩に泊まる神社に行った時、彼は目にした。

(何だアイツは……?)

 儀式の最中だった。ここの神主は霊能力者ではないと聞いていたが、どうしてか怪奇も解決する。その謎の答えは単純にして明解、

「腕の立つ霊能力者がこの神社に住み込んで働いている」

 からである。

 閻治はその儀式が終わった直後に間に入り込み、

「貴様は何者だ?」

 怒鳴った。

「俺か……?」

 同い年の霊能力者だ。彼からは閻治と同じようで違う雰囲気を感じる。

「失礼だが、今は後片付けの最中だ。それに名乗るような名前は持っていないよ」

 同じと感じるのは、強さだろう。閻治は一目でこの男の真の実力を見抜いた。
 でも違う部分まではわからない。

「いいから、聞かれたことに答えろ!」
「この状況ですべきことは自己紹介じゃないな」

 結局、この時ははぐらかされてしまった。


「彼は、原崎(はらさき)叢雲(むらくも)だよ」

 客間にいる閻治たちのところに、一人の女性が現れた。名を鵜沢(うざわ)橋姫(はしひめ)という。

「あ、そうです! この三色神社に土産ですが、私が焼いた茶碗や湯飲みを持ってきました。是非お使いなってください」

 洋大が閻治について来てこの神社に泊まる目的は、焼き物の贈呈だ。というかこれは宿泊費の代わり。

「ありがとうございます! 大切にします!」

 橋姫はそれを丁寧に運んだ。一個だけ茶碗が砕けているのを指摘されると洋大は、

「ああ、それですね……。閻治さんが間違えて落としてしまったんですよ。でもその程度で割れるようでは、私の腕がまだまだ……」
「え、閻治? 君があの、【神代】の孫?」

 その名前に、橋姫は驚く。そしてそういう反応をした彼女を閻治がそのまま逃がすわけがない。

「待て! 話を聞かせろ」

 腕を掴んで引っ張ると、彼女もすぐに観念……というか抵抗しないで、

「何の?」
「叢雲の事情だ! 原崎という苗字の霊能力者は、霊能力者ネットワークにはいなかったはず!」

 つまり、【神代】に登録されていない霊能力者がこの神社で働いているのだ。しかも相当な実力の持ち主。これには何かしらのわけがある。

「載ってるはずがないよ……。だって私たち、『月見(つきみ)(かい)』の生き残りだから……」
「な、なっにぃ!」

 橋姫がそう言うと、閻治の血相が変わる。

「閻治さん、『月見の会』って何ですか? そして何でそんなに驚くんですか、二人とも?」
「馬鹿な…? いるはずがない! 『月見の会』の人間は全員、三年前の霊怪戦争で死んだはずだ!」


【神代】は明治以降に発足した、秘密結社とでもいうべき霊能力者の集団だ。だが初代【神代】の詠山が全国の霊能力者をまとめ上げようとした際に、不参加を決めた集団が四つあった。

 東北の『ヤミカガミ』。
 四国の『この()(おど)(びと)』。
 九州の『橋島(はしじま)霊軍(れいぐん)』。
 そして、房総半島で誕生し富山に場所を移した『月見の会』である。

 詠山は後世に、常時血気盛んだったと伝わっているほどに短気で暴力的な人間で、逆らう者は全員闇に葬った。だからその四つの集団は、明治時代でその歴史に幕を閉じる。
 しかし『月見の会』だけは一度だけ復活する。もちろんその時も【神代】が襲撃し、今度こそ終わらせたと誰もが確信していたのだが……。

「三年前に、『月見の会』が生き残っておることがわかった。向こうから攻撃を仕掛けて来たのだ」

 それで霊怪戦争が勃発する。その戦争、最終的に閻治の祖父である標水が命を懸けて【神代】を勝利に導いた。

「これで『月見の会』も滅亡した! 【神代】がついに日本全土を掌中に収めたのだ!」

 誰もがそう言った。
 しかし気になる記載が、霊能力者ネットワークには存在する。

「月見叢雲。生年月日、住所、連絡先、全て不明。元『月見の会』の霊能力者で登録があるのは彼のみであり、また彼の公式の活動記録はない」

 戦争に従軍した誰かが、そう書き残したのだろう。きっと戦った相手のことを、後世に残したかったに違いない。だがこの欄、こう続く。

「だからといって生存を否定することはできない」

 まるで彼…叢雲が生きているかのような記載だ。


「誰かが気の迷いで書き込んだとばかり思っておった。が! こんなところに生きていたとは!」
「だったらどうするの? 私も彼も、殺すの?」

 それは流石に閻治も望んでいない。標水の時代は終わったのだし、戦争には【神代】が勝利した。だからこれ以上無意味に血を流すことはない。

「だが! 我輩はアイツの力を見た! そうか、違う部分は経験だ! アイツには、命のやり取りをした強さがある。我輩にはない強さだ!」

 でも彼は、このまま帰るつもりはない。

「橋姫と言ったな? 叢雲に伝えろ……。我輩が貴様に挑戦状を叩きつける! 断る権利はない!」
「えええー! なんて理不尽な……」
「黙ってろ!」

 戦争経験者の力量は、どうなのだろうか。それに異常に興味があるのだ。


 だが、返事はノー。

「そんなことはしない。俺はもう、霊能力者として生きることはしないって決めた。今はここで橋姫を支え、神主さんの手伝いをすることだけが生きがいだ。【神代】の後継者なんて眼中にない。是非とも帰ってくれ」

 戦争に負けたことが彼の中で、生き方を変えたのだろう。叢雲は戦うことに否定的だった。

「うぬぬ……」

 だが、偶然見つけた猛者を閻治が手放すわけがない。

「ならば、頷かせるまでだ。洋大、夢路! 宿泊を延長するぞ!」

 閻治には大学があるのだが、講義は始まることよりも叢雲と戦うことを選ぶ。

「言っててくれよ。どうせ不憫なところなんだ、絶対に根を上げる」
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