第4話 ため込む霊気 その1

文字数 2,955文字

 絵美たちが長野を目指している時のこと。蛭児は飛行機の中にいた。

「残る慰霊碑は、あと三か所……」

 もうわかっている。一つは長崎、『橋島霊軍』。今向かっている最中だ。そして残った『月見の会』だが、これは千葉と富山にある。この三つの慰霊碑も破壊するつもりなのである。
 しかし、【神代】の中で慰霊碑破壊が認知されて会議も行われてしまった以上、架空の依頼を出して身代わりを釣り上げることはもうできない。

「いいや、しなくていい」

 手元に、迷霊を封じ込めた札が二つある。それを使って慰霊碑を壊すつもりだ。ただ、慰霊碑には神秘的な力が込められているので、迷霊も破壊されてしまうだろう。ゆえに二回しか使えない。でも蛭児が目指す慰霊碑は三か所。
 実はこれは、彼の計算ミスではない。寧ろ嬉しい誤算だ。
 昨年のゴールデンウィークの時の出来事だ。ある若い霊能力者が『橋島霊軍』の慰霊碑を破壊してしまった。結局犯人は寄霊だったわけだが、代わりに壊してくれたと考えることが可能。しかもまだ新しい慰霊碑は建っていない。今がチャンスなのだ。

「もう、止められないところにまで来ているのだよ……」

 しかし一方で、懸念すべき事項が一つ。それは身代わりにした霊能力者が、まだ裁きを受けていないこと。普通ならもう精神病棟に移されてもいいはずだが、どうしてかそういう処分がまだ下されていない。霊能力者ネットワークの彼女たちの備考欄にその旨の記載がないし、データベースを見ても確認できないでいる。
 これが、蛭児を焦らせた。本来ならもっとゆっくり計画を進めるつもりだったのだが、嫌な予感が彼を動かした。

「少し、眠るか……」

 まだ飛行機は飛び立ったばかり。最近は睡眠不足気味なので、毛布を借りて仮眠を取る。


 春の日差しが窓に差し込む。ほのぼのとした温かさがある一日が始まろうとしていた。

「行ってきます、あなた」

 そう言って妻が玄関を出る。

「ああ、気をつけて」

 蛭児はそう返事をし、見送る。妻は霊能力者だが役所勤めでありメインの仕事はそっちなので、毎朝元気に出勤する。一方の蛭児はこの当時から心霊研究に取り組んでおり、家で仕事を進める。こんな日が結婚した当初、ずっと続くのだろうと思っていた。
 しかし天気は一転し、空は真っ暗となった。彼の携帯に電話が。

「な、なんだって……!」

 それは、悲劇の始まりだった。
 警察に呼び出され蛭児は病院に向かった。妻はベッドの上で眠っていたが、二度と目覚めない。

「………」

 あまりにも急で衝撃的だったために、実感がない。悲しめばいいのか、怒ればいいのか、それすらもわからない。理性は事情を呑み込めていないし、本能はだんまりを決め込んだ。


「……うっ!」

 まだ二十分ほどしか眠っていないが、蛭児は起きた。
 まただ。また、あの日の悪夢を見る。五年も経った。妻は死んだ。そうわかっているはずなのに、夢はあの日の光景を脳内で上映するのだ。きっと割り切れていない自分がいるのだろう。
 一つ変わったことがあるとすれば、彼はその日を境に狂ったことだ。
 普段は飲まない酒を飲むようになったし、近所に挨拶しなくなった。趣味もあったが捨ててしまい、好物は喉を通らない。

 いいや、これは事故……妻の死がキッカケではないかもしれない。

 当時蛭児は、犯人をこの手で殺してやりたい衝動に駆られたことを覚えている。事故を起こしたドライバーは自ら警察に通報し、即日逮捕された。だが刑期は短く、それが終われば社会に戻るのだ。妻は戻らないのに、である。
 裁判で見た被告は、本当に反省していた。顔からも雰囲気からもわかったし、自己弁護を全くしなかった。彼の両親から、蛭児は何度も謝られた。それはそれでいい。でも殺意が消せない。相手は後悔しているし、法律で裁かれる。にもかかわらず、行き場のない怒りが彼の中にあった。

「アイツを【神代】の法で裁くことはできませんか?」

 当時の【神代】のトップ、標水。その義弟に比叡山絹生という人物がいた。絹生に蛭児は会い、話をした。

「お前はきっと……事故を起こした犯人は生きているのに、事故を起こされた妻が死んでしまったことに納得できていないんだろう?」

 やっと、自分の中の感情を言い当ててくれたのだ。

「気持ちはわかる。でも無理だ。【神代】の管轄は、表の法で裁けない者と決まっている。あの事故の記事は何度も目を通したが、幽霊や霊障の絡まない普通の事故だった。そして裁判が行われたんだ、それで満足するしかないんだよ」

 だが、願いは聞き入れてもらえず。受けた傷を癒すことはできなかった。
 そしてこの時から、蛭児は二つのことに対し許せない感情を抱くことになる。
 一つは、日本社会だ。人を殺めているのに、罪を償うだけで許されてしまうのだ。失われた自分は、何も取り戻せないのに。
 そしてもう一つは、【神代】への怒り。【神代】は犯人に手を下すことはないと明言したし、死者を蘇らせることは当時既に禁霊術。何があってもできない。
 この二つが混ざった結果、どうなったのか? それが、蛭児が狂った、ということである。


 今蛭児がしていること企てていることは、お世辞にも正しいとは言えない。しかし彼は、

「社会や【神代】を変えるには、こうするしかない」

 と考えてしまったのだ。言い換えれば、自分のことを蔑ろにした社会と【神代】への報復である。慰霊碑の破壊は、その手段の内の一部であって最終的な目的ではないのだ。
 愛する妻が死に、思想も理想も歪んた結果、蛭児は全てがどうでもよくなったのであった。


 長崎に到着しても、すぐには動かない。ホテルに移動し、夜を待つ。
 日が落ちるとともに行動を開始した。

「やはり……。私が睨んだ通りだ!」

 慰霊碑は、撤去されている。そこには有刺鉄線の柵があるだけだ。砕け散った破片なども片付けられており、木製の仮の慰霊碑が一つ、置いてあるだけ。これは攻撃的な霊障を持たない蛭児でも簡単に倒して折れる。
 その慰霊碑の木を折った時、彼は感じた。

「おお! これが、『橋島霊軍』の無念……!」

 凄まじい念だ。滅ぼされて百五十年ほど。その間にため込まれ、邪悪な感情に昇華してしまった魂たちが一斉にその大地から放出される。

「いいぞ…! これほどとは、驚きだ。全て利用させてもらおう!」

 ここで蛭児は、提灯を取り出し組み立てた。この提灯は特殊なもので、幽霊を封じ込めておくことができる。札とは違って無理矢理ではないので、閉じ込める霊に恨まれる心配もない。火を灯せば、『橋島霊軍』の亡者たちの魂が吸い込まれた。

「これで、三つ!」

 一つは『この世の踊り人』のもの。そしてもう一つは『ヤミカガミ』のもの。どちらとも、【神代】への恨みの念が強い。何故なら一方的に滅ぼされたからである。いたずらに奪われた命が悪霊や怨霊に変貌するのには、時間はかからない。そしてその邪悪な思念を、慰霊碑が無理に封印している。蛭児はこの幽霊たちが欲しかったので、慰霊碑を破壊していたのだ。

「回収完了だ。それとついでにここで、やっておくか……」

 ここには蛭児一人しかいない。だからできる。それに一度、テストしておいた方がいい。
 蛭児は懐から黒ずんだ赤い石を取り出し、あることを試してみた。
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